ムランビ虐殺記念館。ここで4万5000人に及ぶ人々が殺された(田中美久 撮影)

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 皆様こんにちは。今回はアフリカ編です。前回の記事ではポルトガル滞在中の様子についてお伝えしました。約2カ月間のヨーロッパの旅を終え、その後アフリカ北部のモロッコに渡り、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニアを訪れました。今回はルワンダ滞在時に見聞きしたことをお伝えしたいと思います。ルワンダには10月30日から11月13日までの14日間滞在していました。

 ルワンダという国について、あまりよく知らないという方も多いのではないでしょうか。ルワンダは中部アフリカに位置する小さな内陸国です。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと国境を接しています。ルワンダは私にとってアフリカで最も興味のある国でした。事前情報によると、ルワンダの街はアフリカらしからぬ綺麗さなのだといいます。一体どんな国なのでしょうか。

 ルワンダの首都キガリに入ると、その綺麗さに驚かされます。きちんと舗装された道路にはゴミひとつなく、植栽もよく手入れされています。治安も抜群に良く、夜でも安心して出歩くことができます。ルワンダ人はとても穏やかで親切な人が多く、彼らは交通ルールもしっかり守ります。

ゴミが全く落ちていない整備された道路。毎月最終土曜日が「清掃の日」と決められていて、
家族のうち必ず1人が代表で町の清掃活動に参加するのだそうです(田中美久 撮影)

 ルワンダ政府は「アフリカのシンガポールになろう」という方針を掲げて、インフラ整備や環境向上などに力を入れています。その成果もあり、実際にルワンダの街は非常に美しい状態が保たれています。私たちが抱くアフリカのイメージを覆す国、それがルワンダでした。

 しかし、ルワンダでは22年前に、「ルワンダ大虐殺」が起こりました。1994年に、多数派のフツ族が少数派のツチ族を虐殺するという惨劇が起きたのです。

 元々この2つの民族には宗教的にも文化的にも大きな差異はなく、お互い仲良く暮らしていました。しかし1990年代初め頃、ルワンダを植民地支配していたベルギーの統治政策により、両民族の関係が悪化します。ベルギーは最初に、統治しやすくするために少数派であるツチ族を優遇しました。ここで、それまでにはなかったフツ族とツチ族の差異ができてしまいました。民族対立が生まれた根本的な原因です。

 

 その後の独立運動の際には、国を安定化させるためにベルギーは多数派のフツ族を支持するようになり、立場を逆転させました。独立後は多数派のフツ族が権力を握り、フツ族優位の政治が行われます。これらの歴史は両民族の対立を深め、断続的な虐殺行為を含む紛争が続き、事態は深刻化していきます。

 1993年に和平合意に至ったものの、その翌年の1994年、フツ族の大統領暗殺をきっかけに、再び大虐殺が起こりました。たった3カ月間の間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派により、多くのツチ族、フツ族の穏健派が殺されました。犠牲者の数は約50万人〜100万人と推定され、ルワンダ全国民の10%〜20%にあたります。

 この悲劇の恐ろしいところは、一般市民が直接、虐殺に手を下していることです。犠牲者の多くは自分の居住地で、隣人や同じ村の住民の手にかかって殺されました。何というおぞましい殺戮なのでしょうか。それまで一緒に暮らしていたはずの近隣住民が、ある日突然、ナタやカマを振りかざして襲いかかってくるのです。

 虐殺に加担した加害者の数は35万人に及ぶと言われています。これだけ数が多いと全ての加害者を通常の司法手続きで裁くのは困難で、働き手が減り国力も低下してしまいます。

 そこでルワンダでは、虐殺の首謀者や中心人物のみを国際法廷で裁き、残りの一般の加害者についてはその集落の人たちに託しました。地域の揉め事を解決する村の慣習的な裁判「ガチャチャ」の法廷で裁きを進めていくようにしたのです。その結果、真実を告白した加害者は懲役ではなく労働奉仕刑を務め、社会復帰をすることになりました。

たくさんの丘が存在するルワンダは「千の丘の国」とも呼ばれている。
丘から見渡す夜景はとても綺麗(田中美久 撮影)

 加害者と被害者が共存せざるを得ない国、それが今のルワンダです。

 虐殺後に奇跡の復興を遂げたルワンダにはきっと特別な何かがあるに違いない。一体それが何なのかを突き止めたい。私は、そのような気持ちを抱いてこの国にやってきました。

 ルワンダ滞在中、虐殺で足を失った被害者に無償で義足を提供している日本人女性にお話を伺いました。彼女が以前雇っていたある従業員の女の子は、虐殺により家族を失っていました。ある日、女の子が街を歩いていた時、自分の家族を殺した加害者にバッタリ出くわしました。その時相手は、「お前も殺す」と首を切るジェスチャーをしたというのです。加害者と被害者が共存するというのはこういうことだと、ゾッとしました。自分の家族を殺した人が隣近所に住んでいるのです。

 ムランビ虐殺記念館を訪れました。この建物は、元々は技術学校で、当時は建設中でした。虐殺が始まった頃、この学校にはフランス軍が駐屯していて、ここに避難すれば虐殺から免れると信じたツチの人々が押し寄せました。しかし実際にフランス軍が助けてくれることはなく、ほとんどの人たちが殺されてしまいました。校内で殺害された人だけでも4万5千人に及ぶと言われています。

