別府ブルーバード劇場館長の岡村照支配人と大島渚監督次男の大島新監督。『愛のコリーダ』公開当時のポスターを背に。

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 藤竜也と松田英子が主演し、過激な描写が話題となった大島渚監督の問題作『愛のコリーダ 2000』(2000年日本公開版)が、別府ブルーバード劇場で別府凱旋映画祭の初日を飾った。映倫の審査をやり直したにもかかわらず、やはりボカシ処理をされた本作の上映を観て、芸術作品に対する「ボカシ」問題を改めて考えさせられた。(取材・文:森田真帆)

 何度も登場する激しい性愛シーン、狂気の人間模様に観客はさまざまな感想を寄せた。50代の男性は「あまりにも激しすぎて、疲れたよ」と深いため息をつき疲労困憊の様子。初めて本作を観たという22歳の男性も「ちょっとすごすぎてびっくりしました」と衝撃を隠せない。一方、「美しい色彩とスクリーンからほとばしるエネルギーに感動した」という50代の女性の声も。40年たった今もなお観客に強烈な印象を与えていた。だが一方で、ボカシだらけの画面に対して「フランスで公開されたオリジナル版は日本では観られないのでしょうか?」と質問する観客の姿も多くあった。

 本作はフランスがポルノを解禁した直後に、フランスのプロデューサーから大島が「日本初のハードコアポルノを撮ってもらいたい」という条件付きで作った作品であり、過激な内容に対し、ワイセツか芸術か? という論争が世界中で巻き起こった問題作だった。だがその一方で、真っ赤な傘をさして歩く定と吉蔵の横を通り過ぎていく軍隊の行進シーンをはじめ、湿度がスクリーンを越えて伝わってくるほど休みなく繰り返される定と吉蔵の激しい性愛シーンと、二人が一歩外の世界に出たときの俗世を対比した演出は、当時多くの映画人をうならせた。

 創業65年となるブルーバード劇場の岡村照支配人は、本作が封切り公開された当時を振り返り「リバイバル上映をするほどの大入りで、本当にたくさんの人がこの映画を観に来ました。でも当時から、本当に大島監督が作りたかったオリジナル版の上映を求める声は多かったです。もちろんオリジナルなんて上映したら、捕まっちゃいますからできないけどね」と笑う。

 芸術かワイセツかの境を越え、「ワイセツなぜ悪い!」と刑法175条に切り込んだ鬼才・大島渚の挑戦。日本の検閲を避けて作り上げられた本作は、当時シカゴ国際映画祭審査員特別賞をはじめ多くの批評家のあいだで話題となった。ニューヨークでは「ワイセツかつ暴力的」として公開禁止になるなど、大きな話題を呼んだが、日本での上映時は映倫によって合計30分に渡るシーンを大幅にカットされ、性愛シーンのほとんどは上半身のみ、過激なシーンもボカシで見えないような状態だった。2000年のリバイバル上映の際は、修正か所が大幅に減ったもののボカシは依然として入り、現在もなおフランスで完成したオリジナル版の上映は認められていない。だが純愛がゆえに生まれた狂気を描く中、ボカシがはいると定にとって愛の象徴でもあった吉蔵の局部の描写が冴えなく映る。観客はどこか興ざめしてしまい、作品の作家性をつぶすことになってしまう。

 たとえば、先日ハワイ国際映画祭で、『恋人たちは濡れた』の上映が行われたが、修正版で大きな黒塗りがされた性愛シーンが登場するたびにアメリカ人の観客から笑いが起こり、上映後に行った取材では「なんであの黒い四角が入ってくるのか不自然でわからない」「日本では今も映画にボカシが入っていると聞いたけど映画でも認められないのか」などという意見が相次いだ。2013年、ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック Vol.1』日本公開時、ベネチア国際映画祭では大爆笑に包まれた男性器の横ならびシーンで、画面全体がボケボケとなりすっかり興ざめしてしまったことは有名な話。

 日本の映倫では、2008年の写真家ロバート・メイプルソープの写真集を巡った最高裁判決によりワイセツ基準が緩和。一定の要件を満たせばヘア、性器のモザイク処理はされず、無修正の作品も上映されるようになったが、多くの要件が必要となりいまだにその規制は厳しいままだ。表現の自由に挑戦した大島監督の『愛のコリーダ』オリジナル版を、いつか日本で観られる日はくるのだろうか?