7日放送の「1周回って知らない話 3時間SP」(日本テレビ系)で、ホンジャマカ恵俊彰が、かつて自身の冠番組が終了し、その直後に受けたという屈辱を振り返った。

番組では、ホンジャマカの恵俊彰と石塚英彦が、コンビ結成から現在に至るまでの様々なエピソードを披露した。

事務所の養成所で出会った恵と石塚は、1989年にコンビを結成し、1992年に「東京フレンドパーク」(TBS系)のレギュラーを獲得。さらに1993年には、バカルディ(現さまぁ〜ず)とホンジャマカによる冠番組「大石恵三」(フジテレビ系)がスタートした。

恵が並々ならぬ思いで挑んだ「大石恵三」だったが、当時の大人気番組「進め!電波少年」(日本テレビ系)の裏番組であったため苦戦強いられ、半年で終了してしまった。恵は「鼻っ柱を叩き折られた感じ」と語るほど、番組終了には大きなショックを受けていたのだという。

さらに、「大石恵三」の最終回の翌週、ライバル番組だった「電波少年」に4人が出演することに。しかしこの出演は、恵にとってあまりにも屈辱的だったらしく、今でも当時のことをハッキリと覚えているのだとか。

司会の東野幸治は「『電波少年』は(『大石恵三』最終回の)次の週にブッキングするっていうのは、日本テレビの土屋さんの底意地の悪さなんですけど!」と、当時の「電波少年」のプロデューサー・土屋敏男氏をイジりつつ、恵をフォローした。

しかし、恵は「でもさ、テレビとしておもしろいな、とは思ったよ」「だからオレは、(『大石恵三』の)本当の最終回は『電波少年』だと思ってるの」「それは、土屋さんが楽しんでくれてたんだなあと思って」と、複雑な思いを打ち明けた。

すると石塚は「オレは同じデブ枠で、松村(邦洋)の代わりに入れれば良いなあ、ぐらいに」と語り、笑いを誘った。石塚は、「大石恵三」の終了で落ち込んでいた恵とは対照的に、楽観的にとらえていたことも明かしていた。

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