南京大学金陵学院の王瀟瀟さんは、中国語で表現するのが難しい日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」の意味について、作文につづっている。

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言語と言語の間では、必ずしもピタリとはまる対訳が見つかるわけではない。南京大学金陵学院の王瀟瀟さんは、中国語で表現するのが難しい日本語の「いただきます」と「ごちそうさま」の意味について、作文に次のようにつづっている。

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日本のアニメやドラマが今世界中ですごく人気がある。様々なストーリーが面白くて、人を引きつけて夢中にさせる。その中から、日本人の日常生活も少し覗きみることができる。

私のいとこも日本のアニメとドラマの大ファンだ。そして、いろいろなアニメとドラマを見たあと、いとこはあることに気づいた。今年の春節、親戚たちの集まりの時に、「どうして日本人は食事をする前にいつも『いただきます』と言うのか。しかもなんで一人で食べるときまでそうするのか」といとこに聞かれた。

実は私も日本語を勉強する前に、このことを考えたことがある。中国語の字幕を作る翻訳者たちはいつも「いただきます」と「ごちそうさま」を「今から食べる」「食べ終わった」という意味に翻訳している。そうすると、中国の日本語が分からない視聴者たちが変だと思うのもおかしくない。

先日、ある先生も授業でこの問題に触れた。その先生は「『いただきます』とは、ご飯を食べる人がご飯を作る人に対して感謝の気持ちを表す言葉だ」と言った。そして、どうして一人のときまでもそうするのかというと、先生は「日本人が礼儀正しすぎるからだ」と説明した。しかし、本当にそうでしょうか。

私は、ある日本のネットフレンドにこの問題について尋ねたことがある。その答えは私が今まで聞いたほかの説明とは全然違った。「いただきます」とは「あなたの命を私の命としていただきます」という意味で、ご飯に対して高く掲げるような感謝の気持ちを表している言葉なのだ。そして、「ごちそうさま」は食事を準備してくれた人に対して感謝の気持ちを表している言葉なのだ。これがそのネットフレンドの説明だった。

それで、私はようやく分かってきた。日本人は昔からずっと神道の影響を受けている。そして、自然への畏敬の気持ちは科学技術が高度に発達している今でも消滅していない。人々は様々な自然現象にそれぞれの神様の存在を認めている。そして、食事が楽しめることも自然からの恵みだと思っている。生き物を殺すことはよくないが、自分が生き延びるために、栄養に富むものを体に取り入れなければならない。だから、食事をする前に必ず手を合わせて、食材に感謝する。料理人もご飯を作るために苦労をしたので、食事が終わると、また手を合わせて、料理人に感謝する。食事の最初から最後までずっと真心からの感謝の気持ちを抱いている。それは何人で食べようが全然関係ないことだ。多くの日本人がいつも完食することも食材と料理人への敬意を表しているのだろう。

信仰心を持っている人の心には神様がいると思う。人の行動を束縛するのは厳しい法律ではなく、心にいる神様だ。信仰がある限り、人は純粋でやさしい心が保て、自然と仲良く共生できる。

ここまで書いて、私自身は食事の時、食材に感謝したことが一度もないことに気づいた。そして、たまには料理がおいしくないと思うこともある。今、本当に恥ずかしいと心から反省する。私はそのネットフレンドの答えと自分の考えをいとこに伝えた。私はテーブルに載せてある盛りだくさんの料理を見て、口には出さなかったけれど、心の中でそっと「いただきます」と言った。その時、いとこもきっと黙って、心で祈っていただろうと思う。(編集/北田)

※本文は、第十一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「なんでそうなるの?中国の若者は日本のココが理解できない」(段躍中編、日本僑報社、2015年)より、王瀟瀟さん(南京大学金陵学院)の作品「心の中に神様がいる」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。