連日マイナス気温が続くカナダ・ウィンザーで、リオデジャネイロ五輪では悔しさを味わった瀬戸大也(JSS毛呂山・早稲田大)が、新たなステージに突入する偉業を成し遂げた。

 第13回世界短水路選手権5日目、男子400m個人メドレーで日本人としては初めて、さらにこの種目では往年の名選手であるマット・ダン(オーストラリア)、ライアン・ロクテ(アメリカ)に次ぐ、世界でも3人目となる大会3連覇を果たした。

 だが、瀬戸は全く納得していない。

「4年前、この大会で初めて優勝したときのタイムよりも遅いですから、金メダルで今年を締めくくれたのはよかったですが、もっともっと頑張らないといけないと思いました」

 本当ならば、手放しで喜んでもいい結果である。それでも瀬戸が喜ばなかった理由は、リオデジャネイロ五輪の銅メダルにある。

 話は高校3年生で迎えた、2012年ロンドン五輪代表選考を兼ねた日本選手権に遡る。その直前にインフルエンザを患った瀬戸は、400m個人メドレーで力を出し切れずに3位となり、代表権を逃した。一時は練習に身が入らないこともあったが、同い年のライバルである萩野公介(東洋大)が、五輪の同種目で銅メダルを獲得してチームに勢いを与えた姿を目の当たりにし、心境に変化が訪れる。

『俺は何をやっているんだろう』

 ロンドン五輪出場は逃したが、まだ自分にだってチャンスは残っている。そう信じて、夏の全国大会に向けて気持ちが上向かせた。同年10月、岐阜国体で五輪メダリストとなった萩野と対決し、400m個人メドレーで勝利を収めると、勢いそのままにトルコ・イスタンブールで行なわれた第11回世界短水路選手権の同種目で、短水路(25mプール)での世界初制覇を飾る。

 2013年に行なわれたスペイン・バルセロナ世界水泳選手権の400m個人メドレーでは、350mを折り返したあとに失速した萩野を尻目に、最後まで力強いキックを打ち続けて4分08秒69の自己ベストで優勝。短水路、長水路(50mプール)の両方で、瀬戸が世界を制した瞬間だった。

 2014年からは、新たな挑戦を始める。200mバタフライへのチャレンジだった。この夏の国際大会では、個人メドレーの調子がいまひとつのなか、バタフライでは当時の世界ランキング1位となる1分54秒08という好タイムをたたき出す。そこで調子を取り戻し、カタール・ドーハで開催された第12回世界短水路選手権の400m個人メドレーでは、当時の短水路日本新記録となる3分56秒33で、萩野を抑えて2連覇を果たす。

 世界短水路選手権で好成績を収めて、翌年の夏に勢いをつなげる。それが瀬戸のパターンであることを体現したのが、2015年ロシア・カザン世界水泳選手権だった。

 カザン世界水泳選手権最終日の400m個人メドレー決勝。得意とするバタフライで先行するも、苦手な背泳ぎで2位に後退。しかし、平泳ぎで再度逆転して、最後の自由形でもラストスパートを見せた瀬戸は、2位以下に1秒以上の差をつけて4分08秒50自己ベスト。短水路に続き、長水路の世界水泳選手権でも大会2連覇を達成した。

「招集所で『あ、来たぞ』と思えるくらい、気持ちは落ち着いているのに身体が熱くなってくる感覚がようやく出てきて、スイッチが入りました」

 この結果で、2016年4月の日本選手権を待たずに400m個人メドレーのリオデジャネイロ五輪の代表内定を手にした瀬戸は、1年間という長期の余裕を持って夢の舞台であった五輪に向けて調整ができることが決まった。

