名匠オタール・イオセリアーニが語る:言葉とは"実存の音楽"

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『月曜日に乾杯!』のオタール・イオセリアーニが、反骨精神たっぷりの最新作『皆さま、ごきげんよう』について、死生観、ロシア映画の歴史、フランシス・フォード・コッポラとの逸話を交え、ユーモラスに語った。

『皆さま、ごきげんよう』は、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンなどで数々の賞を受賞してきた名匠オタール・イオセリアーニ監督が、混沌とした社会で生きる個性豊かなパリの住人たちが織り成す日常を、反骨精神たっぷりのユーモアで綴った人生賛歌。82歳になった現在も、衰えるどころかさらに軽やかに鋭い視点で人間の営みを見つめ続ける名匠が、自由気ままにノンシャランと最新作について語った。

-イオセリアーニ監督は、どんなに厳しい状況でもユーモアをもって自由に生きることの素晴らしさを表現されてきましたね。しかし、今回の映画は普段より死の描写が多く、これまでの作品群に比べ悲痛なものを感じたのですが、何か心境の変化があったのですか?

本当に死んだのは一回だけですよ。冒頭のギロチンのシーンです。自然死をする人は一人も描いていません。

-戦争のシーンで、たくさんの兵士たちが倒れていましたが?

戦争で死ぬのは当然のことです。兵隊が戦争に行くときは、殺されることを覚悟しています。私が示したのは戦争のカリカチュアです。戦争の中で次々と兵士が死んでいき、戦に勝利した人々は女性たちをレイプする。これは昔の戦争の伝統です。しかし全体はリディキュラスです。戦争に勝った人が襲撃した家のマカロニを食べますが、すなわち彼らも餓えていたんです。彼らはマットレスや絨毯を盗みますが、どれも役に立たないものばかりです。しかもレイプするのも歳をとった女性です。あまり面白いことではないですよ。その後、兵士たちは並んで川の中で洗礼を受けます。そこにはグレゴリオ聖歌が流れている。その後、みんなで街を焼き払います。

その後は、日常生活の戦争が始まります。そこには感じの良い泥棒がいる。感じの悪い警官がいる。感じの良い浮浪者がいる。そして年老いた人々のかつての恋愛話が語られる。それがこの映画の全てです。


(C) Pastorale Productions- Studio 99

-79年に活動の拠点をフランス・パリに移して以降、外国で映画制作を行っていますね。当時の状況を詳しく教えていただけますでしょうか?

ソ連当局に言わせると、私の映画は"許されないこと"だそうです。当時の検閲はとても厳しかった。それは冷酷なほどの検閲でした。しかし、検閲をする人々も人間です。検閲する人々は私のことを監視していて、私が彼らの抑圧に屈するかどうかをうかがっていたんです。当時、国家が予算を出して映画を作らせていたので、反ソ連的な映画を作ることは不可能でした。なので、私が作っていた映画は"アンチ・ソ連的"な映画ではなく、"ア・ソ連的"な映画でした。つまり、ソ連が不在の"非ソ連的"な映画ということです。私は、あたかもソ連が存在しなかったかのような映画を作っていたんです。上映禁止になるという絶対的な確信もあったけれど、映画を完成させる猶予は与えられました。

検閲と当局は、屈服する人々を嫌っていました。つまり、生き延びるために嘘をつく人たちです。彼らが好きだったのは、ゲオルギー・シェンゲラーヤ、アンドレイ・タルコフスキー、グレブ・パンフィーロフ、アベル・バッハ、グレゴリー・チュフライ。それだけです。しかし、ソ連で自分の映画が上映禁止になること、それは人々から尊敬されることでもあるんです。しかし、実際の生活はといえばひどい状況でした。自分のした仕事に対して給与が支払われることはありませんでしたからね。


(C) Pastorale Productions- Studio 99

ロシア映画というのは、ボンダルチュークの映画、ゲラシモフの映画、ピリエフの映画と、共産主義の栄光を讃える映画ばかりです。私の映画は4本続けて上映禁止になり、国から「もう十分だろう、外国に行け」と言われたんです。外国に行けばその後も外国に住み着き、永久に戻ってこないだろうと思ったんでしょう。しかし私は、フランスで『月の寵児たち』と何本かの短編を作った後、再びグルジアに戻りました。当時権力の座に着いていた人たちは歯ぎしりをしましたよ(笑)。

