川口 雅裕 / 組織人事研究者

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超高齢社会が到来し、90歳まで生きるのが珍しくない時代になって、世間の関心事は「お金」と「健康」に集まっている。お金の話題では老後資金や相続に関すること、健康では病気の予防・体力の維持・医療に関わるものが多い。これらは、貧困や病気という高齢期のリスクに視点を当てようとするものだが、お金も健康も手段に過ぎないということを忘れてはならないと思う。

老後資金をしっかり確保し、あと何年生きるか分からないので、できるだけお金を使わないようにするという気持ちも分からなくはない。病気を恐れて、健康に良いとされることに、とにかく一生懸命に取り組む姿勢も理解はできる。しかし、お金があって病気でなければ、それで充実した幸せな高齢期になるわけではない。お金と健康が目的になってしまって、何のためにお金と健康を確保するのかが不明確な人が多いのが現状だ。

江戸期も含めて、昔から90歳くらいまでの長生きした人はたくさんいたが、その多くは商売で大成功した金持ちや著名な文化人や地元の名士であり、栄養豊富な食事をとり、多くの交流があり、衛生状態もよく、しっかりした医療も受けられる人々であり、庶民ではなかった。現代は、庶民でも昔の金持ちたちのような環境を得られるようになり、その結果、このような長寿社会が実現した。それは結構なことなのだが、問題は、普通の人でも90年生きられるという歴史上初めての状況において、「普通の人の長い高齢期の生き方」が、よく分からないということである。

定年・引退し、十年くらい悠々自適で暮らして、誰にも迷惑をかけずに死ぬ。こういうモデルは、もはや幻想だ。引退から死までに20〜30年ある。その年齢になると自立した生活が難しくなる人も出てくる。高齢化率の高まりによって社会保障は心細くなる一方で、国も「施設・病院ではなく、自宅で暮らそう」「引退せず、生涯現役を」とできるだけ社会保障に頼らない生活をするように呼び掛けている。そこで、お金と健康を確保して自己防衛せざるを得ないのは分るが、それでは単に長生きしているだけで、せっかく獲得した「普通の人も90年生きられるようになった」意味が薄い。大阪大学の大竹文雄教授によれば、日本の高齢者の幸福感は欧米に比べて低いそうだが、それは高齢期を生きる際の目的が希薄だからではないかと思う。

高齢化率はこれからも上昇し、次の世代、その次の世代が高齢者になっていく。それでも活力を失わない社会でいられるかどうかは、高齢者が長い高齢期をどんな目的を持って暮らすかにかかっている。これから先もお金と健康を目的とするような人が多いままでは、活力は低下していく一方だろうし、若い世代から一目置かれ、若い世代と調和的に社会を発展させていけるような関係にもならないだろう。人生90年時代を迎えた今、もっとも大事なテーマは、普通の人が長い高齢期をどのような目的を持って生きていくか、そのロールモデルを作り、広く共有することである。