「他人の年収」をスルーできたら富裕層の素質あり

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■他人はどうでもいい。自分が認める価値だけを信じる

前回は、ある興味深い調査(注*)で二者択一の選択肢があったとき、「年収の高さ」「身体的魅力」「IQの高さ」「学歴の高さ」などほとんどの項目について人は「絶対値(自分自信の基準)で選ぶ」のではなく「自分が(他者との比較などによって)相対的に高いほうを選ぶ」という傾向がある、というお話をしました。

例えば、

A:自分は収入が5万ドルで他のすべての人は収入が2万5000ドルの世界
B:自分は収入が10万ドルで他のすべての人は収入が20万ドルの世界

どちらを選択するかと問われれば、人より自分が多いAと答える人が多数派となったわけです。

ところが、この調査結果で「休暇」については傾向が全く違っていました。

▼1と2のどちらかの世界に住むとしてあなたはどちらを選びますか?
1. 自分は2週間の休暇で他のすべての人は1週間の休暇の世界
2. 自分は4週間の休暇で他のすべての人は8週間の休暇の世界

という質問に対しては18%の人しか1(自分が相対的に高い)を選ばず、大半の人は他者より休暇期間の短い2を選択しました。休暇に関しては相対的な量よりも、絶対的な量のほうが選ばれたのです。

(注*)サラ・ソルニック(バーモント大学経済学部アソシエイトプロフェッサー)とデビッド・ヘメンウェイ(ハーバード大学公衆衛生大学院教授)が、ハーバード大学の学生と職員に質問した(調査の詳細は、http://president.jp/articles/-/20185)。

「収入」はとにかく人より多いことが好まれました。一方、「休暇」に関しては自分が納得できる期間であれば、他人が自分より長い期間でも関係ない。

この結果が暗示することは、「正しいお金の使い方」です。

富裕層になれる人は不毛な競争消費に巻き込まれない

他人との比較なしに、「それ自体」(上記の場合、「休暇」)として満足を得られるものにお金を配分していくことは不毛な競争的消費に巻き込まれないためにも良いはずです。他人よりいいモノ・豪華なモノを持ちたいといった見栄を張らなくていいのですから、出費は少なくてすみますし、資産形成にも資する。私はそう考えます。

「休暇」にそれ自体の絶対的価値があるとすれば、休暇にお金を配分することはコスパがいいということになります。逆に言えば、休暇をとるために必要なコスト(たとえば、その分仕事量が減って収入が減少する)は「意味があるコスト」とも言えるのではないでしょうか。

では、「休暇」以外にも絶対的な価値があるものは存在するのか?

ウォーウィック大学教授のフレッド・ハーシュは、「positional goods」なる言葉に、次のような意味付けをしました。positional goodsとは、供給に限りがあり社会的希少性によって少数の人しか手に入れられないため、その時点で「相対的に所得が高い者のみが入手できる財」のことです。

このpositional goodsの考え方をコーネル大学ジョンソンスクール教授のロバート・フランクが受け継ぎつつ、別の概念・解釈を付加しました。ロバート・フランクは、positional goodsを社会的希少性ゆえに富裕層にしか手にはいらないものとするのではなく、「他人との比較によってはじめて満足できる地位財」であると定義したのです。これが、現在の「地位財」という言葉の定義になっています。

先ほどのサラ・ソルニックとデビッド・ヘメンウェイの調査の内容(絶対的価値と相対的価値)とかぶりますね。

●地位財=他人との比較優位によってはじめて価値の生まれるもの
(例:所得、社会的地位、車、家など)
●非地位財=他人が何を持っているかどうかとは関係なく、それ自体に価値があり喜びを得ることができるもの
(例:休暇、愛情、健康、自由、自主性、社会への帰属意識、良質な環境など)

■他人より高い収入を得たいのが、人間のDNA

フランクは、人がなぜ地位財を追求するかについて、「環境適応をめぐる進化の賜物だ」と説明しています(『目からウロコの幸福学』ダニエル・ネトル著)。われわれの祖先が子孫を残せるかどうかは絶対的な価値である「健康」ではなく、相対的な価値の「地位」に左右されてきました。つまり、自分にそれほど体力がなくても他者がそれより劣れば、食料も配偶者も得られるわけです。