そして、ペレストロイカの時代が始まったのです。映画はもはやプロパガンダである必要はなくなり、映画に対して補助金も出なくなりました。全ての撮影所は閉鎖状態に陥り、撮影所の中庭にはお腹をすかせた野良犬しかいませんでした。私は映画を撮り続けたいと思っていたので、再びフランスに戻りました。そこで『そして光ありき』を撮り、それから再び旧ソ連に戻りました。映画の存在しない場所です。それから再びフランスに戻り、『蝶採り』を撮ったんです。

現在、国家から映画作りの資金を得られるのは、プーチンに奉仕している人だけです。面白いことに、ニキータ・ミハルコフはプーチンの親友になりました。あまり尊敬できることではありませんね(笑)。ニキータの父はセルゲイといって、ロシア国家の作詞をした人です。ミハルコフには才能があるし、弟のコンチャロフスキーにも才能がある。しかし、"生まれ"が悪かったですね。彼らが権力に媚びてしまうのは、権力が取り巻く宮廷の人々の間で生まれたからなのです。

キルギスの監督でタラムシュ・オケエフという人がいました。彼は逆の意味で生まれが悪かった。つまり、彼の家族は権力もなければ権力におもねる家族でもなかった。私同様、彼が作った映画も上映禁止になりましたが、それでも彼は作り続けました。ところがトルコに行った時、彼は在トルコのキルギス大使になっていました。これには本当に驚きましたよ。彼も、グルジア人だったら映画を作り続けられたろうに。彼は55歳で亡くなりました。素晴らしい映画を2本残してくれました。そのうちの1本はロシア語で"容赦のない"という意味で、人間の中に入り込んできた1匹の狼の話だった。とても面白かったですよ。

残念ながら、トルコには映画産業がなかったんです。一人だけ、ヨーという名前のトルコの映画作家を知っていますが、彼は投獄されました。しかし彼は監獄の中でも映画を作っていましたよ。「脚本を折り紙にして窓から飛ばしているの?」と聞いたら、怒っていましたね(笑)。

そういえば、ソ連にも映画作家でありながら偉大な紳士がいました。ボリス・バルネットです。彼の映画の基盤にあったのはセルゲイ・エイゼンシュテイン、『戦艦ポチョムキン』(1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描いたロシア映画)です。エイゼンシュテインは、革命や共産党、スターリン、強い人を讃える映画を作っていました。『戦艦ポチョムキン』は映画史に残る傑作とされていますが、実は嘘の塊なんですよ。まず、実際に歴史上で蜂起したのは海軍の士官であって水夫ではなかった。オデッサの階段の上で民間人が殺されたという事件も実際は起きていない。それと蜂起の原因は、肉が腐っていてウジ虫が湧いていたというものでしたが、ロシア海軍の食事の状態は極めて良かったんです。あの映画は嘘だらけなんですよ。ただし、撮影も編集も素晴らしかった。


『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段の虐殺シーン。

ドイツでは、ヨーゼフ・ゲッベルス(ナチス党政権下で活躍した初代国民啓蒙・宣伝大臣)がレニ・リーフェンシュタールに指示して映画を作らせましたね。第三帝国の栄光を讃える映画です。素晴らしい撮影技術でしたが、当時ユダヤ人がポグロムで大虐殺されていたにも関わらず、そのエピソードのかけらも入っていない。こればかりは、レニ・リーフェンシュタールを悪女だと言わざるを得ませんね。映画作家にとって、うまい撮影ができることは絶対的な条件ではないんです。必要条件と十分条件が2つ揃わないといけないのが数学ですが、映画作家の必要条件は誠実、正直であることです。十分条件はうまく撮影ができること。つまり、十分条件だけでは映画監督としては失格なのです。

-この映画の原題は、グルジア民謡の『冬のうた』だと聞きました。さまざまな楽曲が本作を彩っていますが、それらはただの映画音楽ではなく、ストーリー語るための音楽という印象を受けました。

