シリア・アレッポの石鹸屋(筆者撮影)


 旅を終えてから、2年が経つ。

 東京に帰ってきたときは、そりゃもう違和感だらけだった。

 帰国したその足で渋谷のスクランブル交差点に向かい、ロスト・イン・トランスレーションごっこと称して写真を撮ってみたのだが、数年ぶりの渋谷はのっぺりと青い光の海の中に沈んでいるようで、この世の場所とは思えなかった。警察官に撮影を頼むと2枚で断られた。「最近は肖像権とか、ありますんでね」と彼は言った。

 浦島太郎となった私のまわりの景色は一変していて、定住もせず定職に就かず、ふらふらしている人なんてひとりもいなかった。私は旅の後遺症で何にもコミットできず、「君に日常を感じない」と友人に言われながら、旅の延長のように日々をふらふらと暮らしていた。

「なんで旅したの」「着地点はどこなの」「旅を経て何を学びましたか」「何か見つかりましたか」「あなたは何者ですか」と聞かれるにつけ、ここはなんて目的意識が強い町なのだ、と私はうんざりした。

 そのうち、旅の記憶は霞のように薄くなり、旅をしていた日々はすべて夢だったのではないかと思うようになった。旅はなかったことのようになったが、しかし時おり、かさぶたの跡をさわるように記憶を開くとたまらなく懐かしくなったりもする。私は夢の中にひとりで乗り込んだバスを思い、ガンジスのほとりのチャイ屋さんを思い、青銀色に染まった満月のサハラ砂漠を思い出す。あの頃は、どこにあっても、私は“ここにしかいない人間”であり、それでよかったのだ。

 しかし東京に帰っても“ここにしかいない人間”のままだと、それはとても、独りだった。

旅の独りと東京の独りの違い

 アフリカを周遊した後、私は中南米を旅した。

 中米を南下している途中に訪れたのは、ニカラグアの湖に浮かんだオメテペ島という島だった(渡る船はチェゲバラ号だった)。

 夕暮れ時、通り雨がざっと行き過ぎ、赤く染まった空に真っ黒な雲が圧し掛かるのを、店の軒先に座って、地元の子供たちとずっと見ていた。言葉を交わすわけでもなくただ隣同士に座って雨を眺めているだけの時間に、心がすうっとしずまっていく。こういう、どこにも向かわないで良い場所が、バングラデシュの路傍のチャイ屋に、エチオピアの路傍のコーヒー屋に、ギター弾きの宿るキューバの公園に、古くは田舎のおばあちゃん家の縁側にもあったな、などと思う。

 雨が降り止むと、夏の夜のもったりとぬるい空気があたりを満たして、土の田舎道に蛍の光るのを見た。途中、チキンとビール瓶を買って宿に帰りつくと誰もおらず、私はそのしんと静かな中庭でひとり、チキンをむしった。ビールを喉に流し込むときのチクリという音が、ぼんやりとした痛みになって私を襲い、それが独りなのだとそのときの私は思った。

 あのときの独りと、今の独りは違う。

 東京の独りは、町の独りだ。旅の独りにどこか陽気な解放(仮にそれを自由と呼ぼう)が含まれているのと違って、町の独りには人を追い詰めるようなべたりとした陰湿さがある。ここでは、「独りでいてはいけない」と言われている感じがする。

 ひとりカウンターに座ってラーメンを食べると、コンパ帰りの学生たちの怒号をやり過ごし、駅の中のジューススタンドを通り過ぎて、デパ地下の袋を抱えたおばさんとホームに並ぶ。

 夜の電車は酒酔いのにおいに満ちている。切り裂くように響く駅のアナウンスは、パチンコ店の開いたドアから流れるアナウンスに似ている。しゃべっている人はひとりもいないのに、ざわざわと落ち着かない東京の喧騒を、私はどこか遠い世界の、知らないリズムのように聞く。ここが落ち着かないのは、たくさんの人々の動線が私の上を縦横無尽に通っているからだ。誰かがどこかに向かうベクトルで、埋め尽されているからだ。そう思う。