つい地位財を追求してしまうのは、進化の賜物。避けられないことなのです。いわば、DNAに刻み込まれたホットな衝動(人間の衝動的な欲求を動かす「ホットシステム」)に突き動かされて我々は地位財の追求にまい進しますが、全員が全員に対して比較優位になる状況というのはありえません。

そして、我々はこの目の前の地位財という短期的な報酬を得ようというホットな衝動のために、非地位財の長期にわたる報酬を犠牲にしてしまいがちです。

どこかで同じようなことを聞きませんでしたか? そう、以前、お話したマシュマロテストです。マシュマロテストでは、たとえば目の前のケーキを食べるという短期的な報酬を得ることを断念して、健康を維持するという長期の報酬を手に入れることが求められました。これこそが理想的な対応でした。このことと同じことが、財・収入の配分(何にお金をかけるのか)という分野でも求められるのです。

地位財という目先の報酬を犠牲にして、それ自体に価値があり喜びを得ることができる非地位財という長期の報酬を手に入れる必要があるということです。

とはいえ、地位財を追求したいという誘惑を完全に克服することは困難です。ニューカッスル大学心理学部教授のダニエル・ネトルはこんな例を挙げています。

「自分の同僚のひとりが企業社会での生存競争に見切りをつけ、みずからの手でボートを作り、貧しいながらも悠々自適の暮らしを始めようとしたら、わたしたちはちょっと見下すことでしょう。けれども“自主性”と“所得”をまったくちがう見方でとらえることで、おそらく彼は今よりずっと幸せになるでしょう。ただ、位置的なもの(地位財のこと)を求めたいと思う誘惑を、克服しなければならないだけです」(同著)

非地位財を求めることこそが本質的な価値の追求につながるにもかかわらず、我々のDNAは我々に競争することや、地位財を追い求めることを強いてきます。

企業社会での生存競争から降りた人を社会の落伍者という見方で、あるいは低所得者という見方で評価してしまうのは、地位財のほうからの視点が働いているからに他なりません。

■富裕層は金銭に換算できないことを好む

我々は地位財の価値観の世界にどっぷり浸かっているため、身近な非地位財、例えば誰の指示も受けないで自分の暮らしを決めるという「自由」を満喫し、「自主性」を発揮できることをそれほど価値あるものとは思うことができません。しかし、視点を変えれば、この「自主性」こそがお金にはかえがたい意義のある非地位財であると気づくはずです。

非地位財の価値は、すぐに金銭に換算できないため外側から見ただけでは本当の価値をうかがい知ることはできません。元同僚が地位財の獲得よりも「自主性」に価値があると理解したからそう主張しているとしても、我々にはそれが「負け惜しみ」にしか聞こえない可能性もあります。

たとえばこんな例も考えられるかもしれません。

夜遅くまで残業して恋人にプレゼントを買うための高収入(地位財)を得る。それによって、恋人と過ごす時間(非地位財)がなくなってしまって、結局は破局する。

お相手である恋人は自分に対して地位財ではなく、非地位財を求めていたにもかかわらず、自分自身は地位財のほうが重要なように感じてしまい、大事なモノを失ってしまう。こんなケースは他にもたくさんありそうです。

金銭に換算することが難しい非地位財が地位財よりも大切だというのは直感では理解しにくく、地位財の追求をやめることは困難です。「お金は稼ぐよりも使うほうが難しい」といわれます。たいていの人は財を成すと地位財の追求に走ります。だからこそ、お金の哲学が必要とされるのです。

非地位財というものは世の中の財の中では希少で、その価値を見極めにくい特徴があります。また、非地位財は、地位財とは異なり新たに追加生産することもできません。ですから自分にとってそれは非地位財かどうか、という点を強く意識して、限りある財の配分を行う必要があります。休暇、愛情、健康、自由、自主性、社会への帰属意識、良質な環境などは地位財に替え難いものだと深く理解する必要があります。

繰り返しますが、非地位財に対してお金を配分していくこと。そのことが不毛な競争的消費に巻き込まれないことにつながり、結果的に資産形成への確かなステップとなるのではないでしょうか。

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(行政書士・不動産投資顧問 金森重樹=文)