"Pop'n Soul"バンド、ノーナ・リーヴスのヴォーカル西寺郷太さんは、バンドとしての活動に加え、他アーティストへの楽曲提供やプロデュース、脚本家、作家など、さまざまな分野で活躍するマルチクリエイターです。

作家としては、80年代の洋楽ポップスについて論評した『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』 『プリンス論』などが話題となり、近年はその分野の専門家としてテレビやラジオなど、さまざまなメディアへの出演も目立っています。

新著『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』(星海社新書)は、90年代以降のポップミュージックに絶大な影響を与えたジャネット・ジャクソンについて取り上げ、その音楽的革命や、マドンナ、ホイットニー・ヒューストンなど同世代の歌姫との対比を描いた力作。「80's洋楽」に関する著書は本書が最後だと言います。

今回は、ライフハッカー[日本版]編集長・米田智彦との対談を通して、西寺さんの多岐にわたる活動や執筆のウラ話、今後の取り組み等についてじっくりとお聞きしました。


西寺 郷太(にしでら・ごうた)
ミュージシャン、音楽プロデューサー。1973年東京生まれ。1996年からNONA REEVESのボーカリスト兼メインコンポーザーとして活動するほか、他アーティストへの楽曲提供・プロデュースも行う。日本屈指の80年代音楽研究家として、マイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルなどのオフィシャル・ライナーノーツを担当。

短距離が作詞だとしたら、本の執筆は長距離


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米田智彦(ライフハッカー[日本版]編集長):西寺さんと僕は同い年なんですよね。マイケル・ジャクソンやマドンナ、シンディ・ローパー等、僕が西寺さんの本を読むと、自分の少年時代を追体験するような感覚に襲われます。

80年代の音楽をリアルタイムに聴いて育った人がそれについて書くというのは、これまでなかったと思うんです。

西寺郷太さん(以下敬称略):そうかもしれないですね。

米田:60年代や70年代に比べると80年代は評論に値しない、とは言わないまでも、なんとなくそういう雰囲気があった中で、マイケルから始まってプリンス、今回はジャネットと、今までになかったジャンルを西寺さんが開拓されている姿は、同時代を生きた人間としては興味深いです。

西寺:80年代当時僕はまだ子供だったから、「手を伸ばしてもなかなか届かないからこそ楽しい」というような、フィルターを越えた先にあるものとして、80'sミュージックを求めていたと思うんですよ。

その世代の日本人であるからこその音楽の楽しみ方があると思っていて。アメリカやイギリス、洋楽というものをそういった形で捉えることができた時代に、日本人として生まれた自分というのは、結果的にはラッキーだったと思いますし、それが今の僕の作る音楽や聴く音楽の1つの特徴だと思いますね。だからサバイバルできているんだな、と。

米田:なるほど。音楽評論の書籍は、マイケル・ジャクソンについて書かれたのが最初ですか?

西寺:そうですね。それまでも編集者には執筆を誘われてたんですが、出版社の社内で「マイケルの本なんて売れるわけがない」と、企画が潰されてたんです。だから、書籍を出せたのは亡くなった直後に書いた『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』という本が最初です。

米田:ミュージシャンでありながら文筆業に携わるというのは、ご自身のキャリアの中でどう考えていらっしゃいましたか?

西寺:作詞やコラムの連載などは散々してきましたから、その延長線上です。今も脚本を書いたり小説を書いたりコピーを書いたりしていますが、僕の中ではどれも楽しいです。ただ極端なことを言うと、やはり本職だと思っている分、作詞が一番難しいとは思いますね。

一番難しいことを10年以上やってきたって勝手に思っていたので。陸上で言えば、短距離が作詞だとしたら、長距離が本の執筆。長距離は努力と戦略と根気次第で記録を詰めれることもあるけど、やっぱり短距離って、どんなに頑張ってもボルトみたいな図抜けて速い人に勝てないっていうイメージがあります。極端な例ですけど。だから、言葉を使って何かを伝えるという意味では、作詞をずっとやってきた人間なんだから...というのは心の中ではありますね。

米田:本の執筆が長距離という話で言うと、西寺さんの本は特に、数多の資料を綿密にあたって書かかれているなと感じます。それはまた、作詞とはまったく異なる作業になりますよね。

