ついに最終回を迎えた『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』。石原さとみが型破りの校閲部員・河野悦子を快演した“水10”らしいお仕事ドラマだ。


当初は“校閲”という題材が地味なのが心配されたり、「若い女子が校閲なんてできるハズがない」とばかりに「放送事故レベル」と批判を浴びたりもしたが、視聴率も好調で今クールのドラマでは『逃げ恥』と人気を二分した“地味にスゴイ”作品だった。

ちなみに実際に若い女性の校閲部員が在籍する毎日新聞・校閲部が『サンデー毎日』に寄稿した記事のタイトルが「地味にヒドイ! 官邸の日本語」で笑ってしまった。首相官邸のありえない誤字について指摘する記事だったが、なんだか『校閲ガール』がリアルの校閲部の人たちに認められたような感じがする。

優香も惚れた青木崇高のイケメンセリフを聞け!


最終回のテーマは「夢を追うことと現実との折り合いの付け方」だった。これは『校閲ガール』全体を貫くテーマである。

最終回は、悦子がずっと憧れていたファッション誌『Lassy』の企画プレゼンのチャンスを編集長(芳本美代子)から与えられるところから始まる。ついに異動のチャンス! と張り切る悦子だったが、エロミスの大家・本郷大作(鹿賀丈史)の盗作騒動に巻き込まれてしまう。

盗作したのは、本郷の大学時代の友人・岩崎(本田博太郎)だった。作家として成功した本郷を妬んで騒動を起こしたのだ。だが、本郷は長年の友人の罪を不問にする。

岩崎は作家になる夢はかなえられなかったが、幸せな家族を持つという夢をかなえていた。本郷は作家として成功していたが、家族はバラバラになっていた。二つの夢を同時にかなえるのは難しい。だが、本郷は息子の幸人(菅田将暉)との関係を取り戻し、家族を再生しようとしていた。だったら、岩崎も夢をあきらめず、このまま進んでいけばいい。本郷はこう語りかける。

「まだ夢の途中だと思うと、この年でもわくわくしてこないか?」

盗作騒動はなんとか解決するが、奔走していた悦子は企画プレゼンの準備がまったくできていなかった。後輩の森尾(本田翼)の手助けもあったが、結局、プレゼンを断念する悦子。夢に対して一途になれなかった自分に落胆する悦子を、編集者の貝塚(青木崇高)が励ます。

「お前はたとえ夢が別にあったとしても、まずは目の前にある仕事に全力で向き合う奴だったんだ。だから校閲部のみんなもお前のことを受け入れてくれたんだ。お前は半端な奴なんかじゃない。まぁ、この先、お前が編集者になろうと、校閲者になろうと、お前はお前なんだ。少なくとも俺はどっちのお前も全力で応援してやる」

何このイケメン! 優香も惚れるわけだよ……(現実と虚構を混同)。『校閲ガール』のテーマは、この貝塚のセリフにギュッと凝縮されている。テーマをセリフで説明されるとしらけてしまうことが多いが、自然な流れで言わせているところが上手い。脚本は『ラスト♡シンデレラ』『ディア・シスター』の中谷まゆみ。

キュレーションサイトに校閲者はいない


一方、モデルと作家という二つの顔を持つ幸人だが、作家業に打ち込むあまり、撮影を寝過ごしてしまう。森尾にプロ失格を言い渡された幸人は、作家の道に専念することに。

幸人が題材に選んだのは、市井の職人や人々の暮らしを支えるために働く人たちだ。つまり、 “地味にスゴい”仕事をしている人たちの物語だ。悦子は幸人の原稿を読み、目をうるませて感動する。それは悦子が校閲部で、ひたすら地味な仕事に励んできたからだろう。人を出し抜くことばかり考えていたり、効率よくお金を稼ぐことに夢中になっていたりする人が幸人の原稿を読んでも、これほど感動するかはわからない。

校閲部の仕事は、人を支える仕事だ。誰かが書いた、これから世に出る作品をより良いものにしていくために、事実確認を行い、間違いを指摘する。なかなか功績を認められることもなく、一つミスをすれば大問題になる。それでも本を出すには欠かせない仕事なのだ。

書籍の編集と雑誌の編集は少し違う。書籍は著者のもので、雑誌は編集者のもの。だから、書籍の編集者は著者を支える裏方という意識が強く、雑誌の編集者は自分が主役だという意識がある(マンガ雑誌の場合は前者)。ドラマの中で雑誌編集者が「華やか」と表現されているのは、このためである。

だから、貝塚は悦子に共感することができた。「お前を全力で応援する」とは、さまざまな著者を裏から支えてきた貝塚らしい言葉だ。一方、『Lassy』の編集部が求めていたのは、他人を押しのけてでも世に出ようとする強烈な個性である。編集長は悦子にその匂いを感じ取っていたのだろう。

ちょっと余談だが、「人の手柄を奪ってでも這い上がってくるぐらいの根性がなきゃ、この世界では生き残っていけないわよ」と語る編集長の思想は、地味にヤバい。他人のネタをパクってでも結果が良ければそれで良いというのは、昨今問題になっているキュレーションサイトの著作権侵害問題と同じだ。だから『Lassy』は部数低迷しているんじゃないだろうか……。そして、キュレーションサイトに校閲者は存在していない。

あの地味な女性校閲者がステージに!?


