今から約150年前に起きた明治維新は、日本における旧来の制度を大きく改め、近代の新たな社会を作る非常に重要な節目となったが、対外的に見てもそれまでの「中国を師と仰ぐ」姿勢から「西洋を師と仰ぐ」姿勢へと転換するポイントとなった。(イメージ写真提供:(C)coward_lion/123RF)

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 今から約150年前に起きた明治維新は、日本における旧来の制度を大きく改め、近代の新たな社会を作る非常に重要な節目となったが、対外的に見てもそれまでの「中国を師と仰ぐ」姿勢から「西洋を師と仰ぐ」姿勢へと転換するポイントとなった。

 中国メディア・法制日報は7日、「中華を師とする状態から全面的な西洋化へ 日本の近代法制づくり」とする記事を掲載した。記事は「日本は学び、参考にすることに長けた国である」としたうえで、古代は中華帝国を師と仰ぎ仰ぎ、中国大陸の法律を参照して独自の封建体制を作り上げ、それを1200年余り続けてきたと紹介した。

 そして、近代に入ると中華帝国への崇拝から徐々に西洋へと目が向くようになり、その法制も全面的な西洋化の道を進むことになったと説明。その大きなトピックになったのが明治維新であり、内患外憂の状態にあった江戸幕府を倒した明治政府が「現在の世界情勢を鑑みるに鑑みるに、もはや中国を師と仰ぐのは時宜に合わない。西洋に学んでこそ強くなれる」と判断、政治経済そして法制において大いに西洋化を進めていったとした。

 そのうえで、日本の西洋化を後押ししたのは「法制を整えないうちは不平等条約改正に応じない」と強硬な姿勢を見せた欧米列強の圧力だったと指摘。条約改正を重大任務と考えていた明治政府は、立憲君主制でなおも封建経済が残っていたドイツの法制度を参考にし、1889年に大日本帝国憲法を発布すると1907年までに憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法からなる六法の制定を完了、日本の近代法制の完成を見たと説明した。

 記事は、法制度の西洋化は不平等条約の撤廃を早まらせ、日本の政治的な独立を促したと同時に、日本の資本主義経済の発展に大きな推進作用をもたらしたと解説。「貧弱だった国を急速に強くさせ、徐々に対外拡張の道を歩ませたのである」としている。

 近代日本というと、中国ではどうしても昭和以降における対中戦争のイメージがあり、憎しみの感情が先行しがちである。しかしその感情はおそらく、単に憎い、恨めしいといった単純なものではない。清朝が世界の情勢を読めず列強に蹂躙され、近代化が大きく遅れたのに対し、明治維新以降急速な近代化を進め、列強に肩を並べるほどの国力を身につけた日本に対する、ある種の嫉妬や羨望に似た複雑な感情も含まれているのだろう。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:(C)coward_lion/123RF)