西寺:そうですね。僕の本に書いてあることがもし少しでも間違っていたとしたら、今はネットやSNSでその間違いを指摘する人は、何千人、何万人といるわけですよね。

こういった洋楽に関する書き下ろしの、半分伝記で半分論評が入っているような本はもう書くのをやめますと言ったのは、その辛さもありますよね。

米田:そうだったんですね。

西寺:無敗のまま引退するみたいな(笑)。今まで1個だけ数字の数え間違いがあった以外は、CDのライナーノーツなども含め、事実関係の間違いを指摘されたことはないです。例えば『プリンス論』も初版から一字一句ミスなしでまったく変えてません。彼のワークスは複雑で詳しいマニアの方も多いんで超怖かったんですが(笑)。

米田:それは、やはり西寺さんご自身がしっかり取材されて、資料の原文にもあたり、ファクトチェックを行っているからですよね。

西寺:そうですね、英語で読めるものは英語で読んでいますし、単に負けず嫌いというのもあります。あと、自分も本の間違いにすぐ気が付くほうなので、1個でも間違えていると、その人の理屈すべてが離れているように感じちゃうんですよ。だから、「自分もそう思われたら嫌だな」という気持ちが根底にあるというのは、大きいかもしれないですね。

たとえば歴史物とかでもそうですが、事実なのか自分の考えなのかをしっかりと明記して書くべきだと思っています。いわゆる音楽ライターなどが、自分の思いとか熱量だけで記事を書くような時代が長かったけど、それに対して僕はちょっと批判的だったというか。「そのあなたの熱量に、どれだけデータの裏付けがあるの?」と。

とはいえ、僕はある程度時間がたったものを考古学者のように追いかけて書いているので、月ごとに新譜を扱う彼らとは全然、戦場が違うとも思いますが。


手の込んだラブレター。松尾潔さんとの関係とは


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西寺さんの近著3冊。左から『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』(星海社新書)、『プリンス論』 (新潮新書)、『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』 (NHK出版)。


米田:西寺さんの本の、データの細かさやディティールの詰め方にはいつもハッとさせられます。

西寺:以前、ラジオDJの野中丈太郎さんという方にラジオでお会いしたときに、「西寺さんの本は手の込んだラブレターみたいですね」と言われたことがありました。一瞬、ムッとしたというか、好きだから本を書いているだけのように思われているように感じて、そうじゃないんだけどな、と思ったんです。

でも、「手の込んだ」というフレーズがポイントで。やっぱり手の込んだラブレターにするためには、手を込まなきゃいけないというか。事実関係が間違いだらけで、ただこの人すごいんですよと言ったところで、それは個人の印象でしかないですし逆効果ですよね。

たとえば、今回のジャネット本でも、86年、87年と2年連続で全米年間ベストテンに入ったアルバム『Control』、そして90年のチャートで次作『リズム・ネイション1814』が全米年間ナンバーワンになっていることを示す。その上で、88年の全米年間ナンバーワンはジョージ・マイケルの『Faith』で、89年の全米年間ナンバーワンがボビー・ブラウンの『Don't Be Cruel』であることを指摘する。

それらの2枚がジャネットと、プロデューサー「ジャム&ルイス」の影響を受けて作られている証拠や証言を記す。その上で「80年代後半はジャネットが制したと言っても過言じゃないですよね」という結論に1冊で導く。たんなる印象じゃなく、細かなデータで示せば、「あ、確かにそうかもしれない」と読者は思いますよね。

そういう意味で、自分が気を付けてやっていることがしっかり伝わっているんだなと思うようになり、結果として野中さんの「手の込んだラブレター」というのはうれしい表現でしたね。

一方、佐野元春さんは僕の著書を必ず読んで感想を下さるんですが、最初の著作を読んで下さった時「郷太君の執筆仕事は『ジャーナル』だよね」と褒めてくれました。「ジャーナル」って佐野さん的で美しい表現だと思いました。きちんと調べて愛を持って書く。嬉しかったです。

米田:ライフハッカーで以前、音楽プロデューサーの松尾潔さんにインタビューさせていただいたことがあるんです。そのときも同じ質問をしたんですけど、西寺さんの文体や文章っていうのは、誰の影響を受けていると思われます?

