論壇誌「アステイオン」85号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、11月29日発行)から、国際ジャーナリストのビル・エモットと同誌編集委員長の田所昌幸・慶應義塾大学法学部教授による往復書簡「EU離脱後の英国とヨーロッパ」を2回に分けて転載する。
 2016年の最も衝撃的なニュースのひとつであった英国のEU離脱。「そもそもこういうEUに対する反発はどこから来るのか」と問う田所氏に、「我々イギリス人がヨーロッパからの影響力に反発するのは、16世紀にヘンリー8世がローマのカトリック教会との関係を断絶し、ローマ教皇の支配を脱した時代にまで遡れるだろう」と、エモット氏。離脱を決めた国民投票の意義と今後の展望を、果たしてどう見るのか。

(上写真:英イーデンブリッジの祭りで燃やされるガイ・フォークス人形、2016年11月5日)

ビルへ

 ビル。イギリスでの国民投票が終わって一カ月あまり。イギリスのEU離脱の中長期的な意味について、少し落ち着いて考えてみるのに良い時期にさしかかっている。

 でもその前に、日本人としては、この問題にイギリス人がここまで感情的になるのはどうしても不思議だ。イギリスには大陸諸国とは違う伝統や歴史があり、いろいろと制度も違うのは判っているし、EU官僚主義は確かに鬱陶しいだろう。でもヨーロッパ諸国は皆所詮は自由民主主義国で軍事衝突など考えられない間柄じゃあないか。EUの一員でいるのと、台頭する中華帝国の朝貢国家になるのとは訳がちがう。でも見たところ、国民投票の結果を左右したのは、離脱派が離脱すれば目に見える利益があることを説得力のある形で説明したということよりも、ごく普通のイギリス人のもっているEUへの不満に上手く訴えかけたからのようだ。でもそもそもこういうEUに対する反発はどこから来るのか教えてもらえないだろうか。

From 田所昌幸


マサユキへ

 マサユキ、イギリスの反EU感情を説明しようとすると、一方で長期的な歴史にその根拠を求める議論と、他方でより短期的な説明の間で、いつも躊躇してしまう。というのも歴史的説明には説得力があるが、現代の状況に当てはめると十分とは言えないし、短期的な説明の方はうまく当てはまるのだけれど、イギリスの一般国民が、過去六〇年にわたって歴代のイギリス政府が戦略的利益と考えてきたのと正反対に、EUに強く反発するのはなぜなのか、十分に力強い説明にはなっているように思えないからだ。

 我々イギリス人がヨーロッパ大陸からの影響力に反発するのは、一六世紀にヘンリー八世がローマのカトリック教会との関係を断絶し、ローマ教皇の支配を脱した時代にまで遡れるだろう。それまで、つまり一五三〇年代になるまでのイングランドは、ヨーロッパの多くの地域と密接な関係にあったから、これは画期的な出来事だ。イギリスは、西暦四三年にはローマ帝国に、そして九世紀にはバイキングに、そして一〇六六年にはフランスにという具合に、何回か大陸からの侵攻を経験しているけれど、イギリス側の王様たちも、ちょくちょくフランスで戦い、一五世紀にはフランスの一部を占領したりしている。しかしローマ教皇と絶縁してからの五世紀間というもの、イングランド(一五世紀当時にはまだブリテンにはなっていないからね)は、大陸諸国をおおむね隙があれば襲ってくるかもしれない敵国として取り扱ってきた。もちろん実際にいつも敵対的だった訳ではなくて、イングランドはオランダ(一六八八年)やドイツ(一八世紀以降)から王族を輸入しているくらいなんだ。しかし、我々の外交政策はヨーロッパ諸国を、パートナーというよりも脅威として扱ってきたのは間違いない。産業革命のおかげでイギリスが強力になったので、我々の政策は大陸に介入的な傾向を示すようにはなったけれど、それはどの国も支配的な大国になって、我々の脅威にならないようにするためだった。

 こんなことが今でも関係あるかって? それが現在でも我々の文化に通底している限りにおいてはね。例えばイギリスでは毎年一一月五日にガイ・フォークス・デーのお祝いをするけれど、これは一六〇五年にイギリスのカトリック教徒が、議会を爆破しようとして起こしたテロの未遂事件を記念する日だ。その頃イギリスはオランダで延々とスペインを相手に戦っていたけれど、このガイ・フォークスはスペインのためにイギリスに攻撃を仕掛けたわけだ。つまり、今ジハディストがシリアでいわゆるイスラム国(ISIS)のために戦い、それが例えばフランスに戻ってきて殺戮行為をやっているけれど、ガイ・フォークスは言ってみれば一七世紀版のジハディストのようなものだ。

【参考記事】ニューストピックス 歴史を変えるブレグジット国民投票

ビル・エモット(国際ジャーナリスト)、田所昌幸(慶應義塾大学法学部教授)※アステイオン85より転載