地方出身の女性が東京に上京するタイミングは、実は3回あります。

第1の波:「ファーストウェーブ」地方の高校を卒業し、東京への進学。

第2の波:「セカンドウェーブ」地方の学校を卒業し、東京への就職。

この2つの波はよく知られていますが、第3の波が存在していることは、あまり知られていません。

第3の波:「サードウェーブ」それは、

30歳前後で地方での人生に見切りをつけ、東京に新たな人生を求めて上京する独身女性達の潮流。

この波に乗り、30歳前後で地方から東京へ上京してきた独身女性達を『Suits WOMAN』では 「サードウェーブ女子」 と名付けました。地方在住アラサー独身女性はなぜ東京を目指したのか? その「動機」と「東京での今」に迫りたいと思います。

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今回、お話を伺ったのは、茨城県出身の会社員・大谷京子さん(33歳・仮名)。彼女は茨城県ひたちなか市出身。明るめな髪色のショートカットから見える耳たぶには複数のピアス、ゆったりめのスウェット、細身のダメージジーンズにVANSのスニーカーを合わせていました。中高とひたちなか市で過ごし、大学は自宅から90分ほどかかる柏まで通学したそう。バンドが好きで、東京にはライブを観に遠征していたと言う彼女。30歳の時に上京します。

「本当は東京の大学に進学したかったのですが、金銭的な理由で、自宅から通える範囲で受かる大学を選ばなければならなくて。県内の大学はなんとなく嫌だったので、千葉で受験して。親が“一人暮らしさせるよりも、定期代の方が安い”と言って、柏の大学に進学しました」

隣県である千葉までの通学。しかし、同級生とも隔たりを感じたそう。

「地方から上京してきた同級生には“茨城”って関東でしょって言われるのですが、学生にとって、東京に出るには交通費が高いし、距離も結構あったんですよ。意外と“茨城”って千葉に近い取手や、都内へ通勤しているつくばのイメージが強いんだなって」

週一ペースでライブを観に行くようになったきっかけは、地元で開催されている音楽フェスでした。

「地元が良かったところは、1年に一度、大きな音楽フェスがひたちなかで開催されるんですよ。高校生の時に初めて行って。親も、東京にライブを観に行くっていうと、なかなか許してくれなかったのですが、地元で開催されるから安心だったみたいで。本当はいけないのですが、高校生の時は、1個のリストバンド(入場券として腕に巻くもの)を友達と使いまわして、観に行ったりしましたね」

地元でバンギャ活動を続ける決意をした京子さん。セカンドウェーブも実家暮らしを続ける。

京子さんの実家は比較的裕福で、京子さんのバンギャ活動にも、“実家にいるなら”と認めていたと言います。

「父親は公立高校の教員で、母は養護教諭でしたね。地元じゃまともな方の家だと言うか。親戚も日立市とか近隣に住んでいて、年末年始やお盆は必ず親戚も集まって過ごすような家でした。年末は恒例行事でうちの庭で餅つきするんですよ。これが普通と思っていたら、東京の子に“どんだけ家でかいの”って驚かれました」

茨城県内でも北部と南部では格差があるそう。

「茨城ってよく“何もない”って言われるのですが、スタバもあるし、洋服も買えるしそんなに困らないんですよ。逆に取手とかに住んでいる友人の方が、上野とかアキバまで出ている印象がありますね。結局、水戸より北部だと、東京まで遠いので地元で完結しちゃうんですよね」

第2の波である「セカンドウェーブ」。しかし、この段階でも上京を選ばなかった。

「就職活動は、水戸を中心に探しました。水戸まで出れば、フェスに出るようなバンドが出演するライブハウスがあったんですよ。なんとなく出入りしているうちに、顔見知りになって。たまにドリンクカウンターとかの手伝いとかもしていました」

就職先は、地元に根付いた中小企業。

「ハウスメンテナンスをする会社に、経理として入社しました。まあ単純に、古くなった家の修理をするのがメインだったのですが、主にお年寄り相手のリフォームも多くて、商談よりも雑談が長引くことも多かったですね」

恋の方は、どうだったのでしょうか。

「結構、地元が一緒だと別れても会う機会があったりとか。つきあったり別れたりする彼氏が20代の頃にいましたね。彼は高卒で県内のビール工場に入社して、営業をやっていて。彼のクルマで一緒にフェスに行ったのが思い出ですね」

地元で開催されている音楽フェスに、好きなバンドが出たので久しぶりに行ったら、偶然、昔の彼氏と再会したとか。

週末だけ東京へライブ遠征を続けていた京子さん。ライブ評が目に留まって、IT企業へ転職!? 

〜その2〜へ続きます。