(本記事は2016年11月28日に公開されました)

 プーチン大統領と安倍首相の日露首脳会談が12月15日、安倍首相の地元である山口県長門市の老舗旅館で行われます。

 そのことが決まってから、大方の日本のマスメディアは、北方領土返還の進展が大いに期待できるようなニュアンスの記事を書いてきました。その根拠は主に以下のようなものです。

「ウクライナ問題で国際社会の制裁下にあるロシアは、日本の経済支援を必要としており、領土問題で妥協する可能性が高い」

「安倍政権は従来の4島一括返還要求から、とりあえず歯舞・色丹の2島返還を先行させ、択捉・国後については継続協議とするよう方針転換を決めたようだ」

「プーチン大統領はもともと2島返還には合意している」

「プーチン大統領を安倍首相の地元に招待するということは、両国間で領土問題での合意が決定しているのだろう」

 こうしたことから、日本では「最低でも2島返還で平和条約」というのが既定路線かのような雰囲気になりました。日本側からは、すでにそれを前提にロシア側への見返りとしての経済協力プランが提案されており、ロシアもその経済協力には当然ながら乗り気になっています。

 そして、それに対し、さまざまな議論が日本では出てきています。たとえば「2島だけでは不十分。2島に加え、さらにどれだけ要求を呑ませられるかが重要だ」、あるいは「2島だけで終わってしまう恐れがある。たとえ交渉が進まなくても、あくまで4島一括を要求すべきだ」等々です。

 これらもまた、いずれも「最低でも2島返還は確定」が前提での議論です。

(筆者による参考・関連記事)
「プーチンに北方領土返還の意志はない 日本本の外交弱者ぶりを示す安倍首相の『プーチン詣で』」
「『プーチンは2島返還で決着したがっている・・・』 根拠なき定説はなぜ生まれたのか」

ロシアが「2島返還で決着」と明言したことはない

 しかし、そもそも「最低でも2島返還は確定」は先走りだったようにみえます。

 APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の開催国・ペルーで安倍首相と会談したプーチン大統領は11月20日の同地での会見で、日露間の経済協力を進めることを強調しつつ、北方領土については「ロシアが主権を持つ領土だ」と明言しました。2島返還すらも完全に否定したかたちです。

 安倍首相もまた、領土問題での楽観論を軌道修正するかのように「大きな一歩を進めることはそう簡単ではない」と語りました。

 これはつまり、「プーチン大統領が2島返還で決着したがっている」という日本側の認識そのものが間違っていることを意味しているのではないでしょうか。2島返還で決着したがっているのであれば、少なくともこの時点で、北方領土全体がロシアの領土だと強調することはないでしょう。

 じつは、ロシア側はこれまで一度も公式には「2島返還で決着したい」と明言していません。ただし、日本側の度重なる領土交渉の要求に対し、注意深く明言を避けつつ、妥協を匂わせるような言動を繰り返してきました。それを日本側では、政府もマスメディアも疑うことなく、「プーチン大統領は2島返還で決着したがっている」と希望的観測で信じてきた・・・そんな構図だったようにみえます。

在日ロシア大使館員が語っていたこと

 筆者はかつてこの北方領土問題について、ロシア側を取材したことがあります。古い話ですが、当時の取材でとても印象深い言葉が心に残っています。

「どうして日本は、南クリル(北方領土のロシア側呼称)に固執するのですか? 戦争でロシアの領土になったものを、返すわけないじゃないですか。私たちは日本政府当局者や日本人記者の顔を立てて、表面的には話を合わせていますが、もちろん何も約束する気はないのです」

 これは、もう20年も前の1990年代半ばに、筆者が在日ロシア大使館員から直接聞いた言葉です。

 筆者は90年代のはじめ、ゴルバチョフ政権からエリツィン政権にかけて、2年間だけですがモスクワに居住して取材活動を行っていました。当時から日本では、ゴルバチョフ政権の開放政策、ソ連崩壊、エリツィン政権時の経済破綻と向かうなかで、北方領土返還を期待する論調がたびたび浮上していました。しかし、筆者は複数のロシア当局者を取材して、その可能性がないことを確信し、何度かそのことを指摘する記事を発表しました。

 上記のロシア大使館員の言葉は、エリツィン時代の話です。当時も93年の東京宣言や、97年のクラスノヤルスク合意などで、日本では領土返還への期待が高まっていました。しかし、そうした水面下で、ロシア側の「中の人」はこんなふうに考えていたのです。もちろんあくまで一介の外交官の考えにすぎず、ロシア政府トップの考えは分からないのですが、少なくとも当時のロシア外務省の現場では、それが「共通認識」だったように思います。

常に日本はいい方に解釈

 何も約束する気はない・・・その言葉を思い返しながら日露交渉をみると、合点がいきます。いくつもの合意や宣言が出るたび、日本では「交渉進展」と報じられるのですが、ロシア側は一切、具体的に返還を約束することはありませんでした。交渉進展とはあくまで表面上のことで、領土返還は1ミリも進みませんでした。