 しかし、この内定が瀬戸の歯車を狂わせる。五輪のことだけを考えてじっくりと調整できるメリットはあるものの、普段は4月の代表選考会となる日本選手権に調子を合わせ、そこから夏の国際大会に向けて再調整していくという流れができあがっている。400mについてはその4月で調子を合わせなくてもいいが、200m個人メドレーや200mバタフライといったほかの五輪出場を狙う種目に関しては、調整していかなければならない。そのバランスの取り方が難しく、瀬戸の感覚に微妙な狂いを生じさせていた。

 そして、迎えたリオデジャネイロ五輪本番。初日に行なわれる400m個人メドレーは、日本代表のスタートダッシュが決まるかどうか、チームの流れを左右する重要なポジションにあった。

 ライバルの萩野は絶好調。瀬戸も予選で自己ベストを更新する4分08秒47をマークするほど好調だった。ところが、決勝になると、いつもの瀬戸らしい水面を飛び跳ねるようなキレのある泳ぎが鳴りを潜め、重りを引きずっているような雰囲気でレースが進む。結果、予選から記録を落とす4分09秒71の3位フィニッシュ。はじめての五輪で銅メダルを獲得したが、レース後に瀬戸は「疲れちゃいました」と苦笑いを浮かべた。

「力を出し切れなくて、素直に悔しい。自分はまだまだ甘いということを教えられました」

 このとき、すでに瀬戸の目は4年後の東京に向けられていた。今の自分に必要なのは、世界の舞台で"狙って"結果を残す強さを身につけること。決めたらすぐに行動に移すのも瀬戸らしさだ。五輪後からオフをとることなく、FINAワールドカップに自費参戦。五輪でのリベンジに動き始めた。

 9月、10月とワールドカップを6試合戦い抜き、さらに11月のアジア水泳選手権にも出場。そして、12月6日から開幕したカナダ・ウィンザーでの第13回世界短水路選手権に乗り込んだ。

「最低でも400m個人メドレーで3連覇。世界記録も狙っていく」

 そう公言していたが、今ひとつ調子が上がらない。優勝からスタートしたかった初日の200m個人メドレーでは銅メダル。翌日の100mバタフライと200m自由形では、予選敗退を喫する。

 だが、大会4日目にターニングポイントを迎えた。100m個人メドレーで銀メダルを獲得し、その後日本代表チームがメダルラッシュ。その勢いに乗って、瀬戸は4×200mリレーでも銅メダルを獲得する。

「昨日までは身体がピリッとしませんでしたが、ようやく調子が上がってきました。水のフィーリングもすごくいい。明日の400m個人メドレーは悔いのないように泳ぎたい」

 身体の準備はできていた。あとは気持ちだけだったが、代表チームのメダルラッシュに燃えてスイッチが切り替わってくれた。

 その決勝レース。最初のバタフライは世界記録を上回るハイペースで折り返し、背泳ぎでトップに立つと、そのまま最後までリードを守りきってフィニッシュ。3分59秒24で金メダルを獲得し、大会3連覇を成し遂げた。

「初めて世界大会で優勝したのが、2012年のこの大会でしたので、とても思い入れの強い大会。そこで3連覇できたことは、素直にうれしいです」

 そう話した瀬戸は、最後にこの1年を振り返り、こう語った。

「五輪で3位だったことは悔しいんですが、優勝した選手よりも得るものがたくさんあると感じています。次に向けてもっと頑張ろう、と高いモチベーションを持てるのも、負けた選手たちだと思う。自分もそのなかのひとり。だからこそ、冬場の地道な練習をもっともっと頑張ろう、と思えています。この気持ちを忘れずに、コンディショニングの作り方とかをいろいろ試してみて、良い調整の仕方を東京五輪までに探していきたい」

 2012年、五輪を逃したことでひとつ成長した。そして2016年、五輪という舞台での敗北を経験したことでさらに成長を遂げた。4年サイクルで進化を続ける瀬戸は、この世界短水路選手権の3連覇をステップにして、また新たな成長への道を走り始めた。

田坂友暁●取材・文 Tasaka Tomoaki