by Moyan Brenn

シリアのバッシャール・アル=アサド大統領は「自身は過激派の被害者である」という姿勢ですが、一方でアメリカのジョン・ケリー国務長官は2015年、IS(いわゆる「イスラム国」)は「アサド政権によって作られた」と発言しました。イスラム過激派やISと深く通じていると言われているアサド政権が、どのようにしてIS創設の手助けをしたのかが、シリアの元情報当局職員や、刑務所に収容されていた政治活動家らの言葉によって徐々に明らかになっています。

Assad Henchman: Here’s How We Built ISIS - The Daily Beast

http://www.thedailybeast.com/articles/2016/12/01/assad-henchman-here-s-how-we-built-isis.html

◆アサド政権とジハーディスト

ISが形づくられることになった経緯には、2003年に勃発したイラク戦争の際に、シリアが志願兵としての「ジハーディスト」を集めたことが大きく関わっています。シリアから亡命した情報当局の元職員らによると、イラク戦争時、アサド政権はイラク戦争を長引かせるために、シリア国民に対し、反米のジハーディストとして志願するよう奨励していたとのこと。実際に、数千人のシリア国民がジハーディストとして志願したそうです。かつて志願してイラクで戦い、シリアに帰ってきた後に投獄されていたAnas al-Rajabさんは「シリアはイラク戦争やアメリカの攻撃が長引けばいいと考えていたんです。そうすればアメリカ人たちはシリアに入ってきませんから」と語っています。

その後、イラクから戻ってきたジハーディストたちは、アサド政権によって「テロ行為に関わった罪」で一度は投獄され、後に解放されます。この流れこそが「アサド政権がIS創設の手助けをした」と言われる理由の1つとなっています。



by Thomas Hawk

クルディスタン地域政府大統領のマスウード・バールザーニー氏はThe Daily Beastのインタビューに対し、「シリア政府は2003年に大きな間違いを犯しました。彼らは、テロリストに対して、イラクにいるアメリカ軍に圧力をかけるための扉を開きました。彼らがシリアに対する戦争を始めるとは思っていなかったのです」と語っています。

2006年から2007年の夏にかけて、サウジアラビア・リビアといったムスリム国から約600人の兵士がシリアからイラクへと渡ったことが判明。ウィキリークスの情報によると、シリアを経由してイラクにアルカイダのメンバーが渡ったことについて、アサド政権のトップの人々は認識していたとのこと。イラクに渡ったアルカイダからISが生まれ、ISはシリア周辺にまで広まったことから、シリア政権は、現在起こっていることに対して大きな責任がある、とバールザーニー氏は語っています。

シリアでは、多くの教化や訓練などの活動が情報当局の監視下にあります。最も有名な教化活動の1つに、「Abu al-Qaqa’a」として知られるアレッポの聖職者であり伝道師のMahmud al-Aghasiによるものが存在します。al-Aghasiのモスクはイラクに渡るサラフィー・ジハード主義者をリクルートする拠点になっていたそうです。al-Aghasiはイラクに向かう「兵士」が外国人かどうかを問題にせずにリクルート活動を行い、モスクから市の中心部まで「我々はアメリカ人を虐殺するのだ」と唱えながら行進していたとのこと。警察国家でこれほどの活動が行えることから、al-Aghasiにはかなりのレベルのスポンサーがついていたものと見られています。

また、シリアの情報当局は、大学施設でシャリーアについて学ぶ人々を対象に、エージェントを募集していたことも、元情報当局の局員によって語られています。つまり、シリアは自国のために働いてくれるエージェントを集めており、al-Aghasiは複数いるエージェントのうちの1人というわけです。ただし、al-Aghasiは2007年に暗殺されています。

イラクから兵士たちが帰ってくる際も、アサド政権のスパイ活動を行う当局の1つが兵士たちを率いており、シリア情報当局は「誰がジハーディストとして訓練されているのか」を把握していました。そして、戦いのためにイラクに渡った4分の1はアルカイダに参加したり、戦いで死んだりして戻ってきませんでしたが、戻ってきた人々は「イスラム原理主義者」そして「テロ行為に関わった罪」で逮捕されたのです。



by Christiaan Triebert

◆「ジハーディストの養成機関」となった刑務所

上記に述べたような兵士たちが収容されたのは、ダマスカス北部にある、悪名高い政治犯たちの刑務所「Sednaya」です。政治活動家としてSednaya刑務所に5年間収容されたのち、2011年に釈放されたDiab Serriya氏によると、2006年にSerriya氏が収容されてから釈放されるまでの間に、300人だった収容者は900人にまで膨れあがったとのこと。収容者の多くはサラフィー・ジハード主義者やイスラム過激派として、アメリカのイラク占領に対して戦ってきた人々で、テロ行為に関与したとして15年の禁錮刑が言い渡されました。そのため、Sednaya刑務所は社会復帰のための施設ではなくジハーディストの養成機関のような形になっており、囚人の中には「Sednayaは5つ星の刑務所」と表現する人もいるそうです。