西寺:松尾さんは早稲田大学の先輩ですが、単なる先輩と後輩という関係性ではなくて。彼は本当に日本を代表する作詞家で尊敬もしています。そうなんですが、ミュージシャンや執筆家として松尾さんを驚かせてなんぼだ、と思っていたりする大きな存在です。

もう10年近く仲良くしてもらっていますけど、松尾さんが本を書くより前に、僕がマイケルの本を2冊出しました。そのときに、「郷太君はもちろん作詞もしているけど、こうやって長文を書く執筆家として世に認められるっていうのは、僕自身が描いていた未来像と逆で皮肉なもんだね」と、笑っていたんですよ。7、8年前に。松尾さんは作詞家として大ヒット作を何曲も生まれていましたから。

それで、文章で影響を受けた人ですが、僕が一番好きな作家は猿谷要さんです。大学教授を務めながらアメリカ史の研究をされていた方で、その人の文章がすごく好きなんですよね。2011年に残念ながら亡くなられてしまいましたが、愛妻家で奥さんと一緒に半年とか3カ月とか、一年とか研究のためにアメリカのいろいろなところに行くんです。

米田:どんなジャンルの本ですか?

西寺:主にアメリカの街や黒人史を描いた本ですが、旅紀行のようになっているものも多くて、いろんな本があるんです。僕、猿谷要さんが好き過ぎて、まだ全部読んでいないんですよ。

全部読もうと思ったら読めるんですけど、すぐ読み終わっちゃうのが怖いから、ちょっとずつしか読んでいないです。なんて言うのか、読んでいて愛を感じるというか。まさに「手の込んだラブレター」であり、「ジャーナル」でもある。猿谷さんの文章はすごく影響受けましたね。



今後は日本のポップスについて書きたい


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米田:洋楽に関する本の執筆は今回の『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』でやめられるのですか?

西寺:80's洋楽について書き下ろすのは最後ですが、邦楽については書きたいことがあるんです。『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』で80'sポップスの終わりについて書きましたが、同じ現象が2、3年後の日本でも起きるんですよね。その象徴が少年隊と光GENJIであり、その後のSMAPです。

70年代から80年代にかけての完成形としての少年隊と、そこにポンと入ってきたローラースケート履いた光GENJI。そして、その短期政権が終わったあとに、SMAPが長期政権を築く。この3世代のことについては書きたいんです。まずは少年隊についての本を書きたいと思っていて、本が出ることも決まってます。が、いつになるでしょうね。

米田:西寺さんが日本のポップス、それもジャニーズについて書くという、今後の展開は楽しみですね。

西寺:日本の邦楽について、40代で何冊か書ければと思います。

少年隊は、僕は3人それぞれと直接仕事をしたことがあって仲良くさせてもらってます。だから、まだ皆さんが現役のうちに、僕が話を聞いて書くということをやりたくて。ジャニーズもいろいろな論評の仕方があると思いますけど、実際に仕事をしたり曲を作ったりしている人間が書くというのは、今までなかったと思います。

米田:小説に関してはいかがですか?

西寺:小説は、2、3年温めている企画があるんです。今年の秋にA.B.C-Zの舞台『ABC座2016 株式会社応援屋〜OH & YEAH〜』の脚本を書いていて、それが終わったらスタートする予定でしたが、2017年はワーナーからデビューして20周年で、ノーナ・リーヴスの活動もこれまでになく活発になるのでなかなか難しいです。少年隊の本はもうちょっとあとで、小説のほうが先ですね。

以前1冊だけ、小説とドキュメンタリーが混じったような、『噂のメロディ・メイカー』という本を書きました。これは半分小説ですが、主人公は僕なので、沢木耕太郎スタイルって言ってるんですけど(笑)。

今回は完全にフィクションで、音楽にちょっと関係のある話なんですけどね。

米田:小説を書くときのモードっていうのは、また違うものですか?

