DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」6回目のボヤきは「なんでも自分でやろうとしてしまう」です。

【今週のボヤき】

30代に入り、20代の頃に比べて仕事の範囲も広がってきました。いろいろなことができるようになって楽しくはあるのですが、どうしてもすべてを自分でやろうとしてしまいます。仕事が発生した時に、お願いする相手に説明したりチェックしたりする手間を考えると「自分がやったほうが早い」と判断し、つい自分でやってしまいます。結果、自分が大変になってしまいます。このままのやり方では、一定の水準は保ててもそれ以上は伸びないし、この先もっと仕事が増えた時に崩壊する気がします。結局、他人を信用していないのかな? とも思います。「自分でやった方がラクだから」と思って仕事をしてきたため、正直、他人への仕事のお願いの仕方もわかりません。

「自分でやってしまう」のはラクを選択しているだけ?

仕事もある程度のレベルに達すると、人に教えるより自分でやったほうが早いし確実だし何よりそのほうが楽なんですよね。

「自分でやってしまう」ということはがんばることを選択したわけではなく楽を選択したことになるわけです。

楽な道とは苦難を先送りにした道であり、その道の先にはいつか避けて通った苦難が山積みとなって待ち構えているもの。今苦難と戦うか、それともあとで戦うかの選択であって決して苦難から逃げ切れるわけではないんですよ。

自分のバックアップを育てることは必須

何でも自分でやってしまうと、自分にしかできないことが増えていきます。

自分自身が代わりのきかない人材になってしまうと私生活でイレギュラーがあっても簡単には休めなくなってしまうんですよね。

人というのは仕事をするために生きているのではなく、生きるための一つの手段として仕事をしているわけですから、仕事だけがすべてではないんですよね。

生きるために私生活を整備することも仕事と等しく大事なことですから、いつでも休めるように自分のバックアップとなる人材を育てておくことは必須なんですよ。

楽だからといって自分でやってしまうのは甘えであり、その甘えは自分の首を絞める行為にもなってしまうということです。

仕事はできて半人前、人材を育ててやっと一人前

「仕事ができる」ということ自体はまだそれほど価値のあるものではありません。仕事はできてやっと半人前、仕事ができる人材を育てる技術が備わってやっと一人前なんですよ。

自分は一人しかいませんが育てる技術があれば自分と同等の人材が三人四人と増えるわけですからね。

頭のよさというものは覚えるよりも教えることで備わるもの。実際にやってみればわかると思うのですが、人に教えていくプロセスの中で自分自身も多くのことを学んでいくものなんです。

今まで見えなかったものが見えてきたり、新しい疑問に遭遇してみたり、自分一人では発見できなかったであろうものが「教える」という行為の中にたくさんあるんです。それは自分をワンランクアップさせてくれるものになるはずです。

人に教えるということは面倒なことかもしれませんが、面倒なことの中にこそ自分を変えてくれるものがあるんですよ。