「普通」や「平凡」なんてありえない? 以下、サイボウズ株式会社のオウンドメディア「サイボウズ式」のこちらの記事より転載いたします。


学生時代は謎の「無敵感」に包まれていた人が、社会人になった途端に「平凡オーラ」に包まれてしまうことはあるあるではないだろうか。

誰しもが自分のことを特別な存在だと思いたい。だけど、社会の荒波に揉まれるうちに「なんて自分は平凡なんだ」と痛感させられることは通過儀礼になっているらしい。

結論を先取りしてしまうと、俺は本質的には「平凡な人なんていない」と考えている。

それなのに「自分=平凡」と少なくない人が思ってしまう理由もたしかに存在している。今日はそのギャップを取っ掛かりに書いていきたいと思っている。

"これがレペゼン普通"といえるようなモデルは実在しない


俺が「平凡」という言葉を聞いた時に感じる違和感は、「普通」という言葉を聞いた時に感じるそれに近しいものを感じている。

普通の社会人なら誰でもできることなのに。普通の頭の良さがあれば。普通の容姿がほしかった。他人に対して普通に接することができない。いやいや、その「普通」ってなんだろう?

ありもしない「普通」に苦しめられる人はすごく多い。恋愛の文章をたくさん書いていた頃、読者の多くは「まずは普通の女の子になりたい」「せめて普通の恋愛がしたい」という反応をくれることが多かった。"これがレペゼン普通"といえるようなモデルは実在しないにも関わらず、だ。

多くの人が幻想で嘘っぱちの「普通」という言葉に踊らされていると言える。せめて普通になりたい、でもなれない、苦しい、みたいな。

ちょっと話を変えてみたい。多くの人が自分のことを平凡だと感じるとき、自分には「他人と比べて優れたところがない」あるいは「人に誇れるような能力を持っていない」と受け取っているんじゃないだろうか。いやいや、それめっちゃ普通ってことじゃん。

何が言いたいのかというと、人というのはある視点では自分のことを「普通ですらない」と捉え、ある面では「普通の存在でしかない」と捉えているということだ。

これらは自分の個性を自分で見極めるのではなく、他者との比較によって自分の立ち位置を定めていることの弊害だと思う。

上下関係のようなもので自分と他人に定規をあて、自分がどの場所にいるかを確認しているということ。あるいは他人に評価してもらいやすい部分を自分の価値として、過大評価しているということ。こういった考え方を脱却することが、平凡を脱却するヒントになる。


自分の個性を出すことをためらわない


「平凡でない人=非凡な人」とはどんな人だろうか? 情報処理能力やコミュニケーション能力といった指標で優劣を測ることは可能だけれど、それらが優れていても"埋もれてしまう人"というのはざらにいる。

俺の答えは「自分の個性を出すことにためらいがない人」である。

自分の周囲の非凡な人を見渡してみてほしい。彼・彼女らは例外なく「ツッコミどころ」にあふれた人間であることに気づくだろう。人によっては個性派としか言いようがない存在で、ときには扱いに困ってしまうような。それでいて代替不可能なような。

ここでいう個性というのは"自分の強み"ということである。頭の回転はさほど速くなくても、破綻がない思考を積み上げることが得意な人。論理は通ってないんだけど、クライアントの心をつかんでしまうノリの良さを発揮する人。空気の読めない発言を繰り返すが、一人でこなす作業では他の追従を許さない職人肌の人。

そう、自分のことを平凡だと考えている人は「自分の武器」を把握していないだけのことが多い。というのも、自分のことを知るのはかなり難しいからだ。これは俺の経験談でもある。

学生時代に論理的思考を意図的に鍛えていたこともあり、仕事ではそれを前面に出していたのだけど、どうにも結果が芳(かんば)しくない。言ってしまえば「小賢(こざか)しく」見られていたような気がしてならなかった。あるときに仕事を横に置いて、自分が得意にしていることを考え直してみたところ、それはフットワークの軽さと愛嬌であることに気づいた。

たくさんの人と関係を紡いでいき、それぞれの気持ちをすくい上げ、できること・できないことを切り分けていき、関係者すべてに満足してもらえなくても納得してもらえるような動き方をしていくということ。そして自分の力だけでは切り抜けられない出来事に対して、周囲の人に助けてもらえるような愛嬌を発揮することが、これまでの自分の武器だったのだ。

このことに気づいてからは仕事においても「上手くいく」ことが増え、(幸か不幸か)若手時代に会社から期待をかけてもらい、けっこうな額の投資をしてもらい、得難いたくさんの経験をさせてもらうこともできた。


自分のヘンなところに着目してみよう


先ほど「ツッコミどころ」と書いたけれど、出ている杭になっている人材は、茶化されうる「ヘン」なところが存在している。モノマネをしてしまいたくなるような。

こういった埋没しない人の特徴はシンプルであり、その行動特性は「変に目立ちたくない」よりも、自分が「大事だと思っていること」を優先しているという点にある。ここでいう「大事だと思っていること」は「自分の強みを発揮すること」だと受け取ってもらえればいい。

これを阻害するのは、他人から変な人だと思われたくない。悪目立ちしたくない。そういった感情だ。だから自分から「平凡の方がラク」と自分の可能性をセーブしてしまう。本当にもったいないことだと思う。

自分の強みを見つけるひとつのヒントを書いておきたい。

それは人様には言えない自分の偏執狂な部分を自覚する、ということである。誰しも「なぜだかわからないけれど、やってしまうこと」が存在する。そしてその無意識の才能の価値を分かっていない。

この息を吸うようにできてしまうこと、やってしまうことというのがその人にとっての武器になる。なぜなら他の人がマネしようとしてもできないことを意識しなくても容易(たやす)くやってしまえるからだ。これが個性のタネになる。そう、個性なんて出すものではなく、勝手に出てしまうもの。そして、それが結果的にその人の非凡さを表現してくれるのではないだろうか。

俺は長い時間をかけて紐解いていくことをオススメするけれど、手短かに済ませたい人は『ストレングスファインダー』を試してみてほしい。これは俺が社会人になった頃に話題になっていた診断で、先天的な強みを34に分け、その上位5つを割り出してくれるものである。

(書籍『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』を購入すると診断ができます。自分は「活発性」「指令性」「戦略性」「収集心」「最上志向」でした。)

自分のことを平凡だと思ってしまう人は自分に対して失礼なことをしているんじゃないだろうか? この世の中には一人として同じ人間は存在しない。それは自分の価値を見いだせる無数のパラメーターが誰にも平等に存在しているからだ。自分自身をちゃんと見つめて、大事にしてあげることが平凡さを脱却する一歩になると俺は考えている。

ありもしない「普通」や「平凡」という言葉の罠から抜け出して、自分の個性を発揮する人が一人でも増えてほしいと思っている。


(桐谷 ヨウ)
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