西寺:どうですかね。でも今回書いた脚本も小説みたいなものだとすれば、すごく楽しいですけどね。楽しいっていうか、面白い。「80's洋楽モノ」は、事実関係や情報の誤りなどがあれば明らかに「間違い」となってしまうけど、クリエイティブなものってつまんないか面白いかだけで、間違いってさほどないですからね。もちろん全部難しいですけど。

80's洋楽モノは次々と周りや編集者が企画を持ってきてくれたり自由を聞いてくれちゃうようになって、僕もそれで揺れ動いちゃう可能性もあるんで、戒めとして「これを最後にします」って言っているんです。なので、小説のようなクリエイティブなものと邦楽モノは、これからも書いていきたいですね。


ノーナ・リーヴスというグループがあるのが僕の強み


米田:西寺さんはマルチタレントのように、ご自身の音楽活動に加え、楽曲提供、執筆、舞台の脚本まで、さまざまな活動をされていますが、それらを並行して行っていくのはとても大変じゃないですか?

西寺:大変ですけど、いろいろなことをやれているからいいなと思いますね。この秋も『ユーリ!!! on ICE』というTVアニメーションが始まって、その作詞をやったり、Charisma.com(カリスマドットコム)ではトラック作りとプロデュースをやったり。

A.B.C-Zの舞台では、作詞作曲編曲をやって脚本も書きました。ジャニーさんにも直接お会いできてエキサイティングな舞台でした。その前、同じ錦織一清さん演出で行われた1月の『JAM TOWN』というミュージカルでは、音楽担当で、自分で全公演ドラムも叩いたんですよ。1年にバンドのアルバムもリリースして、ツアーもして、新作ミュージカル2つ作って、本も出版するっておかしいペースですよね(笑)。ただ、なんかいろいろなやり方があるから、ストレスが溜まらないっていうのはありますね。

僕にとっては、ラーメンを食べて、次の日はカレー食べて、次の日はおすし食べてって、鍋にしよういうのと一緒で、むしろずっと毎日ラーメンのほうがつらくて、ちょっと気分変えたいなっていうのがある。締め切りが一番近いのはどれかなとか、今のこのテンションでやりたいのはこれかなという感じで、選んでやったりもしてます。だからむしろ、歌手だけとかの仕事が嬉しかったり。

米田:西寺さんみたいな人って、なかなか日本にはいないですよね。このクオリティーで文筆業をやっているミュージシャンは他にいないと思うんですよ、本当に。ミュージシャンでありながら批評家、評論家、研究家ですよね。

西寺:研究家ですよね、どちらかと言うと。批評や評論は僕には無理です。

米田:研究家として、ここまでの本を完成させるのは大変じゃないですか。さっきのお話にもありましたけど、この本に書かれている何万倍っていうデータに当たってるわけですよね。加えて自分の記憶の掘り下げとか、自分なりの切り口をいくつもいくつも重ねながら本を作っていくわけで、その中でジャニーズの曲も作り舞台の脚本もやって、なんていう人本当にいないと思います。そういうクリエイター像って、20代のころ想像されてました?

西寺:いや、してないですよね。だから、ありがたいですよね。

20代でバンドだけの活動してたころ、俺暇だったのかと思って(笑)。。あのときはあのときで、早く次のシングル作らなきゃとか、追い立てられていたつもりだったんですけどね。

米田:ミュージシャンだったらミュージシャンとして集中したいっていうのがだいたいの人だと思うんですけど、西寺さんのキャリアはだんだん分散型になっていくじゃないですか。

西寺:もちろん自分のバンドの歌が死ぬほどで売れていたりとか、それだけでやりくりしていくというのは、それはそれで憧れではありますけどね。でも、たとえば『WOWOWぷらすと』という番組で司会をしたりして、そこで学んだことも実は他のことにすごく活きていたりとか、ラッキーと言えばラッキーで。

でも、やはり今のままでは自分では納得できてないので、今やっていることをさらに40代、50代で大きくしていかないとな、というのは思ってますよ。まだ全然、本当に何やってるんだろうな、と思うときもあるし。
 
ただ、1つだけ言えるのは、ノーナ・リーヴスというグループがあるというのはやっぱり僕の強みで、20年近く1度も休むことなく、レーベルもなくならず、そんなに頻繁ではないけどライブもやって、1年か2年に1度ずつアルバムも出してきて、メンバーもそれぞれがめっちゃ忙しいし。メンバーチェンジもデビュー以降はなくやって来れていて、そういう部分が、やっぱり僕の一番の精神安定というか...。

