よのなか科・JK課“教えない教育”の誤解と本質

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「鯖江市役所JK課」をはじめ、さまざまな人たちが立場や世代を超えて一緒に試行錯誤するコミュニケーションの可能性を模索してきた若新氏。今回の対談相手は、かつて東京都初の民間人校長を務め、答えのない現代社会のテーマを議論する「よのなか科」を創設した藤原和博・奈良市立一条高等学校校長である。2人に共通するのは、「教える・教えられる」という関係性や教室のあり方を見直し、新しい学びを模索している点にある。「教えない」ことによる若者と大人の変化や可能性、さらにそれが企業組織にもたらす影響や価値についても語り合った。

■“詰め込み”は大事

【若新雄純】藤原先生は講演などで、「いまの日本は成長社会から成熟社会になり、『答え』というものがない。だから試行錯誤しながら独自の解を見つけなければならない」と話していらっしゃいます。そうした力をつけるために、先生から教えてもらう従来の詰め込み型の教育から、子どもたちが試行錯誤しながら自分たちで学ぶ教育へと変わってきていると。ただ、必要な学力をしっかりとつけるためには、あるところまでは知識の詰め込み型教育がとても大切だというお考えなのですね。僕も、中1くらいまでは詰め込みを徹底すればいいと思ってるんです。

【藤原和博】そうなんです。「教えない」という言葉には誤解があります。たとえば小学生のうちは、吸収力があるから、9対1で知識を詰め込めばいいでしょう。中学校では、いまは95%くらいが知識の詰め込み型になっているので、それを7割か8割に減らして、2〜3割は試行錯誤しながら能動的に学ぶアクティブ・ラーニングに振り分ける。高校ではそれぞれ半々くらいがいいでしょう。実際に高校の時間割を組んでみると、朝7時半から13時半までの授業で現在のカリキュラムをこなすことができます。14時から17時までの3時間はアクティブ・ラーニングに充てるか、もしくは部活でスポーツに打ち込む生徒がいてもいいと思っています。

とにかく、知識の詰め込み型かアクティブ・ラーニングかの二者択一の教育論は不毛です。僕は正解主義を批判していますが、否定はしていません。正解主義はあっていいと思っています。そうでなければ、日本の新幹線は秒単位で走りませんからね。小中高全体で考えれば、7割を詰め込み型、3割をアクティブ・ラーニングにするくらいがいちばん現実的で、かつ今の日本が崩れないバランスだと思います。

【若新】そう考えると、ある時点からアクティブ・ラーニング型の教育を一斉に増やしていくというやり方の導入が議論されてますが、あるタイミングで自分は詰め込み型かアクティブ・ラーニングかのどっちが好きかを選べたりすると面白いかもしれませんね。人によって向き不向きがありますし、ある一定の割合で正解主義の人材は必要だと思うんです。たとえば官僚で事務方のプロフェッショナルを目指したり、電力会社や鉄道会社など精密さを要する職場で働きたいような人は、小中高と一貫して知識を詰め込んで処理能力を高めてもらう。そうじゃない人は、別の道でも一流を目指せるというふうに。

■「教える」を手放すと、大人も学ぶ

【藤原】おそらく中学受験が選択のタイミングになるでしょうね。これは本人の選択というより、親が選んでしまっていますが、中学受験して私立の進学校に進み、東大や京大を狙わせる場合は、徹底して詰め込み型でいくわけです。いま私立の中高の多くは、子どもを一流大学に入れたい親たちの要望に応えるため、特色のない進学校になってしまいました。そう考えると、むしろ公立学校のほうが、思い切ってアクティブ・ラーニングに取り組む余地があると思います。

【若新】変化の余地は私立じゃなくて、公立のほうにあるわけですね。いま公立校の統廃合が進んでいますが、高校を偏差値順で上から縦に選ぶんじゃなくて、学び方の違いで横に選べるといいですよね。こっちの高校は詰め込み型だけど、あっちの高校は自分たちで試行錯誤しながら学べる。どちらのレベルが上か下かではなく、どっちが合いそうか、楽しそうかみたいな感じで。

【藤原】将来的には大学入試センター試験が知識や記憶力を試すものに加えて、思考力、判断力、表現力を重視する傾向が強くなり、文科省もAO入試を増やすよう大学を指導していく方針です。そういったことを考えても、僕は2020年代中にアクティブ・ラーニングを重視する高校が生まれると思います。ただ、そこで障害があるとすれば2つです。

ひとつは、先生というのは、基本的に正解を教えたい人なんです。ある問題を生徒に投げかけると、生徒が悩む。自分だけが解き方を知っていて、それを最後に教えたときに「先生ってすごい!」とリスペクトされる。これが喜びになるんです。逆に正解がない課題を扱うと、自分が輝けなくなってしまうんですね。

もうひとつは、背後にいる保護者の意識です。保護者は意外と偏差値にこだわっているし、序列を意識しています。普通の高校から普通の大学へ進学し、普通の会社に就職してうまくやってきたという自分の成功体験から、子どもにも同じような道を進ませようとする。けれども、もはやそれができない時代になっています。そこの意識を変えないといけません。

