京都は、日本だけでなく、世界でも最も人気の観光地となっている。

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保存状態が非常に良い歴史ある建築物がたくさんあるのに、その都市の風貌は現代化が進んでおり、中国の王朝・唐(618-907年)の時代の雰囲気を味わいながら、街のあちこちで世界文化遺産を見学できる。そんな京都は、日本だけでなく、世界でも最も人気の観光地となっている。(文:胡俊凱。瞭望東方周刊)

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■1000年以上の歴史誇る京都は中国の唐とつながり
唐の首都・長安城にならって建設された平安京(現在の京都市街)は794年に、日本の首都として機能するようになった。地形の違いから、平安京の規模は、長安城の3分の1にすぎないものの、全体的な構造は基本的にそれと同じで、南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路(坊)と東西の大路(条)を碁盤の目状に組み合わせた左右対称の方形型都市だ。

当時の平安京は、左右に左京・右京(内裏側からみての左右になる)を置き、左京は唐の洛陽城を、右京は長安城を模倣して造られた。その後、右京は地形などの原因から住むのには適さず、少しずつ廃れ、京都は洛陽城を模倣した左京を中心に発展するようになった。それらを背景に、「洛陽」のなごりが残る地名が、京都には今でもたくさんある。

中国で大規模な都市計画造りに携わっている東京経済大学の周牧之教授によると、京都の古城は、唐の長安城にならっているものの、城壁がないという点は大きく異なっている。木造建築をメインにしながら、城壁がないものの、京都は古代中国の多くの都市のように焼き打ちに遭って滅びることはなかった。実際には、日本でも昔、戦争が多発し、京都に住んでいた天皇はいつも武力による十分の保護を受けることができず、その権力を奪われることさえあった。そんな日本で、京都が攻撃にあって滅びることなく、今日までさまざまな建築物が保存されてきたことから、日本人がいかに京都の文化を高く評価しているかがうかがえる。第二次世界大戦中も、京都は多くの文化遺産があるため爆撃を避けることができた。

■日本はどのように文化遺産を保護?
京都には多くの魅力ある文化遺産がある。京都市文化市民局・文化財保護課の西森正晃課長は、「京都市の文化遺産は、日本の首都であった京都が1000年以上かけて積み重ねてきた歴史の賜物。伝統ある建築物は、京都の文化を継承する上で重要な地位を占める。建築物がこれまで継承されてきたのは、各時代の法律・法規によって守られて来たから」と説明する。

明治維新が起きて以降、日本はすぐに文化財の保護を始めた。例えば、1897年、日本は、「古社寺保存法」を制定し、神社やお寺など、歴史ある建築物の保護を進めた。1900年になり、京都市は都市景観の保護計画を実施した。そして、19年に、日本は「都市計画法」を制定し、京都では24年から、建築物の高さ制限が行われるようになった。

第二次世界大戦後も、日本は京都や奈良などで古都・古城の保護を進めた。50年、日本は、カギとなる文化遺産を保護するために、文化財保護を目的とした唯一の法律である「文化財保護法」を制定した。また、66年には、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(古都保存法)」を、翌年には同措置法の「施行細則」を制定した。

京都の世界文化遺産を見学していると、そのほとんどが細かい所にまで気が配られ、柵やイス、路地などには、できるだけ、砂や石、竹、木などの自然の材料が使われているため、全てが一体となっていることに気付いた。最も人気の金閣寺や清水寺の周辺では、土産屋などが多く、商業化の雰囲気が濃いものの、世界文化遺産に指定されている龍安寺、仁和寺などには、「世界文化遺産」という立場を誇示する看板や表示はなく、中で土産を買うのにも店をわざわざ探さなければならないほど商業施設は少なく、世界文化遺産とは思えないほどとても地味な存在だった。

■古都をどのように現代化?
ここ100年、京都の都市発展が現代化に直面しているのを背景に、同市の都市発展は、土地柄に合わせて制定されている、以下の3つの方針を基に行われている。

一、「保存」。1930年、京都市は北部の山間区のほとんどを「風致地区」に指定し、自然景観を保護してきた。金閣寺など、多くの世界文化遺産が都市の北部に位置し、同制度があるため、京都市の北部へ向かう開発は抑制され、北部の山間部の自然景観や文化は非常に良い状態で保存されて来た。

二、「再生」。京都は、旧市街を封鎖することも作り変えることもせず、秩序立てて「再生」している。前出・西森課長によると、京都は、旧市街地の建設規制を数々制定し、建設・開発業者が勝手に建設を進めることができないようにしている。例えば、新しい建築物の高さや外観、広告などには厳しい規制がある。細かく、具体的な都市発展規制があるため、京都の景観が秩序立って守られ、道も広く整っている。

三、「創造」。京都は主に、南部に向けて拡張しており、そこに多くの新産業やニュータウンが集中している。京都の文化・教育・産業は非常に発達しており、人口はわずか100万人ほどであるものの、40以上の大学があるほか、オムロンや京セラなど、世界を牽引するハイテク企業がこの街で誕生した。大阪や神戸の大企業が本部を東京に移す中、これら企業は京都にしっかりと根付いている。

専門家は、「現在、中国の多くの都市が古城の修復や再建を行っているものの、ハードウェアに偏重し、文化の継承がおろそかになっている。京都は、古代建築の風貌を保存しながら、伝統文化も受け継いでいる。例えば、京都は、京うちわ、京小紋(きょうこもん)などを代表とする伝統文化工芸産業が非常に発達している。これら有形、無形の文化財が今の京都の魅力を作り出している」と分析している。(提供/人民網日本語版・編集KN)