プーチン露大統領 地理学協会授賞式に出席(代表撮影/ロイター/アフロ)

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 12月15日、安倍晋三首相が地元・山口の温泉旅館「大谷山荘」にプーチン露大統領を招き、地元の食材を使った和食でもてなした、日ロ首脳会談。北方領土での共同経済活動を行うための特別な制度を設ける交渉を開始することで合意したが、北方領土返還についての進展はなかった。

翌16日には、柔道の総本山である東京・春日の講道館を訪れ、安倍首相とともに古式の演武を鑑賞した、プーチン。KGB(ソ連国家保安委員会)工作員出身ということが強調され、自国・他国問わず人の命を奪うことも厭わない、冷徹な人物ともよく伝えられる。

「プーチンはイデオロギー以前に、付き合った人間に対して義理人情を重んじる人物です」

 こう語るのは、『ヴラジーミル・プーチン 現実主義者の対中・対日戦略』(東洋書店)などロシア関係の著書も多い、ジャーナリストの石郷岡建氏だ。2013年3月、外国人記者との会見で、プーチンが日本への思いを語った箇所を、『ヴラジーミル・プーチン』から引用しよう。

「私は日本を忘れることはできません。というのも、ご存じだとは思いますが、私が意識し始めた人生のすべてにおいて、柔道に夢中になっていたからです。私の家には彫像(講道館柔道の創始者・嘉納治五郎と思われる)が置いてあり、毎日それを眺め、日本を思い起こさせる日課にもなっています」

 子どもの頃のプーチンは、喧嘩ばかりしている、ならず者だった。ソ連時代、子どもたちは「ピオネール」(共産主義少年団)に入るものだったが、問題児だったプーチンは入れてもらえなかった。喧嘩の延長のようにボクシングやサンボを学んだが、大学入学前後に出合った柔道で、プーチンは変わる。

「柔道は哲学だ。年長者や対戦相手を敬う。教育的要素がある」

柔道から与えられた精神的影響を、プーチンはそう語っている。レニングラード国立大学(現・サンクトペテルブルグ大学)法学部に進み、KGBの上級学校に入る。そこでも、ならず者の血は生きていた。アウトローの心情を歌ったシュフティンスキーの非合法テープを隠し持っていたことで、当局から問責を受けたのだ。

「牢屋に入ると箔がつくみたいな、日本で言えば高倉健の出る任侠映画に近いようなアウトローの文化がソ連にもあったんです」(石郷岡氏)

 そうした、ならず者の地金は、政治家になってからも顔を出すことがある。1999年の第2次チェチェン戦争開始の時には、「奴ら(テロリスト)を便器で絞め殺してる」と公の場で語った。

「これはもう日本で言えば、いわゆる四文字言葉を放送中に言っちゃうようなもので、インテリは眉をひそめるけど、一般大衆に大受けするんですよ」(同)

●裏切り者の覚悟

 KGBの上級学校を卒業すると、プーチンは晴れてKGB職員として働き始める。KGBという言葉には恐ろしいイメージがある。確かにKGBには国内治安監視を行う秘密警察的な部署もある。

 プーチンが就いたのは、対外諜報活動の部署だ。アメリカのCIA、イギリスのSIS、フランスのDGSE、ドイツのBNDのようなもので、たいていの先進国が行っている活動だ。

「プーチンが働いたのは中央のモスクワではなく、レニングラード。その後は東ドイツのドレスデンで活動しました。ゴルバチョフ時代にKGB議長だったウラジーミル・クリュチコフは、プーチンのことは知らなかったと言ってますね」(同)

モスクワとレニングラードは、東京と函館ほど離れている。ドレスデンはベルリンから遠く離れた、ドイツの東の端だ。プーチンがいた89年、東ドイツでは民主化のデモが巻き起こり、ベルリンの壁の崩壊へと至っていく。そうした情報を送り続けても、モスクワからは何の指示もなく、その無能ぶりにプーチンは失望を深める。

 90年、ソ連に戻ったプーチンは、レニングラード大学の学長補佐に就く。民主派リーダーのアナトリー・サプチャークがレニングラード市長となると、その国際問題担当顧問として手腕を発揮し、プーチンは副市長となる。この間にプーチンはKGBを辞職し、KGB本部主流派から「許せない裏切り行為だ」と罵られた。

サプチャークは96年に市長選に敗れた後、国有財産横領の嫌疑をかけられた。捜査の手が伸びるなか、プーチンはサプチャークを軍事病院に入院させた後、フランスへ亡命させた。自分の政治生命が危うくなるほどの大胆な行動で、恩師を守ったのだ。
 
 これが当時のエリツィン大統領の目に留まり、大統領府の副長官に任命され、首相を経て、プーチンは大統領の座に座ることになる。
 
 プーチンがKGB職員だったことは事実だが、身を挺して民主化を推し進めてきたことで、かつてのKGBから裏切り者と指弾される人物なのだ。

「プーチンはとにかく頭がいい。すべてのことに通じていて、4時間でも5時間でも、資料も何も見ずに自説を述べることができる」(同)

●日ロ会談の意味

 プーチンの目に、首脳会談はどう映ったのだろうか。当然のことながら、日本の政府・官僚の間に、親米派(=外務省をはじめとする北方4島一括返還派)と反米自主派(北方2島返還派)の対立があることはプーチンも知っている。安倍首相は今回の首脳会談で、北方2島先行返還を合意する腹づもりであったとされているが、プーチンはそれもわかっていたはずだ。

首脳会談での安倍の提案を聞いて、自分の足下(=外務省)も抑えられない政治家なのかと、プーチンは呆れたのではないか。ならず者から身を起こし、古巣から裏切り者の烙印を押されても、自身の信念を貫いてきたプーチンの目には、安倍はお坊ちゃま首相としか映らなかっただろう。

 日ロ首脳会談で、3000億円の経済協力がむしり取られたと批判する声も多い。日本が失ったものは、もっと大きい。プーチンにとって安倍首相は対等に話し合う相手ではないと、ジャッジされたのだ。今回の会談は、巨人プーチンの掌の上で、お坊ちゃま安倍が踊らされ続ける「第一歩」となったといえるだろう。
(文=深笛義也/ライター)