クラブW杯決勝でレアル・マドリー戦に臨んだ鹿島アントラーズ【写真:Getty Images】

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あまりに謙虚な日本サッカー。本当に本質的に劣っているのか?

 先ごろ行われたクラブW杯での鹿島アントラーズの戦いは何を示したのだろうか。準優勝という結果は称賛されるべきものであり、また決勝戦での戦いも極めて勇敢なものだった。これは偶然ではない。必要以上に謙虚だった日本サッカーは先へ進まなくてはならない。(取材・文:ショーン・キャロル)

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 クラブW杯決勝進出を果たし、そこでレアル・マドリーと堂々の勝負を演じるという鹿島アントラーズの快挙に対しては、世界中からそれにふさわしい賛辞が寄せられている。

 国内においても、彼らの奮闘ぶりは大きな称賛を集めた。その印象的な戦いが、日本国内の多くのファンやメディアに共通する、国内のサッカーを過小評価する傾向を覆す助けとなるのであれば素晴らしいことだ。

 日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は、3月の就任以来、「国際基準」という標語を繰り返し口にしてきた。国内のサッカーは、あらゆる面において最高のクオリティーを目指していく必要があるという主張だ。

 それ自体は正しいことであり、特に改善が成される余地が残されているのは自信の部分だ。日本のチームの戦いが伝えられる際には、自己卑下の行われるケースがあまりにも多い。アジアの相手には常に打ち勝つことが期待されるが、大陸外の相手と対峙する際の基本的な立ち位置は、依然として日本のチームは本質的に相手に劣るというものだ。

 もちろん、それはある面において事実でもある。例えばマドリーのように、欧州の本当の最高レベルのチームや選手たちは別格であり、ほとんど到達不可能な位置にいる。現在のような経済不均衡が存在する限りその状況が変化する可能性は低い。そういった世界的エリートは、それぞれの国内や大陸内で戦う相手に対しても格の違う立場にある。

 とはいえ、日本が国際舞台において十分に“第三勢力”の一角を占めることは、南アフリカW杯においてサムライブルーが証明している。つまりトロフィーを勝ち取ることはないし、大会の終盤にまで勝ち残る可能性も低いが、グループステージを突破できるだけの現実的なチャンスはあるという立場だ。だがそれから6年半が経過しても、不必要なまでの謙虚さは今も変わらない。

ジダンとカゼミーロの戸惑いは、何を意味するのか?

「自分たちの成長がどう思われているのか?」「どうすればさらに向上できるのか?」そう問いかけることが有効な場面はある。だが一方で、自動的に自分を相手より下位の立場に置くことが不必要な場面もある。

 日曜日の横浜での決勝の試合前後にマドリーのジネディーヌ・ジダン監督や選手たちが見せていた反応は、そういった教訓を与えてくれるものだった。日本サッカーの発展についてどう考えているかと問われたジダン監督は、いささか戸惑い気味にこう答えていた。

「発展を遂げてからすでにかなりの時間が経過していると思う。ここ数年で起きたことではない。ビッグクラブも含めて欧州でプレーしている日本人選手たちもいる。彼らがそのレベルに到達するのを助けたのは日本の監督やコーチたちだ」とフランスのレジェンドは語った。

 決勝での鹿島の印象的な戦いぶりについてコメントを求められた選手たちも、同様に当惑する様子を見せた。

 マドリーが試合をコントロールするのに苦しんだのはなぜかと問われたカゼミーロは、「そういう質問はあり得ない」と回答。「これはサッカーの試合であり、1試合だけの戦いだ。鹿島は良いサッカーをしていて、一発勝負なら最後までしっかり戦う必要があると僕らも分かっていた。彼らが決勝まで進んできたのは良いチームだからだ」

 もちろん、石井正忠監督のチームがマドリーにこれほど肉薄すると予想していた者はわずかだろう。鹿島のパフォーマンスは日本のサッカー史上に残るものだ。だが、準優勝という成績は決して青天の霹靂ではない。

 昨年の大会では、サンフレッチェ広島が準決勝でリーベル・プレートに0-1で惜敗し、最終的に3位で大会を終えた。ジダン監督も指摘する通り、欧州のトップリーグで見劣りせず戦えることを証明する日本人選手も増え続けている。

日本と世界に“巨大な差”は存在しない

 海外のチームを持ち上げることを好む日本の風潮と比較して、クラブ・アメリカのリカルド・ラ・ボルペ監督の姿勢は見事に対象的なものだった。

 メキシコのチームであるクラブ・アメリカは、マドリーと対戦した準決勝で自信と冷静さを失うことなくプレー。サッカー界で最も有名なチームのひとつが相手でも何も恐れることはないという姿勢は、鹿島にとって完璧なお手本となってくれた。

「選手たちにはいつも、相手のユニフォームや、相手がどの国のチームであるかは考えるなと言っている。関係のないことだからだ。考えなければならないのは相手チームのプレースタイルであり、ユニフォームの柄や個々の選手たちではない」とラ・ボルペ監督は話していた。

 決勝での鹿島もそれと同じことを実行した。依然として力の差は存在しているとはいえ、その差は一般に想像されているほど巨大なものではないことを示してみせた。

「決勝まで進めたのは意味があること。日本のサッカーが急激に世界に近づいていることが証明できたのではないか」と石井監督は試合後に話していた。

 一方で鹿島の指揮官は、各チームの歴史に開きがあることにも繰り返し言及していた。「他の出場チームにはJリーグ以上に長い歴史がある。100年間の歴史を持つクラブもある」と話している。

 それは言い訳にすべきことではない。歴史という面で欧州や南米が勝るのは永遠に変わらないことだ。Jリーグのチームが100年間の歴史を積み重ねた頃には、海外のライバルたちは誕生から200年に迫りつつあるだろう。

 日本のサッカーにはまだ成長の余地があるが、広く考えられているほど世界に劣ってはいない。鹿島がクラブW杯で見せた勇敢かつ規律ある戦いぶりは、改めてその事実を示す一例となった。

(取材・文:ショーン・キャロル)

text by ショーン・キャロル