日本と中国は近い文化を持っていても、歴史における立場の違い、気候風土の違いから、物事に対する考え方の相違が少なからず存在する。その一方で、近い文化を持っているゆえに、共感できる部分というのも確かに存在するのである。(イメージ写真提供:123RF)

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 日本と中国は近い文化を持っていても、歴史における立場の違い、気候風土の違いから、物事に対する考え方の相違が少なからず存在する。その一方で、近い文化を持っているゆえに、共感できる部分というのも確かに存在するのである。

 中国メディア・今日頭条は23日、「中国と日本いずれにおいても民族的英雄と称されている人物は誰か」とする記事を掲載した。その人物とは、日本、中国大陸、そして、台湾に深い縁を持つ明朝の遺臣・鄭成功だ。

 記事は、鄭成功が「反清復明」の旗印を掲げた民族的英雄であるとともに、大陸と台湾に関係する重要な歴史的人物であるとしたうえで、その経歴について紹介している。平戸に拠点を持つ華僑の商船によって日本にやってきた中国人の父親と、平戸の日本人女性である母親の間に1623年に生まれた鄭成功は、7歳の時に父親の故郷である福建に渡ったとし、文武両道を修め、忠君愛国の思想を持つ青年に育つと、清を滅ぼし漢民族王朝である明を復活させることを志したと説明した。

 そして、官僚であった父親が清に降ったのち、その部下らを率いて挙兵し、福建や広東の沿岸で10年以上に及ぶ征伐を続けたとした。さらに、1662年には台湾に渡り、38年に及ぶオランダ人による占領から奪還したとの説を紹介し、このことから鄭成功が中国において民族的な英雄とたたえられていることを伝えている。

 そのうえで、「あまり知られていないことだが、鄭成功は中国のみならず、日本でも民族的英雄として奉戴されている。7歳までの歳月を、長崎の平戸で過ごしたからだ」と説明。その活躍から300年あまりが過ぎた現在においても、平戸では忘れ去られておらず、記念館や誕生石、廟、記念公園などが存在するほか、毎年7月14日の誕生日には生誕祭が行われていると紹介した。

 地理的な近さという要素もあり、九州・沖縄地方は、中国大陸や台湾との歴史的文化的つながりが日本の他地域より深い。鄭成功の存在や徐福の伝説はその一例と言え、この他にも九州北部を中心に交流や交易があったことを示す史跡が多数存在する。京都は唐の面影を残すと言われるが、九州の各地にはそれ以前の時代の面影が散在しているのだ。古代のロマンを求めての九州の旅は、日本人にとっても中華圏の人にとっても興味深いものだろう。(編集担当:今関忠馬)(写真は平戸城、写真提供:123RF)