<「国境なき医師団」(MSF)の取材をはじめた いとうせいこうさんは、まずハイチを訪ね、今度はギリシャの難民キャンプで活動するMSFをおとずれた。まずアテネ市内で最大規模の難民キャンプがあるピレウス港で取材し、トルコに近いレスボス島に移動した...>

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消えてゆく青年を身代わりにして

 メモ帳に書かれた俺は、レスボス島東南部ミティリーニにある『国境なき医師団(MSF)』オフィスに戻っている。遅い昼食を港のケバブ屋でとり、コーラを飲んで喉はうるおっている。

 ただ、実際の俺は相変わらずカタール航空ドーハ発羽田行きQR812で東京に向かっている。機体はすでにインド上空やタイ付近を過ぎ、日本海に入ってきているところだ。そしてじっと隣に座っていた中東、もしくは西アジア出身らしき体の大きな青年は、いまや半透明の存在になりつつある。

 飛行機の中でメモ帳を開き、ギリシャで見てきたことを思い出すにつれ、彼は空気のように軽くなってゆき、向こう側まで透け、実体を失っていくのだ。俺はその奇妙な事実にとまどいながら、しかし一方では直感的に受け入れているのでもある。

 思い出すほど事実は遠のく。俺は帰国してから書き残したいことをメモ帳から選んでいくのだけれど、選ばれなかったささいな出来事がむしろ重要なのではないかと俺は感じている。けれど何かを削がなければ書くことにはならず、その度に削がれたなんでもない日常、出会った人々のちょっとした癖や空の色、鳩の飛び方などなどは、より強く世界から消されていく。まるで隣の青年のように。

 小説家の俺は彼をこそ消さずに現世に居残らせたいはずであるのに。

 だからといって俺は書くことをやめない。

 思い出すことを。

 消えゆく隣の青年への全面的な罪を背負ってガタガタ揺れながら。

取材へと向かうギリシャの俺

 OCB(MSFのオペレーションセンター・ブリュッセル)の借りた一軒家の2階でアダム・ラッフェルと再び会い、彼が運転するヒュンダイの小型車でカラ・テペへ向かった。

 方角としては東南部から海岸に沿って少し北上する形で、右側に延びる海の透明度は高かった。その日も日差しが強かったから、地元の家族が海水浴をしているのが見えた。そして海のすぐ向こうにトルコがあった。

 難民のボートが今出現してもいいのだ、と俺は思った。実際にそれは日々、次々に現れた。つまり海水浴の家族の目の前に。時には見ている間に沈み、死体となって浮いて打ち寄せる姿もあったろう。見てしまった者の心に、その悲惨な体験はこびりついているに違いなかった。

 数分行くと、車は右折した。

 そこがカラ・テペ難民キャンプだった。

 細い金網で出来たフェンスがいきなり左右にあった。車はその中央に作られた目の粗いアスファルトの坂をあがった。右にある空き地に車を止め、少しだけ緊張しているらしきアダムの後ろをついていった。

 すぐに左奥にコンテナが見えた。外側に色とりどりの魚やサンゴ、タコの絵が描かれていた。前に4つの小さなベンチがあり、一部はオリーブの樹の影の中に入っており、そこに4人の人が座っていた。彼らが順番を待っているのは、コンテナの中にいる現地ギリシャの管理者に話があるからだった。それは俺たちも同じだった。

 近づいていき、なんの気なしにコンテナの絵をスマホで写真に撮ろうとすると、アダムがそれを手で制した。難民の姿を撮影するわけでもないのにと思ったが、アダムは目で「頼む」と言っていた。おそらくコンテナの中の人物の機嫌を損ねるわけにいかなかったのだ。

 先にマリアという熟練の秘書らしき女性が出てきて、アダムにこう言った。


 「お返事遅れてごめんなさい。とても忙しいものだから」

 確かにコンテナの奥からは強いアラブ訛りで口々に何かを訴える者たちの声がしていた。俺たち極東からの取材者に許可を与える暇などないだろうことは推察された。だが、それをおしてアダムは俺たちをカラ・テペ難民キャンプへ導き、取材を実現させようと力を尽くしてくれているのだとわかった。写真撮影はつまり強引な取材の開始になってしまう。そこには微妙な交渉の機微があった。

 スタブロス・ミロギアニスさんという、立派なヒゲの生えたいかにも地方の偉い官吏といった感じの責任者に会えるまで、俺たちはコンテナの外で待った。白い砂利だらけの敷地にはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のコンテナ、世界の医療団のコンテナもあった。様々な援助団体が乗り入れているのだった。

 しばらく待つと、がたいのいいスタブロスさんが笑顔で出て来て、厚い手のひらでみんなと握手をし、「緊急会議があってすぐに出なければなりませんが、ようこそカラ・テペへ。どうぞ取材をなさって下さい」と大きな声で言った。

 そこでようやく俺たちは正式に受け入れられたのだった。

いとうせいこう