米田:帰るところ、ホームがある、ということですね。

西寺:そうですね。で、ビルボードでちゃんとライブやったり、お客さんも入れ替わってはいるものの、ずっといてくれてっていうのが、すごく大きいと思いますね。


「必殺技」を捨てて、より強くなっていく


西寺:うれしいのは、ここ何年も、日本のテレビやニュースでジャネットの名前が出ることなんかなかったじゃないですか。でも、今妊娠中のジャネットのお子さんが生まれてくれれば、また報道されるし、その子にもし本当にマイケルって名前付いたら、それこそ東スポネタでも取り上げられるネタだと思うんですよ。

そんなときに、今回のジャネットの本があって、読んでくれた何人かの人が、「あ、私、ジャネット好きだったわ」ということを思い出してくれるかもしれない。

米田:しかもマイケルが50歳で亡くなって、ジャネットは50歳で妊娠ですもんね。そういう輪廻転生的なものはありますよね。

西寺:そうですね。やっぱり今の女性にとっての高齢出産というのは、1つの大きな考えなきゃいけない問題じゃないですか。それで、ジャネットは去年ツアーを組んでいたのをバラしたわけで。もうラストチャンスかもしれないと言って。

彼女の人生にとっては、1回ツアーやることよりも子供を産むほうが大きかったのかもしれないし、それは『アンブレイカブル』というアルバムを作ってマイケルを継いでいくというのと同じく、「家業を継ぐ人」と本には書きましたけど、彼女の中の、私はジャクソン家の伝統を守る子を産むのよっていう、そういう意思を僕は感じました。

米田:ツアーを中止したのは残念ですけど、ジャネットの遺伝子がこの世に残るのはうれしいですよね。そうやってまた歴史が変わって、ジャネットの人生がハッピーになっていくような気がします。

ここ数年、暗いニュースが多かったじゃないですか、ジャクソン家って。

西寺:そうですね。絶対にまた変わってくるんじゃないかなと思います。なんか自分の運の良さっていったら変ですけど、センサーがなんとなくそう信じてるんですよね。

80's洋楽本を今回を最後にやめるっていうのも1つの僕のセンサーで、もっと書いてと言ってくれる人も多いんですけど、それはまた別の戦場でやれたらなと思います。

古舘伊知郎さんが、「必殺技を捨てていくと、さらに強くなれる」というようなことを言ってらしたんですよ。プロレスをやってバラエティーをやって、ニュースもやってきて、それで今回ニュースもやめたじゃないですか。僕もそういう意味でいうと、80's洋楽というのは大好きだけど...。

米田:「必殺技」ですよね。

西寺:そうですね。だから、「80's洋楽」に関しては本を書くこと以外の伝え方や手法がもっといろいろとあるんじゃないかなと、今は思ってます。



来年メジャーデビュー20周年を迎えるノーナ・リーヴスですが、12/18(日)に行われた恒例のクリスマス・ライヴ『ノーナとHiPPY CHRiSTMAS 2016』にて、以下の4つの重大発表がありました。執筆業はもちろんですが、2017年はノーナ・リーヴスとしての活動から目が離せなくなりそうです!

(1)古巣のワーナー・ミュージック・ジャパンに移籍&帰還!
(2)2017年3月8日(水)に、20周年記念ベスト・アルバム『POP'N SOUL 20〜The Very Best of NONA REEVES』をリリース!新録音2曲(1曲は完全新曲、1曲はライヴでお馴染みのENJOYEE! (YOUR LIFETIME)の新録音予定)を含む全16曲入り予定。
(3)2017年3月26日(日)及び5月28日(日)に、デビュー20周年記念の対バンライヴ・イベント「赤坂ノーナ最高祭(さいこうさい)!!!」を前後編として連続開催!第一夜の3/26公演には、第一弾アーティストとして、堂島孝平の出演が決定!
(4)2017年に、13thオリジナル・アルバムをリリース予定!
(公式サイトより)


(聞き手/米田智彦、文/開發祐介、写真/廣田達也)