20年前に『ローグ・ワン』を予知していた、スター・ウォーズゲームとは

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1995年リリースのテレビゲーム『スター・ウォーズ ダークフォース』は、デス・スターの設計図を奪取するストーリーに基づいている。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の世界をいち早く表現していた20年前の『ダークフォース』を振り返る。

『ダークフォース』は、最初のステージから私たちのテンションを高揚させてくれる。なにしろ、一人称としてのセ糶イ『スター・ウォーズ』の世界の中でプレイするのだから。プレイヤーは、今の私たちが思い浮かべるものとは違う、ある意味進化形とも呼べるような不恰好で左右非対称のブラスター銃を持っている。いかにも90年代半ばのゲームといった感じだ。プレイヤーは与えられた任務の達成のために注意深く進んでいき、目の前に現れる帝国軍の敵を撃つと、彼らはやはり、いかにも90年代半ばのゲームの動きといった感じで倒れるのだ。

1993年、Id Software社は『Doom』をリリースした。一人称視点でショットガンを撃ちまくるストーリーと暴力的な描写で、ゲームの歴史を変えたゲームである。『Doom』は精巧なデザインと無慈悲な3Dバイオレンスが共存する、ファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)の先駆け的存在だ。また、その拡張性の高いソフトウェア・デザインでゥ廛譽ぅ筺爾砲茲襯スタマイゼーションイ梁腓な波を巻き起こしたゲームでもある。その当然の帰結として、『Doom』のリリースから数ヵ月後、スター・ウォーズはサウンド・エフェクト、ストームトルーパーの赤い光弾、デス・スター的なレベルデザインを『Doom』的なプラットフォームに落とし込むことを始めた。1995年にリリースされた『ダークフォース』は『Doom』のような一人称視点を核としつつ、スター・ウォーズ公式の設定とキャラクターで進行していくゲームであり、『Doom』が作った流れに対するルーカスの公式回答である。

ルーカスアーツはそれ以前から、スター・ウォーズの世界をゲームに移植することは行っていた。『ダークフォース』以前のスター・ウォーズ関連ゲームとしては、1993年リリースの『X-Wing』、そして1994年リリースの『TIE Fighter』がある。いずれもプレイヤーが一人称視点でスター・ウォーズの世界での空中戦を繰り広げるゲームである。しかしゲームをプレイしてみるとわかるのだが、あまり没頭できるタイプのゲームではない。その映画のペースさながらのスピード感ゆえに、集中力が宇宙空間の広がりの中に散漫してしまうような感覚を覚えるのだ。スター・ウォーズとは、結局のところ、カリフォルニアの砂漠の町モデストでレーシング・カーに執着していたジョージ・ルーカス自身の若者時代が、宇宙レベルで描かれている・・・そんな映画なのである。猛スピードの宇宙船、コクピット、ケッセル・ランを描くこの映画のストーリーは、やはりどんどんスピードアップしていくのだ。

ルーカスアーツ制作の『ダークフォース』は今みると原始的だが、1995年当時はこれが映画に近づける最大限の努力の結果だった(Glixel/LucasArts)

その点、『ダークフォース』はより深く、ゆっくりとしたペースで進むゲームである。『スター・ウォーズ』の宇宙が、地に足を着けてプレイできる世界に展開されており、コックピットからの限られた視野ではない広い世界がそこには広がっている。このゲームのスい世界イ緻密に計算された精巧なものではなかったかもしれないが(当時のテクノロジーでは限界があった)、スター・ウォーズの宇宙をここまでゲームの世界に再現したことは評価に値する。しかし次の点を考慮すれば、もしかするとこのゲームの素晴らしさはむしろ当然の結果といえるかもしれない。1997年にロジャー・イーバートは、同年にリリースされたエピソード4の特別篇を評して、「再び『スター・ウォーズ』を観ることは、心の中のイ△訃貊褝イ悗虜橡であり、それはなぜかといえば、スター・ウォーズはすでにセ笋燭舛凌瓦鮨¬叡浪修靴討い襪らだァ廚肇灰瓮鵐箸靴拭『ダークフォース』に関しても同じことがいえる。このゲームの半分はスクリーンの中で展開し、残りの半分は、スター・ウォーズ・シリーズのセリフやシーンによって蘇る、私たちの心に植えつけられた想像上の宇宙の中で展開するのだ。

