《僕、真田側やないのが悔しいてね。僕は少年時代に「真田十勇士」に憧れて、霧隠才蔵をやりたかったんやけど、そんな者は出てきませんから》(「週刊朝日」2016年3月4日号)

先日とうとう終わってしまった(きょう午後1時5分から総合テレビで再放送があるが)NHK大河ドラマ「真田丸」について、そんなふうに対談で語っていたのは、同作で徳川家康の重臣・本多正信を演じた近藤正臣である。関西は京都・清水(きよみず)で生まれ育った近藤からしてみれば、何を好んで自分が東の徳川方の人間を演じなければならないかという思いがどこかにあったのかもしれない。

だが、ふたを開けてみれば、本多正信は信繁(堺雅人)ら真田一族の敵役として最後まで存在感を示し、あげく最終回、信繁が死んだあとのラストシーン、彼の兄・信之(大泉洋)を自分の領地へ案内すると国づくりの根本を教え、最後の最後で真田家の存続に手を貸すのだった。


「真田丸」の作者・三谷幸喜は大の大河ドラマファンであり、小学生のとき最初に全編通して見た大河「国盗り物語」(1973年)で明智光秀を演じた近藤正臣に強い印象を受けたと折に触れて語っている。また、本多正信についても、自分のいちばん好きな軍師としてかねがねあげてきた。

大好きな大河ドラマで、自分にとって思い出深い俳優が、自分のいちばん好きな軍師を演じる。脚本家冥利につきるとはまさにこのことだろう。それどころか、近藤正臣によって本多正信という役が成長したとも、最終回を前に三谷は語っていた。

《本多正信は、僕の好きな武将ですが、近藤さんが演じられることですごく人間味、深みが出てきて、近藤さんのせりふを書くのが楽しくてしょうがなかったんですよ。どんどんイメージが膨らんでいきました。/正信は悪いイメージもありますが、吉良上野介のように、実はそういう人ほど地元では真逆の評価をされていることがよくあります。もしかしたら彼の領主としての姿勢が、どこかで真田信之に影響を与えて、その信之が後に信濃松代藩の礎を築いていく…というふうにつながるのではないかと思い付いて、最終回にあるシーンを盛り込みました》(「ザテレビジョン」2016年12月17日配信

それがあのラストシーンだったというわけである。脚本家のイマジネーションを刺激しながら、本多正信という役を見事につくりあげた近藤正臣は、大河ドラマに「国盗り物語」や「真田丸」を含めこれまで計10作出演し、いずれの作品でも印象に残る演技を見せている。せっかくの機会なのでここでは、それら出演作を便宜上3期に分け、大河ドラマにおける近藤の活躍を振り返ってみたい。

【第1期】ハマり役は「陰のある二枚目」


近藤正臣は24歳だった1966年、今村昌平監督の映画「エロ事師たちより 人間学入門」で俳優デビューした(今年でデビュー50周年だったことになる)。69年にはテレビドラマ「柔道一直線」に出演、アイドル的人気を集めることになる。大河ドラマ初出演はその翌年、1970年の「樅ノ木は残った」で、仙台藩士の伊東采女(重角)を演じた。采女は、仙台藩主の後見役である伊達兵部(宗勝。演じたのは佐藤慶)の殺害を企てたことから捕えられ、城に幽閉されたまま若くして死ぬ。

1970年代から80年代にかけての出演作で近藤は、映画「動脈列島」(1975年)における新幹線の運転妨害を企む青年医師、あるいはドラマ「水中花」(1979年)での元新左翼活動家の業界紙記者など、世を拗ねたインテリ、挫折したエリートといった陰のある二枚目がハマり役だった。大河ドラマで演じた人物もほぼこれにあてはまり、伊東采女、そして前出の「国盗り物語」の明智光秀、「黄金の日日」(1978年)の石田三成は言わずもがな、ことごとく悲劇の最期を遂げる。

「国盗り物語」で光秀が信長に振り回されたように、「黄金の日日」の三成もまた、主君の豊臣秀吉(緒形拳)の暴政に手を焼きながら、主人公の納屋助左衛門(市川染五郎=現・松本幸四郎)に何かにつけて熱心に協力する。その演技は、冷徹という三成の一般的なイメージを覆すものであった。

さらに続く「徳川家康」(1983年)では、家康の父・松平広忠に扮した。小国・三河の領主だった広忠は、駿府の今川氏と尾張の織田氏のあいだに挟まれ翻弄され続ける。その最期も近臣の岩松八弥(村田雄浩)に殺害されるという、やはり悲劇的なものであった。

【第2期】翻弄される側から翻弄する側へ


片岡鶴太郎が髪を振り上げながら「コンドーォですっ」と近藤正臣のモノマネをしてみせたのは、80年代半ばのことだったか。近藤のどこかアナクロな二枚目ぶりを笑いにしたわけだが、当の近藤はこのころ、そうしたイメージから脱却しつつあった。クイズ番組で軽妙な司会ぶりを見せたかと思えば、90年代に入るとCMにタヌキや河童の着ぐるみ姿で出演して驚かせた。一方で、釣り好きの立場から、長良川河口堰の建設反対運動に参加するなど、趣味人にして硬派なところものぞかせている。

近藤は1991年、「太平記」で8年ぶりに大河ドラマに出演、片岡鶴太郎(北条高時役)とも共演している。このとき近藤が演じたのは、鎌倉末から南北朝時代にかけての公卿・北畠親房だった。親房といえば、史書『神皇正統記』を著した当代きっての知識人だ。インテリ役を得意とする近藤にふさわしい人物だが、彼はそこへ後醍醐天皇を護るため策略を練り続ける権謀家という一面を加えた。

