今季終了後に、自身3度目となる戦力外通告を受けた広島東洋カープの左腕、久本祐一(37歳)。現役続行に向けてトライアウトに参加したが、どこからもオファーはこない。そんな失意の夜に、古巣・中日ドラゴンズの落合博満GMから1本の電話が入る。禅問答のように言葉数は少ないながらも情が込められた落合GMの話を聞いた久本は、中日の打撃投手に転身することを決意した。

 現役時代の久本は、プロ入りした2002年から引退した2016年まで、在籍したチーム(中日、広島)がすべてAクラスだった。唯一、広島がBクラス(4位)になった2015年シーズンにはリハビリ期間の育成契約だったので、支配下選手ではない。そんな強運の持ち主でもある久本に、両球団の違いについても聞いてみた。

── 久本さんはプロ野球で在籍したチームが常にAクラスの成績でした。それゆえファンやメディアに「Aクラス請負人」と呼ばれたこともありますが、何か特別な"勝ち運"みたいなものを、お持ちなんですか?

久本:いやいや、たまたまです(笑)。それぞれのチームのみんなが頑張ったからですよ。ただ、後々になって、みなさんがそう言ってくださるなら、うれしいですが。

── 中日時代は4度の優勝を果たした落合監督時代をはじめ、常勝球団ともいえるチームでプレーしました。ところが、2013年に移籍した広島は前年まで低迷していましたね。

久本:でも、僕が最初に広島にきたとき、すぐに"けっして弱いチームじゃない"と思いましたよ。質の高い選手が大勢いると感じましたから。ただ先発が崩れてから、次に投げる第2先発みたいなピッチャーが弱いのかなとは思いました。第2先発がたくさん点を取られてしまうと、そこで試合が終わってしまう。そういう役割を誰かがしないといけないし、それは僕でもいいのかなと。

── 質の高い選手が多いにもかかわらず、当時のカープがBクラスに沈んでいたのは、どこに原因があったのでしょうか。

久本:僕が在籍した中日時代に比べて"絶対に点を取られないぞ!"という強い気持ちを持ったピッチャーが当時の広島には少ない気がしました。マエケン(前田健太)にしても、当時はまだどこかに"下位のチームでエースになっても......"みたいな気持ちがあったんじゃないかな。

── 前田投手は当時からエースとして活躍していましたが、その後の姿とはちょっと違っていたわけですね。

久本:いくら彼がすごい投手といっても、やっぱり緊張感のある、優勝争いに絡んだプレッシャーのなかで常に投げないといけなかったんだと思います。弱いチームでガキ大将になっても仕方ないじゃないですか。

── その広島は久本さんが加入してから強くなり、マエケンもCS圏内の緊張感のなかで、素晴らしいピッチングを見せるようになります。久本さんが何か魔法をかけたのでしょうか。

久本:そんなことはないです(笑)。でも、ひとつ印象的な出来事がありました。移籍1年目の浦添で行なわれたヤクルトとのオープン戦で、相手チームのバッティング練習が終わってグラウンドチェンジするじゃないですか。その時にカープ投手陣が、バッティング練習で使っていたボールを手に取って、そのままキャッチボールを始めたことがあったんです。てっきり最初は"みんなボールを忘れたのかな?"と思ったんですけど、聞いてみるとそれが普通みたいで"あれ?"と思って。

── それって、何かマズイことがあるんでしょうか。

久本:だって、打撃練習で散々打ったボールなんてキズがついてるじゃないですか。歪んでるじゃないですか。ピッチング練習が終わったボールならまだキレイですけど、1日の始まりであるキャッチボールは、たとえニューボールでなくても、キレイ目なものを使用するのが当たり前なのに、そういうボールでやっちゃう意識がダメですよ。そんなところも低迷している理由のひとつなのかと感じて、すぐその場にいた投手陣に「絶対に間違っている!」と言いました。

── その助言が、カープの選手たちにも浸透しましたか?