【若新】そういった障害はありますね。「先生は正解を教えたい人」という指摘は、僕がまさに次に話したかったことです。アクティブ・ラーニングというと、これまでどちらかといえば、教育を受ける側の子どもの学びが注目されてきました。でも、福井県鯖江市において実験的政策として行った「鯖江市役所JK課」で僕が意図したのは、メンバーであるJK(女子高生)の学び以上に、周りで関わる大人たちの変化や学びが生まれることです。

最初、市役所の職員や地域の活動家たちのなかには、女子高生たちに社会人マナーを教えたい、地域活動について指導したいという人がいました。でも僕がそれを禁止してもらったんです。最初、大人たちは戸惑っていました。教えてはいけないなら、大人の役割や価値はなんだ、って。

それでも続けていくうちに、職員の方たちが自分の変化を教えてくれるようになりました。“教えてあげなきゃ”と思っていた女子高生たちと時間をかけて向き合ってもらうなかで、答えのない問題を一緒に悩んだり、目線を合わせて考えたりしながら、みんなで新しいものを見つけていくファシリテーションができる大人が育ってきました。「教える」をやめることで、「教える」「教えられる」という関係では起こり得なかった、組織全体の新たな発展があるのではないかと思っています。

■生徒よりも保護者が喜ぶ!?

【藤原】いま若新さんが言ったような化学反応は、一条高校の「よのなか科」の授業でも起きています。よのなか科では、「ハンバーガー店の店長になって、どこに出店すると儲かるか考えてみよう」という定番のテーマのほか、自殺と安楽死の是非、少子化問題をどう解決するかなど、白黒つかないテーマを生徒たちが議論しています。

ここで何が起きているかというと、生徒よりも保護者のほうがこの授業を喜んでいるんです。保護者たちの感想には、「中学や高校でこういう授業を受けていたら、自分の人生は変わっていた」という声が多く聞かれます。また、正解のない課題を生徒たちと一緒に考えると、彼らは大人が考えもつかないような飛び抜けた発言をするからおもしろいんですね。中学生や高校生も意外と考えているんだな、ということがわかる。これはすごく大事です。

【若新】企業組織のなかでも、「教える」「教えられる」という関係性には限界がきていて、見直す時期ではないかと思ってるんです。僕の父は1950年生まれで、仕事では上司や先輩の言うことを素直に聞いて学ぶというのが当たり前という世代でした。たとえ上司の主張に反発を覚えても、がまんできれば給料はちゃんと増える、それで冷蔵庫や冷蔵庫が買えるという時代だったわけです。

ところがいまは、なにか教授されても「それって本当なの?」ってすぐに疑う若者が増えています。恐ろしいのは、すぐにネット検索すれば「◯◯社長や△△大学の教授は違うこと言ってる」とすぐに別の情報にアクセスできてしまう。そうなると上司や先輩は「俺が言うことが正しい」とは言い切れない。すごく説得が難しい社会だと思います。

【藤原】同じようなことは、学校でも10年以内に起こると思っています。つまり、教えるのがうまい先生の授業をオンラインで縦横無尽に受けられるようになれば、教室での先生の授業が面白くないと、先生の話を聞いているふりをして、スマホでオンライン授業を受ける生徒が出てくるでしょう。オンライン授業に置き換えられてしまう危機感が先生にはあるわけです。そこで生徒にどういう「納得感」を持たせるのか、あるいは腑に落ちたという感覚を得させるかは、一大課題だと思いますね。

■「説得よりも納得」の関係

【若新】教師や上司はいまでも正しく権威的であるべきと思い込んでいる人が多いようなので、生徒や部下を説得できないことにすごく恐怖感を覚えているでしょうね。「説得する」という関係性が組織で限界にきているいま、どうしていくべきなのか。

藤原先生がおっしゃるように、本人が「納得」して学んでくれるような立場や環境をつくることが効率的だと僕も思います。いっそ本人に失敗も含めてやらせてみるとか、提案させてみるとか、君が俺の立場だったらどうするか一緒にロールプレイングしてみようとか。そういうアプローチなら、本人も納得感が高まるでしょうね。

【藤原】そうですね。いま一条高校で、大学受験を控えた3年生に面接の練習を頼まれることがありますが、僕がまずやらせることは、校長の椅子に生徒を座らせることです。僕が応募者の役をやるから、面接官として見ててと。いい例と悪い例をやって見せるのだけど、悪い例として「ちーっす」という挨拶をやってみせる。すると、そういう言葉遣いがいかに軽薄に見えるか理解できるんです。これを教室で教えようとすれば、「面接でやってはいけないことのリスト、1、2、3……」を板書することになるのでしょうが、立場を逆転させれば一発で納得感が得られる。納得を高めるためのアプローチが、もっと仕組まれていいと思いますね。

【若新】なるほど、立場を入れ替えることで自発的な新しい理解を生みだすわけですね。それは、学校や地域活動の場などだけではなくて、企業組織の中やお客さんとの関わりの中においいても重要で、「説得よりも納得の関係」を新しい利益として位置づけることができるかもしれませんね。

(次回につづく)

(藤原和博、若新雄純=談 前田はるみ=構成)