その後「元禄繚乱」(1999年)では将軍・徳川綱吉の側用人である牧野成貞、「MUSASHI 武蔵」(2003年)では豊臣家の重臣・大野治長をそれぞれ演じている。これらは北畠親房のような役とはやや性格を異にするとはいえ、続く「功名が辻」(2006年)で演じた細川藤孝は親房と同じく教養人であり、時流に応じて計算しながら生きるしたたかな人間であった。

親房にせよ藤孝にせよ、この時期に近藤が大河で演じたのは、翻弄されるというよりは、反対に翻弄する、あるいは翻弄されないように生き抜くタイプの人々であった。思えば、その集大成ともいえるのが、「龍馬伝」(2010年)の土佐藩主・山内容堂の役ではなかったか。このとき近藤は68歳という実年齢にふさわしく最初から白髪で登場する。酒を常に手放さず、尊王攘夷派の若い藩士たちを徹底的に弾圧するその姿は、いかにも不気味であった。このときの独特のセリフ回しは、主演の福山雅治も自分のラジオ番組などでモノマネしてみせるほどだった(これをさらに真似たのが松村邦洋)。

だが、この役づくりには大きなウソがあった。実際の容堂は、坂本龍馬の活躍した時代には30代だったからである。これについて近藤は次のように説明している。

《真面目に見ようという人からは疑問が出るに決まっているけど、そこは無視。『時代の妖怪』であればいい。若者たちが必死に生きて死んでいくなかで、妖怪は何をしているか分からんという。そういう抽象的なのをまず持ってきて、それから個々の芝居を工夫します》(春日太一『役者は一日にしてならず』)

なお、「龍馬伝」と前後して近藤は大河ドラマだけでなく、NHKの多くの時代劇、歴史ドラマに出演している。藤沢周平原作の時代劇「秘太刀 馬の骨」(2005年)では、のちに「真田丸」で一緒になる内野聖陽と共演した。

【第3期】本多正信の飄々とした演技は朝ドラ仕込みか


そして「真田丸」で、近藤正臣は大河ドラマにおける第3期に入ったというのが私の見立てである。飄々とした雰囲気で、いつも居眠りばかりしているが、家康らに意見を求められればきっちり意見して油断ならない。そんな正信のキャラクターは、それまで近藤が大河で演じてきた役とはやはり一味違っていた。

新境地を拓いた一因には、近藤が70歳を越えたということもあるのだろう。さらにもうひとつ、「龍馬伝」のあと、「カーネーション」(2011年)、「ごちそうさん」(2013年)、「あさが来た」(2015年)の大阪局制作の朝ドラに立て続けに出演したことも大きいのではないか。これら作品で近藤の演じた役に共通するのは、自らの人生経験を生かしてヒロインを助けたことだ。また、「ごちそうさん」「あさが来た」はいずれもヒロインの義父を演じた。近藤は朝ドラの特色として、俳優もスタッフもひっくるめてファミリーのような濃い関係を築きながらドラマをつくっていることをあげている(「中央公論」2016年7月号)。

ひるがえって「真田丸」でも、本多正信と家康の関係はほとんど家族のようであった。その雰囲気は話が進むにつれ、徳川秀忠(星野源)、本多正純(伊東孝明)とそれぞれの子供が出てきて、ますます強くなっていった感がある。そこで近藤が演技をするうえで、朝ドラ出演経験は思いのほか役立ったのではなかろうか。

「西郷どん!」と関係の深かった曽祖父


今後ふたたび近藤が大河ドラマに出演するとすれば、どんな役があてられるのだろうか。そのひとつの鍵となりそうなのが、冒頭に引用した対談である。このときの近藤の相手は作家の林真理子。そう、再来年、2018年の大河ドラマ「西郷(せご)どん!」の原作者だ。対談の時点ではまだドラマ化は発表されていなかったが、そこで両者は興味深いやりとりをしていた(「週刊朝日」2016年3月4日号)。

林 近藤さんのお家は、清水寺の境内にある有名な舌切茶屋ですよね。私いま、西郷隆盛の伝記(「西郷どん!」)を書いてるんですが、近藤さんのひいおじいさま(近藤正慎(しょうしん))は西郷さんと入水事件を起こした月照さん(尊王攘夷派の僧侶。清水寺成就院の住職)と親しくして、安政の大獄で捕えられて殺されてしまったんですよね。
近藤 というか、自害ですね。捕えられて拷問されても、月照さんの行方については口を割らずに。
林 舌をかみ切って。

舌切茶屋の名は、正慎の最期に由来する。明治維新後、正慎が従五位を授けられて名誉回復すると、近藤家は清水寺から境内で茶屋を営み続ける権利を与えられたのだった。

さて、「西郷どん!」に月照が出てくるのは当然として、彼と行動をともにした近藤正慎は出てくるのか。正慎は40代で死んでいるので、70代の近藤正臣が演じるには無理があるとしても、何かゆかりの人物の役で出演する可能性はおおいに考えられるのではないか。

近藤は、京都の撮影所でつくられる時代劇映画に多数出演してきた、いまでは希少な俳優である。その経験から最近は、テレビの時代物の現場で、若い俳優相手に笠のかぶり方をちょっと教えたりといったこともあるという。時代劇の演技術が後世に継承されるためにも、今後もぜひ体の許すかぎり俳優として活躍し続けていただきたい。
(近藤正高)