自動運転車のイメージイラスト。(画像:いらすとや)

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 既に報じられているように、Googleは過去7年に渡り進めてきた自動運転車(セルフ・ドライビング・カー)の開発を凍結、新たな子会社WAYMOを設立してプロジェクトを大幅修正の上、移管するという。

 もちろん、何も完全自律型のセルフ・ドライビング・カーを開発しているのは世界でGoogleだけというわけではないので、これで車の世界の未来予想図が全て塗り替わってしまうというわけではない。だが、この一事が将来に渡って自動車産業にどれくらいの影響を及ぼすことになるのか、それもまた測り知ることは難しい。

 ちょっと、思考実験をしてみよう。政治・経済・法制等々の面からの実現可能性は、ここでは考えなくていい。まず、この世界の、現在走っているすべての車を、使用禁止にし、廃棄する。しかるのち、それに代わるものとして、人工知能を搭載した自動運転車を全地球的に導入する。つまり、地球上のすべての車をセルフ・ドライビング・カーにしてしまう。すると、どうなるか?

 世界の交通事故死者数は現在、年間125万人(2013年、WHO)だそうだ。それが、確実に減る。ゼロにはなるまいが、何しろ、自動運転車は居眠りをすることも、飲酒運転をすることも、高速道路を逆走することもないのだ。

 Googleの実験車両やテスラの運転補助システムが事故を起こした例はあるが、断片的な情報をつなぎ合わせる限り、その普及にはほど遠い現時点においてさえ、AIの運転技術・安全管理能力は既に平均的な人間の能力を超えているようであるから。

 思考実験を続けよう。事故が激減するだけではない。我々はもう、車を「所有」する必要がなくなる。すべての人が、すべての車をシェアリングするのだ。何せ、走っている車は全て自動運転車なのである。どこへ行くにも、適当な車に乗るだけでいい。帰りは別の車でいい。我々は、ただ後部座席に座るだけでいい。そう、ピックアップ・トラックで牧場に運ばれる羊のように。

 この先はもはや思考実験ですらなく、一種の哲学的問いかけである。このような世界でも、我々は車を必要とする。我々は移動しなければならないからだ。だがこのような世界において、車は、人工知性体は、もはやハンドルを握ることも、ブレーキを踏むこともない我々を、何のために必要とするのだろうか?

 この問いへの答えは実のところどうでもいい。どんな答えを提示しても、サイエンス・フィクションのプロットにしかならない。しかし、ここまで極端な超長期的予想図を描いて初めて、ようやく考えることのできるセルフ・ドライビング・カーの根源的問題がある、ということを、ご理解いただけるであろうか。

 我々の未来において、結局のところ車とはいかなる存在になっていくのか。我々はこれから車をいかなる存在にしていくのか。考えなければならないのは、そういうことだ。

 Googleが、自ら開発した自動運転車のブレーキを踏みこまなければならなかったのも、究極的には未だこの問題に対する回答を用意できなかったからではないか、と筆者は愚考する。