気になる悦子と幸人の恋の行方はというと、それぞれの夢を追うために一旦お預け。恋と仕事の夢、両方同時に追いかけてもいいと思うんだけどね。最後は茸原部長(岸谷五朗)が校閲部に対する誇りを語り、奮闘する校閲部の姿に幸人のナレーションが重なる。

「たとえどんな気持ちでいようと、どんな仕事をしていようと、目の前にある仕事に全力で取り組むことが、ともすれば平凡な繰り返しになってしまう毎日を、意味のあるかけがえのない毎日に変える方法だと彼女は身をもって教えてくれた」

「彼女」とはもちろん悦子のことだが、ここまでほとんど出番がなかった校閲部の坂下さん(いつもメガネをズラしてかけている女性)が一瞬、誰もいないステージで女優の真似をしている姿が写る。

坂下さん役の麻生かほ里はミュージカルを中心に活躍している女優さんで、声優としても『ナースエンジェルりりかSOS』の主人公や『アラジン』のヒロイン・ジャスミン役などを演じている人。だから、このシーンがちょっとグッとくる。ああ、この人は舞台女優を目指していたけど、今は校閲部で頑張っているんだなぁ、と。

夢ってのは一つじゃないし、かなえようと努力すること自体、わくわくするものだ。そして、たとえ夢がかなわなかったとしても、目の前にある仕事に全力で打ち込むのは、かけがえのない大切なことだ。願わくば、それが人の役に立っている仕事であってほしい。

ちょっと詰め込みすぎであわただしい最終回だったが、当初から決められたテーマを繰り返して語り、非常に伝わりやすいお話になっていたと思う。だから消化不良になることなく、視聴後の気分もなかなか良い。

『校閲ガール』と『重版出来!』の違いとは?


『校閲ガール』の良さは、シンプルさにある。あちこち欲張らず、同じテーマを愚直に繰り返して語り続けたことで、メッセージが視聴者に届きやすいドラマになっていた。

さまざまな人物が登場するが、主にドラマにかかわるのは、悦子、幸人、森尾、貝塚の4人だけというのも非常にシンプルだった。この4人が仕事を頑張ったり、失敗したり、自信を得たり、自信を失ったり、恋をしたりする。言い換えると、内面が描かれるのはこの4人だけだ。

藤岩(江口のりこ)にも米岡(和田正人)にもそれぞれ見せ場はあったが、悦子をサポートする役割に徹していた。これは同じ出版業界を舞台にした『重版出来!』と好対照だ。『重版出来!』は主人公を取り巻く人々のドラマを掘り下げる群像劇だったが、『校閲ガール』は主人公たちのみのドラマだった。また、『重版出来!』では前に押し出されていた出版不況というリアルな状況も『校閲ガール』では反映されていない。

これはどちらが良くて、どちらが悪いというわけではない。『重版出来!』の重層的な物語が好きだという人もいれば、『校閲ガール』のシンプルな物語が好きだという人もいる。もちろん、両方好きだという人もいるだろう。


『校閲ガール』は仕事の疲れを癒す栄養ドリンクドラマ


ドラマの肝になったのは、明らかに石原さとみだ。チャーミングでありつつ校閲能力が異常に高い異能力者という役柄を『シン・ゴジラ』のカヨコばりのハイテンションな芝居で演じきってみせた。「ハァ?」という人から最も嫌われる返事ばかりしているのに、ちっとも嫌われない悦子のキャラクターは、石原さとみだから成り立っていた(原作の悦子はちょっと感じが悪い)。

また、悦子の相手役の菅田将暉が非常にナチュラルな芝居で受けているのも良かった。いつも声を張らず、呟くように喋っているのに、セリフがちゃんと聞き取りやすいところが地味にスゴイ。

『校閲ガール』には闇を抱える人物がほとんど登場しなかったのも印象的だ。登場したとしても、わりと短時間で回復する。仕事に疲れて帰ってきた人たちが観るドラマで、仕事に疲れきって闇を抱えている様子をいちいち見せられても、視聴者は疲れてしまうだけだろう。仕事で疲れている視聴者を元気づけるというシンプルな機能に絞った『校閲ガール』は、ドラマの中で悦子が疲れたときに飲んでいた栄養ドリンクのようなドラマだったのかもしれない。
(大山くまお)

参考→「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」の原作を絶対読むべき理由