日産自動車のカルロス・ゴーン社長と三菱自動車の益子修会長兼社長(東洋経済/アフロ)

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 今年、業績を大きく落とした、成長機会を逃した、企業価値を大きく毀損した、危機的状況に際して拱手傍観してしまい窮地に陥る状況としてしまった、経営者としての倫理にもとった、社会に大きな損害あるいはリスクや不安を与え強く指弾された、などの残念な結果を残した経営者を顕彰する、「2016経営者残念大賞」。

 本連載前回記事では、第3位としてシャープの高橋興三前社長を発表した。今回はグランプリこそ逸したが、今年の“残念経営者”第2位として、三菱自動車工業(以下、三菱自)の益子修社長兼CEO(最高経営責任者)を発表したい。

●最悪の企業文化にメスを入れなかった罪

 三菱自は00年、04年と2度にわたるリコール隠し事件を起こしている。この事件により2人の死者を出す交通事故が発生し、三菱ふそう前会長や元常務ら7人と、三菱自の元社長や元役員6人が逮捕されている。およそ東証一部上場の大企業としてあり得べからざる犯罪を犯した。これを「1度目」の不祥事としよう。

 結果、経営危機に陥った三菱自に手を差し伸べた三菱グループが04年に送り込んだのが、益子氏だった。三菱商事から同社へ常務取締役として送り込まれた同氏は翌年、社長に就任した。以来、同社の最高経営責任者であり続けている。

 では、再生経営者として着任した益子氏が果たすべき最優先責務は、なんだったのだろうか。

 それは、三菱自に巣くっていた企業文化を根こそぎ変えることだったはずだ。負の企業文化として、リコール隠しに見られたような隠蔽体質があり、顧客(社会であり消費者)に対する無責任、無感覚があった。

 益子氏は、日産再建を主導したカルロス・ゴーン会長兼社長が見せた「見知らぬ力(りょく)」を最大発揮すべきだったのだ。私も新任経営者として外部から6度、企業に乗り込んだ経験がある。正直、企業文化を変える、社員たちの考え方や業務上の価値観や優先順位に影響力を発揮することが、新任経営者としては一番難しい。その難しい領域に踏み込めるのが、外部から就任した新しい経営者である。

 三菱自の場合、それを果たさなければ社会や市場から許されない状況だった。何しろ、司法や政府からさえ指弾を受けていた状況なのである。

 組織の意識改革が難しいとしたら、「仕組み」をつくるアプローチがあった。内部監査の仕組み、内部告発とそれを受ける有効な仕組み、あるいは厳罰を伴う懲罰制度(不正報告に対する)などである。そして、実際に誰かを厳罰に付して一罰百戒を示すべきだったのだ。益子氏はそんなことを何かやったのか。

 益子氏はしょせん、三菱商事から三菱自へ移ってきた「三菱村」の同族だった、と私は見ている。悪く言えば「同じ穴の狢」、よく言ってもなあなあで荒事までは踏み込めなかった。

●「2度目」の不祥事を起こさせた責任がある

 益子氏は05年に社長に就任以来、順調に同社の業績を回復させ、13年度は過去最高益と16年ぶりの復配を果たし、再建にメドをつけた。14年度も最高益を更新しており、同年6月には三菱自生え抜きの相川哲郎氏を社長に就任させるに至った(益子氏は会長兼CEOに就任)。

 益子氏は相川氏を要職で重用してきた。自らが社長に着任した05年には、相川氏を常務として抜擢。以来、商品開発統括部門や生産統括部門長兼生産管理本部長などを歴任させている。

 東京大学工学部出身で技術に明るい相川氏を重用した益子氏には、重大な責任懈怠があると私は見ている。益子氏は三菱自の財務諸表―数字―には注意を払い、改善させたが、技術や品質のことは相川氏に丸投げした、という構図に私には見える。

 ところが、重大なリコール隠しがあった三菱自でもっとも再生経営者が成すべきことは、生産部門や開発部門の改革であり、品質の保持だった。それらの改善による消費者・社会・政府からの信頼の再確立だったはずだ。

 益子氏はそこに自らの手を入れようとしなかった、汚そうとしなかった。あるいは相川氏が、「三菱グループの天皇」といわれた三菱重工業元会長の相川賢太郎氏の子息だということで、遠慮のようなものもなかったか。

 16年に燃費データ偽装が同社で発覚し、相川社長は6月に引責辞任するに至った。これを「2度目」の不祥事としよう。

●無為無策で名門企業を外敵に明け渡した

 そして「3度目」の不祥事というのはもちろん、今秋に発覚した、三菱自が不正を継続していたことの発覚だ。16年4月に燃費不正問題が発覚したあとも、都合のよいデータだけを抜き出す不正な方法で車の燃費を測定し、販売を続けていたのである。国土交通省が立ち入り検査して発表したことについて、同社は「不正な方法だとは認識していなかった」と説明したが、厚顔無恥も極まる。

 最高経営責任者としての益子氏の問題は、就任前に起こした「1度目」の不祥事のようなことを、二度と起こさせないようにすることだったはずだ。05年の社長就任から10年を経過している。その間、「2度目」があり、この秋に「3度目」を起こしてしまった。

 昔、戦国時代の日本には「三菱の国」があった。出城である「三菱自」城は敵に取り囲まれ、落城寸前となった。敵とは、消費者、社会、そして監督官庁からなる同盟軍である。若殿・相川氏は元服したばかり。殿が元服する前から本国より城代家老「益子之守(ますこのかみ)」が乗り込んで、摂政として仕切っていた。落城寸前となり、「今やこれまで」となってきたとき、敵国の大将「狩路権之輔(かるろす・ごんのすけ)」が密使を益子之守に寄越した。密書を見るや、益子之守は遠く権之輔との密談に馬を馳せたのである。

 合意はただちに成り、若殿相川氏は敵軍の面前で切腹することにより、城としての寛如を得た。すると益子之守は権之輔から出城の封地を安堵され、「三菱自」城の殿様として納まったという。

「魚は頭から腐る」というが、着任10年を経ても企業変革を成しえていない、そして責任を取ってもいない。そんな益子氏に謹んで、「2016経営者残念大賞」を奉呈するしだいである。

 次回は「2016経営者残念大賞」で輝く第1位、グランプリとなった経営者を発表する。痛ましいことが社内で起きてしまったあの著名企業だ。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)