 パネルなどが置かれた展示室の奥には、レンガ造りの校舎が複数立ち並んでいます。その中には、沢山の犠牲者の遺体と服が置かれていました。中に入るとムッとするような死臭が漂っています。体には石灰が塗られ、ミイラ化していますが、髪の毛や歯が残っていたり、苦しそうな顔をしていたりする遺体もあります。カマで殴られたのでしょうか、頭部が大きく割れているものもあります。この記念館はとても生々しいと聞いていましたが、やはり衝撃を受けました。

 
ガイドの女の子との出会いから、ルワンダの抱える闇を一層垣間見ることとなった(田中美久 撮影)

 この記念館で私をガイドしてくれたのは、快活な笑顔が印象的な26歳の女性でした。「どうしてここで働いているの?」と聞くと、彼女は「私は強い精神力を持っているから」と答えてくれました。彼女は4歳の時に家族を虐殺によって失くしました。「この記念館のガイドの仕事は辛くないですか?」と尋ねると、彼女は「ここで働いて8カ月が経つけれど、最初の2カ月間はいつもひどい頭痛がして、展示してあるものを目を開けて見ていられなかった。今は慣れたけどね」と言いました。彼女に色々と聞きたいことはありましたが、どこまで踏み込んでいいか分からず、そこで質問は終わりにしました。

 その時私は、彼女から直接話を聞くことで、虐殺が現実に起こったのだということ、そして今もまだその時の記憶が人々を苦しめているということを痛感しました。

 現地在住の日本人の方も、ルワンダ人が近くにいる場所では虐殺の話は控えるか、「ツチ=T」「フツ=F」などと呼び方を変えて会話をしていました。最近では、親が子供に虐殺の話をするのを控え、その歴史すら知らない小さな子供もいるのだそうです。

 しかし、ルワンダの歴史を学び、ルワンダで出会った方々に話を聞き、知れば知るほど見えてくるのは、ルワンダの闇の深さでした。一見平和に見えるルワンダでは、多くの人が心の闇を抱えて生きています。辛い過去の記憶は消えて無くなることはなく、彼らの苦しみは今も続いています。自分の心の内を中々人に明かさないというルワンダ人ですが、心をえぐられるような辛い日々を送っている人が沢山いるはずです。平和で穏やかそうに見えるルワンダの街を眺めれば眺めるほど、その奥に潜む深い闇を感じ、胸が苦しくなります。

映画『ホテル ルワンダ』の舞台となった老舗高級ホテル「ミルコリン」。虐殺から逃れようとしたツチ族やフツ族穏健派を、ホテルの支配人だったポールが迎え入れかくまい、1268人の命が救われた(田中美久 撮影)

 辛い記憶に苦しみながらも、ルワンダの人々は前に進もうと必死に努力しています。「お互いを憎み合っても何にもならない。あの悲劇を2度と繰り返してはいけない。平和に向かって共に生きよう」と。

 被害者は加害者を赦し、加害者は自身の罪と向き合い償おうとしています。被害者は「私は加害者を赦します」と宣言します。そう言いながらも、憎悪を断ち切り「人を赦す」というのは実際にはとても難しいことです。「家族を殺したあの人が憎い。復讐してやりたい」という気持ち。そして「あの人を赦し、自分の心を憎しみから解き放ちたい」という気持ち。この2つの気持ちの狭間でもがき苦しみながらも、人々は前に進もうと日々努力しているのです。

 現在のルワンダは、ほんの22年前にあの悲劇が起こったことが信じられないほど、急速に発展しています。このことからルワンダは「アフリカの奇跡」とも呼ばれています。ルワンダは、人々の苦悩と努力の上に成り立っているのです。

 

 ルワンダがなぜ大虐殺の後に発展できたのか。自分の中で今の所たどりついた結論は主に2つです。1つは虐殺後の政治が良かったこと。カリスマ性と強力なリーダーシップを持つ大統領が、民族の区分を無くし、汚職を減らす努力をし、明確な国家戦略を打ち出してルワンダを復興に導きました。2つ目は、国民が平穏な日々を取り戻すために一体となって、政府が打ち出した政策に真面目に取り組み、とにかく必死に辛い現状に耐えて、同じ方向を向いて進もうとする努力を怠らなかったことです。

お会いした日本人女性の経営する義足工場。製造工程を見せて頂いた(田中美久 撮影)

 とにかく、問題を解決するような「特効薬」はなかったのだと思います。現地在住の日本人の方は、「ルワンダ人は辛抱強い」とおっしゃっていました。街は平穏そうに見えるけれど、きっと多くのルワンダ人の心の中は平穏ではありません。皆必死に耐えて、今も苦しんでいるはずです。そして今のルワンダが落ち着いているのは、皆があのような惨劇を2度と繰り返したくないと強く願っているからでしょう。戦後、必死で復興に向けて努力した日本の姿にルワンダを重ね合わせているのは、私だけでしょうか。

 ルワンダで「虐殺の被害者と加害者の和解プロジェクト」を進めている佐々木和之さんという方がいらっしゃいます。その方が執筆された記事を読みました。佐々木さんが取り上げている聖書の一節があります。

 「光は暗闇の中で輝いている。そして、闇はそれに勝たなかった」

 皆が平和を信じて、希望を持って生きること。それは決して簡単なことではありません。きれい事だと言われることもあるかもしれません。それでも、諦めないこと。現実と向き合い、信じ努力し続けること。そうすればきっと、小さくても輝く光が闇を少しずつ照らしてくれる。そんなことを、ルワンダが私に教えてくれたような気がします。

 ルワンダに、そして世界に、いつか平和が訪れますように。

 

穏やかで優しいルワンダの人たち。どうか彼らの生活が1日も早く心穏やかなものになりますように(田中美久 撮影)

(田中 美久)