 その後、プーチン政権になって、再び日本側の期待が高まりました。2001年のイルクーツク声明で「日ソ共同宣言が平和条約交渉の基本となる法的文書であることを確認」と明記されたからです。1956年の日ソ共同宣言は、平和条約締結後の歯舞・色丹2島の引き渡しが明記されていました。

 これを日本側は「プーチン大統領は2島返還には合意」と受け取りました。しかし、ロシア側からすれば、日本側が4島一括返還を要求しているなかでは、ほとんど意味を持たないものです。しかも、イルクーツク声明には「相互に受け入れ可能な解決に達することを目的として」との一文も明記されましたが、これによりロシア側には、過去の日ソ共同宣言を認めはするものの、現時点で相互に受け入れ可能な解決でなければならないとの逃げ道ができました。

 それ以降、プーチン政権はしばしば日ソ共同宣言に言及してきました。それを日本側は、やはりプーチン政権は2島返還したがっているものと解釈しました。

 しかし、プーチン大統領は日ソ共同宣言に「言及」するものの、決して「2島返還で平和条約を結びたい」と明言することはありませんでした。「返還」とも決して言わず、「解決を」とのみ語りました。日本と交渉する際は常に「双方受け入れ可能」「新たなアプローチ」といった言い方をしました。

 これを日本側は「日本の4島一括返還への批判で、2島返還にしろという意味」だと考えましたが、ロシア側は決して「2島返還にすべし」とは言っていません。このように注意深く言質をとられることを避ける言い方には、もちろんそうした理由・意味があるものですが、日本側はそれを直視しなかったのではないでしょうか。

プーチンは約束を避けつつ日本に話を合わせているだけ

 しかも、ロシア側の発言はたいてい、日本政府や日本メディアの側がロシア当局に働きかけて、それにロシア側が応じたものでした。ロシア側が積極的に日本側に領土交渉を持ちかけていたわけではありません。

 つまり、プーチン政権に至っても、ロシア側は基本的には前述したロシア大使館員の言葉のように、「約束は避けつつ、日本側に話を合わせているだけ」なのです。「プーチン大統領は2島返還で決着したがっている」というのは、あくまで日本側が日本側の思い込みだけで納得しているものであり、ロシア側では通用しないものではなかったのではないでしょうか。

 筆者の知るかぎり、ロシア政府内で2島返還を明言した人物は皆無です。唯一、元駐日大使だったアレクサンドル・パノフ氏が、複数の日本のメディアに対して2島返還の可能性を示唆しています。彼には彼が本国の外務省で局長だった頃に筆者も一度取材したことがあるのですが、長くロシア外務省で対日交渉を担当していた人物であり、現役ではないもののロシア当局の内情をある程度知り得る人物ではあります。ただ、すでに現役を離れており、現在のプーチン政権の考えを代弁する立場にはありません。

 また、元外務次官のゲオルギー・クナーゼ氏も2島返還の可能性について語ったことがあります。この人物も外務次官時代に取材したことがありますが、彼は外交官というよりは学者で、とくにプーチン政権の外交戦略の内情を知る立場にありません。

 少なくとも日本のメディア報道では、匿名も含めてロシア当局者の具体的な証言がないまま、日本の当局者あるいはその周辺の関係者の証言を中心に、北方領土交渉の情報は発信されてきたようにみえます。

ロシアが「主権」を放棄することはない

 筆者は、日露交渉を担当している日本政府の外交当局の努力を否定するつもりはありません。本稿も、領土問題はこうすべしというオピニオンを主張するものではありません。

 ただ、いずれにせよ正確な情報の認識は必要だと思います。その情報分析において、日本側は複数の目を持つべきでした。「プーチン大統領は2島返還で決着したがっているのではないか」と同時に「プーチン大統領は1島たりとも返還する気がないのではないか」との視点です。

 プーチン大統領の本心は本人にしか分かりませんが、考えられることを複眼的に検討することは重要です。そうしてプーチン大統領やロシア側要人の言動を検証すれば、彼らが返還をまったく考慮していないことが窺えます。たとえば、プーチン側近のマトビエンコ上院議長も、来日中の11月1日の会見で「引き渡し交渉は行われていない」「主権を放棄することはない」と語っています。

 プーチン大統領本人もかねて「領土は売り渡さない」と繰り返し明言しています。日ソ共同宣言については、宣言に書かれた2島の「引き渡し」は「返還」を意味するものではなく、2島の主権については書かれていないなどと語っています。

 ロシア主権は譲らないとの意思表示ですが、引き渡しても領土のままなどというのも妙な話で、意味不明の屁理屈にしかみえません。屁理屈を使う理由は、誰でもたいていは「言い逃れ」です。

 ちなみに、日本側でも「ロシア主権下の引き渡しなら可能」と考える人もいますが、それもまた希望的観測です。プーチン大統領が積極的にそうしたがっている徴候はありません。

 彼は11月20日のペルーでの会見でも「どのような根拠で、誰の主権の下に置かれ、どのような条件で返還するかは書かれていない」と発言していますが、要するに日ソ共同宣言をかつて認めてしまったものの、それに基づく措置を実際には履行する気がないということかと思われます。

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筆者:黒井 文太郎