久本:おかげさまで、今では傷ついたボールでキャッチボールをしている投手はいなくなりました。とはいえ、この世界、結果が出てない人間が何を言っても誰も聞いてくれませんからね。日々の努力を怠らず、成績を残せばみんな振り向いてくれるのかなと思い、チームの意識を変えるためとチームの優勝のためにがんばりました。

── ほかに、中日と広島で環境面での違いはありましたか。

久本:広島ではチームと球団との密接感みたいなものを感じました。中日は球団事務所と球場の距離が離れているんですよ。それに対して、広島はマツダスタジアム内にありますから、常にお客さんの生の声が直に聞こえてきます。この違いは大きいと思いましたね。今年、日本一になった日本ハムも札幌ドーム内に事務所が隣接していると聞きます。球団職員が現場近くにいることで選手たちも、より緊張感が生まれますし、ファンが興味を持つようなグッズやフードなどマーケティング戦略が毎日その場でできます。

── なるほど。そういう意見も今後のドラゴンズのファンサービスに活かされるといいですね。

久本:逆に広島でハードなのは、遠征の移動時間です。前夜に東京で試合があって翌日広島でナイターがある場合、球界ではそれを"移動ゲーム"と呼ぶのですが、何時に起きると思いますか? 始発の新幹線にスーツを着て乗り込むんですよ。これは日々の練習や試合よりも過酷でしたね。このことは中日に戻って、みんなに「恵まれているぞ!」と言いたいです。

── 久本さんご自身は、カープに移籍した2013年は先発と中継ぎで43試合に登板するなど、フル回転の活躍でした。しかし、その反動なのか、翌2014年には大きな故障をしてしまいます。肘のケガはこのときが2回目でしたね。

久本:1回目は2009年。二軍の広島戦のときで、やった瞬間は「ブチッ! ボキッ!」みたいな感じで、そりゃもう痛かったです。靭帯も筋肉も切れましたからね。2回目は交流戦明けの一軍マウンド、DeNA戦で1球投げたところでやってしまいました。ちょうど交流戦でチームがガクッと失速した時期に、たまたま僕だけ調子がよくて、チームのためならどんどん使ってくれと思ってやっていたら......。これはまた手術室行きだと思って、思わずその場にうずくまりましたよ」

── 手術はやっぱり痛いのですか?

久本:痛いですよ。最初のときは手術台で叫びましたから。あの痛さは死んでもいいという気持ちになりました......。2回目はまだ大丈夫なほうでしたけど。

── 手術やリハビリのときは、どうやって自分と向き合っていたのですか。

久本:第一には戦力に返り咲くという強い気持ちを持ち続けることです。そして、傷んだ箇所をとことん知ることですね。ボールを投げていて、ある部位が張ることがあったりしますよね。そのとき、試しに違う部位を揉むと違和感がなくなったりしました。とにもかくにも医師に聞いたり、インターネット等で情報をたくさん仕入れたりして自分で試すしかないです。

 トライアウトもそうですけど、手術も自分が実際に受けてみて初めてその気持ちがわかるし、将来指導者になることがあれば、この経験を話せるかなと。トータルしてみれば、僕はそんなにいい成績を残したわけじゃないですけど、そういったさまざまな経験をしたことによって人間として、野球人としてすごく成長できたかなと思います。

── 何度も戦力外通告をされるなど激動の現役生活でしたが、来年は春季キャンプまで、久しぶりにゆっくり休めますね。

久本:いやいや、1月から自主トレを開始しますよ。キク(広島・菊池涼介)たちと毎年やっているんですけど、まだ僕がどこに行くかわからない状態のときにキクが「来年もやる」と言っていたので、中日に行くと決まった時点で「僕も行く」と伝えました。それに後輩の面倒を最後まで見たいという気持ちもあります。

 じつは来年の自主トレについては、もうひとつ目的があります。それは「選手の気持ちを持ってBP(打撃投手)をやる」ということ。体の衰えもありますし、自分の仕事がBPだと思うと、それ以上は何もしないような感じがしたんです。でも自分に向かって"いつでも試合に出られるように準備しとけよ"と言い聞かせておけば、BPの仕事も苦に感じなくなる。まだ現役の選手だという気持ちを持って、選手と同じ練習をしてBPをやろうと思っています。常に選手と同じ目線で、そういう姿勢で野球に携わってみたいです。

── なんだか、いつでも試合のマウンドに上がりそうな勢いですね。

久本:目標は現役復帰です!(笑) いや、そのくらいの精神で裏方のバッティングピッチャーをやりたいんです。ですから自主トレから気を抜かないようにがんばります。

寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu