灸(『万象妙法集』嘉永3年序・刊) より


 本格的に寒くなってきました。今回は、普段あまり記さない、健康にまつわる話題を記してみたいと思います。

 この半年ほど新たに「喫煙」の習慣が身につきました。と言っても、タバコを吸うわけではありません。

 「お灸」というものを、自分で据えてみることにしてみたら、体調管理が相当うまくいくようになりました。かつて芭蕉も記しています

ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、

草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

 (古くなって擦り切れている股引の破れを自ら針と糸を手にとって繕い、また、やはり古くなった笠の緒もつけ替え、足の「三里」のつぼに灸をすえたりして旅立ちの準備をするはじから、心にはまず松島の月がどんなかしらと気にかかり、長く住み馴れた深川の庵は人さまに譲り、出立までの期間は門人である杉風氏の別宅に滞在して)

 (老人の私が長く住んだ草庵も 主が変わって 子供のためにひな人形を飾るようになるのかも知れぬ・・・)

(松尾芭蕉 「おくのほそ道」序章)

 芭蕉は自ら、針と糸をもつ手を「もぐさ」と「線香」に持ち替えて「足三里」というツボに灸を据えています。で、実際ここに灸を据えてから歩いてみると、足の方から勝手に前に出て行って、勝手に歩いてくれるんですね。

 これは、自律神経系、と言うより錐体外路系という方が当っていると思います、大脳から命令をいちいち出して一挙手一投足を決めるのではなく、心臓や消化管が意志と無関係に動くように、足そのものの運動が活性化されて、歩くようになる。

 私たち音楽を仕事にするものは、常に怪我や故障のリスクと隣り合わせですから、体のメンテナンスには随時気を遣っていますが、「三里」に限らずちょっとした「喫煙タイム」お灸を据えてのコンディション調整がとても有効なので、ここ半年ほどですっかり習慣になってしまいました。

随意の限界と身体コントロール

 今年5月、事故に遭って、長年お世話になっている鍼灸院で治療をしてもらうようになりました。

 左手の親指に怪我をしてしまい、動かすと痛む。しかし、痛いからと言って麻酔の類を使うと演奏に差し障りますから、薬はシップくらいしか使えない。

 そこで鍼灸の出番となるわけです。29歳で最初のぎっくり腰をやってから、整体には本当にお世話になり続けなのですが、今回はほとんど初めてと思います、「お灸」が大変に功を奏しました。

 今回、記事の反響が良ければ細かなことも記そうと思いますが、半米粒大の実に小さなお灸で熱くもない。でもしっかり効果は出ます。

 一般の方が病気や怪我をした場合「完治」というのは基本、入院していた人が退院できる段階を指すそうです。しかし私たち音楽の人間やアスリートなど、体を使う職種にとってはこれでは仕事になりません。

 毎日鍼灸院に通う時間はありません。特に海外の仕事中は不可能です。必要は発明の母というわけで、ネット通販でもぐさを買い、始めてみたわけでした。

 私たちは子供の頃、自分の体は自分の意のままに動くもの、と思い込んでいます。それが年を重ねるうち、怪我や病気、あるいは各種の故障によって、意のままにならなくなったりもする。

 脳梗塞を起こせばリハビリテーションが必要です。

 この「随意性」ということを少し考えてみましょう。例えばご飯を食べるとき、食べ物を口に入れる、それを噛む、というところまではほぼ100%随意的にコントロールできる(錐体路系の支配)。

 しかし、これを一端飲み込む、嚥下するとどうなるか?

 のどを食べ物が落ちて行く過程も、食道や胃の運動も、私たちは普通、コントロールすることはできません。

 あるいは食べるのと逆、排泄を考えても同様です。排泄OKとなるまで我慢する、はシモのシツケがついた子供より上の年配では大丈夫になります(が、加齢とともに高齢者は尿漏れなども起こすようにもなる)。

 排泄行為そのものを考えると、実は体が勝手にやっているわけです。いきむといったことは意識的にもできるけれど、直腸などが運動するのは体が自治的にやっている。

 こういう、意識のコントロールを超えた体のオートノミ―、自律システムは「錐体外路系」と呼ばれ、音楽でもアスリートでも「反射的」とされる部分では、意図を超えた身体能力として、これらの働きが決定的に重要になります。

体は情報を食べて生きている

 若い読者には経験のない人が多いかもしれませんが、「足つぼマッサージ」などに行って飛び上がるほど痛かった、という経験をお持ちの方がいるかと思います。

 34歳で大学に呼ばれ、最初の公務海外出張が台湾だったので、夕方街に繰り出して台湾名物「足つぼマッサージ」というものをやってみたのですが、編み棒みたいなもので足の指の間やら足の裏やら押されて、痛いの痛くないのって、もう悶絶の苦しみでした。

 ところが、終わった後、すっきりするんですよね、これが。

 そこで考えたわけです。正確には生理学の跡見順子東京大学教授など先輩同僚の皆さんと考えた。

 足の裏には内臓に直結するツボがたくさんあるという。なぜそのようなことになっているのか・・・。

 そもそも私たち人類は、今でこそ服を着、靴など履いて舗装道路を歩いて生活していますが、昔はわらじ履きとか裸足で、土の上、いや川原の砂利など、凸凹した地面の上を移動していたはずです。

 そういう、簡単に「プッシュ」できるところに、必ずしも簡単に触れられない内臓の出先機関、遠隔スイッチを置いておけば、何かのときに便利ですよね。

 丸くなって眠っている動物が目を覚まし、大地に足をついて歩き始める。すると、その手足の裏についたスイッチが自動的に押され、内臓にも信号が行って「活動モード」に入るように作られている。

 また、内臓に異常が起きたときには出先スイッチにもアラームがつき、そのスイッチを押してやると胃や腸、腎臓その他弱った臓器の新陳代謝を活発にする信号を送ってやることができる。

 信号は私たちの身体内部では神経回路網のネットワークによって、電気的な信号、活動電位のインパルスとして伝達され、シグナルつまり情報として胃や腸、腎臓その他弱った臓器のメンテナンスに働きを見せる。

 つまり動物は、こんな具合で、手足の表面から接触という形で「情報」を食べて生きているらしい・・・。

 オーグメンテッド・リアリティ(AR=拡張現実感)ということが言われ始めた当初の2000〜2001年頃、こんなことを考えました。

脳梗塞リハビリテーションとIoT

 これが直接、役立ったことがありました。2002年の暮れから2003年初めにかけて、当時は存命だった母親が1度ならず2度までも死にかけ、特に2回目は脳梗塞を起こして一時は右半身が全麻痺となりかけました。

 新宿JR東京総合病院で検査しているうちに立っていられなくなり、そのまま緊急入院、私は直ちに医師や生理の同僚と携帯で連絡を取りつつ、ベッドサイド・リハビリテーションを開始しました。

 原理は簡単です。歩いて2分ほどのところにあるヨドバシカメラに出かけ「低周波治療器」を数台買ってくる。これを麻痺が起きている足や手のポイントになる神経叢をつないで通電してやる。それだけです。

 手足を自分で動かそうとする「錐体路」の命令系統の中枢が血栓などでストップしている状態が脳梗塞初期なわけで、手足の筋肉などは普通のままですが、ここで医師は「安静に」と言う。

 ところがここで2週間もじっとしていると、そのまま手足が萎えてしまう。そこで「しばらく寝たきりになりますよ」と医師が宣告することになる・・・。

 現在でも基本的に同様のレシピで人工的に寝たきりの患者を作り出している面があると思います。原理が分かっているので、これは避けさせてもらうことにしました。

 当時この病院の医長の中に高校大学の後輩がおり、別段無理は言いませんでしたが、仁義だけは切って、保険外のベッドサイド・リハビリを家族である、病院の系列大学助教授が自分でやった、という形でした。

 随意運動の命令を出す経路が血栓で遮断されて脳梗塞の麻痺が起きるわけですが、いまだ健康な現場=手足は無事なままです。

 そこで、ここに「電気無能」であるところの低周波治療器でシグナルを送ってやると、手足は勝手に動きます。

 ところが手足が動くと「動いているよ」という命令が脳の感覚野に入って来る。そうすると、IoTのセンサーみたいなもので、情報が入って来るので「これを制御しましょう」という運動中枢が新たな活動を始める。これがあらゆる「リバビリテ―ション」の本質的なメカニズムにほかなりません。

 この種のリハビリは早期に集中してすればするほど効果が高いと聞いていたので、直ちに徹底的に実施しました。

 結果、2週間でほぼ元通りに暮らせるところまで回復させることができました。同僚や担当の医師たちにも驚かれ、後にジャイアンツの長嶋茂雄監督が脳梗塞になったとき、うちの大学内一部では「伊東先生が行って治せばすぐ復帰できるのに・・・」などと言われたりもしましたが「偽医者になりますから」と当然ながら辞しました。

 私の母はその翌年、2004年に自宅で突然亡くなりましたが、最後まで自分の身の回りは自分で始末できていたので、それは幸運だったと思っています。

 重要なことは、ヒトはモノを食べるだけでなく、様々な形で情報も食べるという事実です。「適切な形で刺激のインプットがある」ことで、健康を保ってしっかり生きていける。

改めて鍼灸に学ぶ

 母の一件があった後、東京大学教養学部の1、2年必修実験のカリキュラム改訂のお手伝いで、ラットを解剖して神経に電気的なインパルスを与え、運動支配を見るという課題を作ったりもし、似たようなことは数年間続けました。

 そして、フランスの作曲家・指揮者である恩師ピエール・ブーレーズとの「図形を使わない指揮法」アンギュラー・ダイナミクスの開発のため、人間の解剖生理を学び直す方向に進みました。

 電気信号を生体に入れる系のことからは10年強、遠ざかっていたのですが、その渦中に自分自身が事故に遭い、改めて「お灸」の効果を実体験し、いろいろ考え直しています。

 実は、母のリハビリでも、指揮法のメソッド作りでも、骨格筋の運動が問題だったので「ツボ」を点対点で結んで刺激、というようなことはしていなかった。

 もっと大味な生活の知恵でやっていた。

 変な話ですが、私は朝、起き抜けにシャワーを浴びます。このとき、首の後ろに相当熱い湯をかけるのを常としており、これが終わると今日やるべきことが大体、頭にロードされています。

 音楽の仕事の傍らですが毎週結構おびただしい量の原稿類の出稿、案に窮するといった経験を幸い50歳頃までしたことがありませんが、起き抜けは「どうしようかな・・・」などとは思います。

 ところが、湯を浴びるだけで、大体OKになる。あとはトイレなり何なり、普通の身支度の中で、今日やるべきことの大半はメモリーからCPU側にリロードしてGOということになる。

 学生や受験生諸君とつき合う際にも「練習や勉強にも身体技法がある」ことを強調していますが、そういう長年の方法が、「まだ雑だったな」とお灸に気づかされたのです。

 あるエリア一面に湯を当てると、言わばノイズだらけのシグナルみたいなことになる。手の怪我を湯につけてもあまり改善は見られない。

 ところが、ほんの弱い熱刺激を、点状に数か所据えるだけで、驚くほど軽快する・・・。

 そんなことから、ここ半年ほど、お灸その他で自分の体を調整し直す試行錯誤をしているわけです。

 当然ながら、電気的な信号の利用、ネットワーク情報化といったことも考えます。そういうことに手を出す可能性もあるでしょう。

 ただ、長年、ゆうに2000年以上も続いてきた「お灸」の持つ時間的なダイナミクスを、仮に電気的な信号に置き換えるとしても、まずはオリジナルをよく経験してみるところから、が大事だと思うのです。

 かつてラットの実験でやったように、自分の身体に鍼を刺して通電といったこともあり得ると思いますが、「電動アンマ椅子と人間の手によるもみほぐしとどちらがいいか?」という問いに似ている面があります。演奏のために必要と思えば、私は何でもしますけれど。

 かつて芭蕉が東北行脚に備えて「三里」に灸を据えたのも、健脚を確保して月の松島を見たい、そしてそこで発句を詠みたい、作品のためだったわけです。

 ところが、実際に松島を訪れた時、芭蕉自身は不眠症で俳句を詠むことができませんでした。別のお灸が必要だったのかもしれません。

「松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす」 曾良

予は口をとぢて眠らんとしていねられず。

(同行の曽良は「松嶋や・・・」と詠んだけれど、私は口を閉じたままで、眠ろうとしても眠ることすらできなかった)

(「おくのほそ道」『松嶋』)

筆者:伊東 乾