 東京の人たちは、未来ばかり見ている。10人なり1000人なりの人間関係や組織の中で、10年後や20年後のことを考え、いつも自分の位置を確認しながら暮らしている。彼らは“ここにしかいない人間”ではない。彼らの後ろに時間と空間は広がっていて、今ある生活がパチンとハサミで切られるように終わることなどあり得ない。旅にはいつか倦む。でも旅はやめることができる。ところがここでの生活は簡単にやめることができない。終わりのない日常に倦んでも、東京生活は淡々と続いていく。

アレッポで買い込んだオリーブ石鹸

「どこから来たのか、ヤパンか」 オリーブ屋のおやじさんが近寄ってきた。

「そうだよ、ヤパンだよ」私も答えた。

「どんなところか。大きいのか」

「大きいよ」

「おおそうか、よく来たな。ヤパン」 おやじさんは少年のようにニシシと笑う。「ヤパン」という言葉を使うのが嬉しくてたまらんというように、笑いながら連呼する。

「ヤパン、ヤパン、おまえ、なんか買って帰れよ」

「要らないよ」

「アッラー、薄情なヤパンだな」おやじは大げさに天井を仰ぐ。

 ニシシという声が隣の店からも聞こえる。隣の店はスパイス屋で、そこでは一人の男がこっそり、スパイスの山に手を伸ばして豆をひとつかみ、つまみ食いしている。こちらの店主のおやじさんもまた「アッラー」といって大げさに天井を仰いでいる。私もなんだか楽しくなってニシシと笑う。

 スパイス屋を出ると、日はとっくに暮れて、夜の町からはひやりと乾燥した砂のにおいがする。

 大通りから怒号が聞こえ、振り向くと男たちが喧嘩をしている。その中でひときわ血気盛んそうなものが割って入り、「ハラース」というアラビア語とともに喧嘩はすぐに終了する。閉まりかけた路地から血のにおいをかき出しているのは、掃除に精を出す肉屋さん。ここのヤギ肉が美味いのさ、と、通りがかりの男たちが物知り顔で話す。「これからバックギャモンをしに行くのさ」と雀荘に行くノリで一人が言う。バックギャモンとは1対1のボードゲームだ。

 ジュースのスタンドにオレンジが連なり、砂っぽい道にザクロの赤い粒がこぼれている。子供らが走り回り、女たちは路傍のベンチに座って山のごとし、身動きもしない。彼女らはただキャラキャラと笑い声をあげ、身体をゆすぶりながら談笑している。そんな夜の一コマを、写真に収めようとカメラを構えると、女たちは子供を呼び寄せ、我先にカメラの前に立つ。結果、写真はぶれる。

 私が笑うと彼女らも笑う。こんな夜に女子供がうろうろできる町だとは予想もしていなかった。安全で、あたたかくて、笑い声にあふれる場所。触れるものすべてを抱き込む、強烈な日常のにおいがする。“ここにしかいない人間”を取り込んで、この場所はどこにも向かわなくて良い、縁側のような場所だ。もしかしたら彼女たちだって、ここにしか生きていないのかもしれない。“ここ”がずっと積み重なって、その結果として時間と空間が広がっているだけなのかも。暮らしには未来は要らないのかもしれない。

 酒の飲めない町でジュースをお代わりして、夜闇に映えるアレッポ城を眺めながら、宿に戻った。帰り道、石鹸屋さんで1キロものオリーブ石鹸を買い込んでしまった。アレッポは、石鹸の名産地だった。

 2016年、1キロの石鹸は今もまだ家に残っている。四角く切られたブロックを積み上げると、アレッポの喧騒が耳によみがえる。あのとき写真に撮った女たちの笑い声の中に、あなたは私で私はあなた、という声が聞こえる。

 ほそい耳鳴りの中に石鹸から手を離すと、旅の記憶は遠のいていき、やはりすべては夢だったのではないかと思う。パチンとハサミで唐突に切られたその夢の中で、私は彼女で彼女は私だったような気がする。そこは未来のない夜で、未来などなくても満たされていた夜だった。

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筆者:原口 侑子