私にとって、言葉は音楽です。映画というのは、字幕なしでもわからなければいけません。人々が口を開くのは、そこから何かが出て来るからですが、その口から何が出て来るかは、私にとって重要ではないんです。そこに大した情報はないのですから。その人物の"実存の音楽"が出てくるだけです。

私が好きな音は、雰囲気や雑音です。時にはノイズを強調します。音楽が鳴る場合は、フレームの中でその音がどこからきているか見えなければいけないと思います。例えば戦時中のシーン、盗めるもの全てを盗んだ後、一つのピアノに向かって一人の兵士がピアノを弾いている。罪深き聖職者が兵士たちに洗礼を与えるシーンでは、テープレコーダーからグレゴリオ聖歌が流れてきます。かつて恋人同士だった老人2人が、グラムフォンから鳴る音楽を電話越しに聞くシーンもある。こんな具合に、音楽の音源がどこからきているかを必ず示しています。私の映画の場合、どこかわからない空から音楽が聞こえてくることはありません。ただし、エンドクレジットにはオリジナルの悲しい曲を流しました。


(C) Pastorale Productions- Studio 99

最初から最後まで何かしらの音楽が鳴っているようなテレビ番組やアメリカ映画などと、私の映画は全く違うんです。私にとって、言葉も音も雑音も音楽も、全て並列に映画の要素なんです。偉大な作曲家の音楽を映画に使うことは一切しません。

フランシス・フォード・コッポラの話をしましょう。普通に映画を作る力がない監督の場合、映像に重みを持たせるために壮大な音楽を使います。『地獄の黙示録』では、ベトナムを爆撃するヘリコプターが飛んでいるシーンに、リヒャルト・ワーグナーのワルキューレが流れます。あれは、ヘリのエンジン音だけで十分だったと思いますよ(笑)。

私はコッポラの家に行ったことがあるのですが、彼は素晴らしいワインセラーを持っています。そこにはたくさんのワインの樽があって、フランシス・コッポラという自分のポートレートのラベルが貼られたワインもあります。そのワインセラーの上には録音スタジオがあって、彼は80デシベルの大きな音を出して私に聞かせてくれました。私は、「フランシス。知ってるかどうかわからないけど、ワインは音が大嫌いなんだよ」と言ったんです。グルジアのワイン醸造所では、ワイン樽の近くでは底がフェルトの靴を履いて歩くくらい音に気をつけています。ワインというのはとても繊細でイライラが大敵なので、女性従業員も生理中は働かないくらいですからね。もちろんタバコの煙にも耐えられない。しかしコッポラは、ものすごい騒音を出しながら、葉巻を吸って、背が低いのでかかとが高い靴を履いてカツカツと歩くんです。何と言ったらいいんでしょう? これがアメリカ人です。

OTAR IOSSELIANI
オタール・イオセリアーニ 1934 年、グルジアのトビリシ生まれ。数本の短編映画を経て、62 年に中編デビュー作『四月』を制作するが、当局によって上映禁止となった。良質なワインの生産をめぐって工場側と対立する若い醸造技師の奮闘を描いた第2 作『落葉』(66)が、68 年のカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞と第1 回ジョルジュ・サドゥール賞を受賞。79 年に活動の拠点をフランス・パリに移す。『月の寵児たち』(84)、『そして光ありき』(89)、『群盗、第七章』(96)がいずれもヴェネチア国際映画祭審査員特別大賞を受賞し、『蝶採り』(92)は同映画祭PASINETTI 賞を受賞した。2002 年の『月曜日に乾杯!』はベルリン国際映画祭で銀熊賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞し、日本でもスマッシュヒットを記録した。初めて自身の実人生を重ねた半自伝映画『汽車はふたたび故郷へ』(10)など、自由で独創性あふれるその作品づくりで、世界中の映画ファンを魅了し続けている。

『皆さま、ごきげんよう』
監督:オタール・イオセリアーニ
出演:リュフュ、アミラン・アミラナシビリ、マチアス・ユング、エンリコ・ゲッジ、ピエール・エテックス、マチュー・アマルリックほか
12月17日(土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー。
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