これがスター・ウォーズのモチーフを巧みに用いて制作されたこのゲームの、(当時の)タ刑鋺イ任△蠅覆らノスタルジアを呼び起こす魔法なのである。加えて、大したことではないように思えるかもしれないが、オープニング・クロール、midi編曲のジョン・ウィリアムズのスコア、カメラアングル、飛び立つ宇宙船、そしてミッションの説明で現れる反乱軍の指導者モン・モスマの穏やかな表情など、このゲームは要所を実にうまく押さえている。また、映画の世界から移植されてきた敵キャラクターがシンプルなわかりやすい形で登場するところが、スター・ウォーズならではのスリルをこのゲームに与えている。曲線状のヘルメットと黒いスーツを身にまとった帝国宇宙軍、白い機動歩兵ストームトルーパー、最初のステージに登場する将校(撃たれた際には帽子が飛ぶようになっている)が、シンプルで質素なアニメーションの中に、ディテールを捉えた美しい形で描かれているのだ。


『ダークフォース』はデス・スターの内部を忠実に再現した(LucasArts)

『Doom』と『ダークフォース』には共通点が多数あるが、戦闘におけるグラフィックは、その大きな相違点のひとつだ。『ダークフォース』のシューティングはぎこちなく、許容範囲ではあるがはっきりと作りこみの甘さが見て取れる。これは滑らかな動きになるよう精巧に作りこまれた『Doom』とは大きく異なる点である。ストームトルーパーと飛び交う赤い光弾が映画の中のシーンを思わせる『ダークフォース』は、歩いて進みながら操作性の低いブラスター銃での戦いをするように設計されている。『Doom』でいうところの初期装備のピストルである『ダークフォース』のブラスター銃は、まっすぐ銃弾を放つのが本来あるべき難易度と比べるとかなり難しく、ストームトルーパーの速射ライフルでも同様である。まるでゲームが「帝国軍がもっとまともに銃を撃てないのかって思ってる?じゃあ、ほら、やってごらんよ」とプレイヤーに言っているようである。

『Doom』のバーチャル3D環境の制限に慣れたプレイヤーにとっては、『ダークフォース』は動きの面での制限は気にならないはずだ。しゃがむ、ジャンプする、そしてブラスター銃での戦いに不可欠な上下を狙う動きは問題なくできるからだ。しかし、この『ダークフォース』のデザインに対する哲学がもっとも如実に表れている点は(それがスター・ウォーズであるということを除けば)、一人称視点のゲームながら、戦いのステージのディテールにかなりこだわっている点である。導管やシェルターなどの驚くほど多様な帝国軍の設備が、宇宙の軍隊というにふさわしい重厚な輝きを放っているのだ。下水設備の暗闇で汚ない水のなかを泳ぐ喜びを完璧に再現しているところなどは、どうでもいいと思う人も多いとは思うが(水がきちんと茶色になっているところに賛辞(?)を送ろう)、映画の思い出を蘇らせてくれる部分も多い。螺旋階段のステージは明らかにオビ=ワンがデス・スターに潜入しトラクター・ビームの電源を切った場面をもとにしている。

そして、ある意味では、映画の記憶を思い起こさせることこそ、『ダークフォース』の存在意義であるといえる。このコンピューター・ゲームという形の拡張世界は、『新たなる希望』での反乱軍の劇的な勝利の要因となったデス・スターの設計図を奪うというミッションの設定上にはあるが描かれてはいなかったイベントを、慎ましく描いている。ここに現在公開中の『ローグ・ワン』との類似性を(序盤の展開だけだが)見出すことができる。カイル・カターンは設計図を奪った際に「Too easy(楽勝だな)」と口にする。ルーク・ザ・スカイウォーカーである可能性もあったカターンだが、映画では他のキャラクターの存在感が強すぎて、その存在感はそれほど強くはない。しかしこのゲームでは、ハン・ソロが暗躍する帝国軍への愛を捨てた乾いた笑顔の潜入者、カターンが主役である。彼がゲームの中で、映画の思い出を蘇らせてくれる。

拡張世界ですらも、ゥ澄璽フォースイ鯢舛にはあまりにも小さすぎた。『ローグ・ワン』の公開は、カターンがダークトルーパー部隊計画に対抗する『ダークフォース』のストーリーが正史ではないことを公式に宣言する意味を持ち、その部分が新たに大画面でのアドベンチャーとなって語られる。ひとつ言わせてもらえば、大きな興行収入を得るという映画の目的は大いに理解できるが、その点でこの作品にやや不公平感があるのは否めない。なぜなら、『ローグ・ワン』と『フォースの覚醒』はどちらもノスタルジアを売りにしており、新しいストーリーを語るために、観客の過去の楽しい記憶に頼る作品だからである。