また、シリア情報当局は刑務所の中にいる過激派とつながりを作って行動を監視している、とも語られています。さらに、2016年現在もアサド政権のインテリジェンス・アドバイザーであるアリ・マムルーク氏が2010年に、アルカイダのメンバーについて「原則として、我々は彼らを即座に攻撃したり殺すことはしません」「その代わりに、彼らの中に潜入して、適した機会にのみ動きます」と語ったことから、アサド政権側が過激派組織に通じて指示を送ることもできる状態にしているとも見られています。

例えばアルカイダの末端組織のリーダーであるNadim Baloushは2006年にラタキアという場所で逮捕されましたが、その際に、「何もするな。私はアースィフ・シャウカトのために働いている」と話していたとのこと。アースィフ・シャウカトはアサド大統領の義理の兄である人物です。

アサド政権の元判事は「ISにいる司令官の約半数はアサド政権と関係しつつ動いている」と語っており、元安全保障部門だった別の亡命者はその数を「3分の1」と述べています。ラッカにいるISのトップのほとんどがシリアの情報当局と通じている、というのが元職員の見方です。

◆シリア騒乱と囚人の解放

そして、アレッポの中央刑務所にいる過激派の多くが看守と「円滑な」関係にあるという話も出ています。アレッポの中央刑務所にはSednaya刑務所からやってきた人や、そのほかの政治犯用刑務所から移された人々が集まっており、アルカイダのメンバーも多く存在しました。

2011年3月15日より始まったシリア騒乱は、反体制派とシリア政府軍の武力衝突として知られています。政治活動家のAbdullah Hakawati氏は、シリア騒乱を起こした反体制派として逮捕された人物の1人。当初、Hakawati氏はこん棒や鉄の棒で叩かれたりと拷問されていましたが、見せしめ裁判の結果、テロ行為に関与したと有罪判決が下されると、アレッポの中央刑務所に入れられることになりました。

Hakawati氏は当時のことについて「私は初めてアルカイダの出である人と対面しました」と語っています。Hakawati氏は2011年の春にアレッポで反体制派を率いましたが、過激派ではありません。そんなHakawati氏を見て、「お前は祈りが足りない、無神論者だ」とアルカイダのメンバーはHakawati氏に殺しの脅迫をしてきたとのこと。



by AMISOM Public Information

シリア騒乱を率いた一人であるHakawati氏のような「一般市民」は看守と円滑な関係にありませんが、過激派の中核メンバーはスマートフォンの所持を許され、インターネットにアクセスできたほか、口ヒゲを生やしたり、食事を自分のもとにまで持ってくるよう指示できたりなど、かなりの特権を持っていました。そして政治活動家が当局ともめると、アルカイダのメンバーが活動家を看守たちから守ることができたとのこと。「彼らは実質上、刑務所の運営者でした。彼らにとってはパラダイスのようなものです」とHakawati氏は語っています。

対立することも多かった政治活動家と過激派ですが、その5週間後には、刑務所を実質的に取り仕切っていたアルカイダの中核メンバーらが、Hakawati氏の仲間5人を過激派に引き入れます。そして後に、アサド政権は刑務所に収容されていた1000人以上の元アルカイダメンバーを解放しました。

アサド政権は反体制派の開放について「活動家たちの要求に応えた」と述べていますが、 Naser氏は「シリアの革命の初期に彼らを解放したのは、自国の軍国主義化を確立するため」「そして革命を犯罪行為に仕立て、自分たちがテロリストと戦っていると印象づけるためです」と語っており、アサド政権が自分の政治的もくろみに過激派たちを利用したのだと主張しています。

Sednaya刑務所から開放された元収容者の多くが、2016年現在、過激派組織のトップの位置に存在します。元情報当局の職員や元囚人の言葉によると、刑務所は囚人たちの持つイデオロギーのレベルによって分けられており、最も過激なイスラム教主義者は2つある独房のいずれかに入れられるようになっていました。そして、かつて独房に入っていた人の多くは現在ISでリーダーシップを取っているとのこと。また、アル=ヌスラ戦線アハラール・アル・シャーム・イスラム運動といった武装組織に入る人も多く存在します。

刑務所であるSednaya刑務所を出たということが、ちょうど大学で学位を授与されたことのように機能し、彼らは急速に地位を向上させ、リーダーシップを取るようになったのです。「Sednaya刑務所を『卒業』した人は、確実にシャイフにまで上り詰めることができます」とまで言われてます。

シリアの情報当局は元拘留者の情報を大いに引き出し、彼らの1人1人管理することに成功しました。政治活動家は、囚人の解放は「革命をつぶすためのアサド政権の計画だった」と見ています。「アサド政権は革命のイメージを歪めるのに大きな成功を収めました。今や、戦いは非宗教的なイスラム過激派グループの間で起こっているように見られているのですから」とDiab Serriya氏は語りました。