U-19アジア選手権では3得点をマークし、アジア初制覇に貢献。同時にFWとして大事なことにも気付かされた大会だったという。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全3枚)

 今年の高校年代ナンバーワンFWの呼び声高い京都橘のストライカー、岩崎悠人。まもなく迎える高校最後の晴れ舞台・全国高校サッカー選手権では初戦で優勝候補の市立船橋との対戦が決まっているが、今年はU-19アジア選手権という大きな舞台に挑み、自身の進路を決める重要な1年でもあった。
 
 5大会ぶりのU-20ワールドカップ出場を決めたU-19日本代表での日々、京都サンガに決めた理由とはいったいどんなものだったのか――。そして、京都橘高で過ごした3年間とは岩崎にとってどんな時間だったのか。
 
――◆――◆――
 
――U-19日本代表での活躍は、周りにすごく良い刺激を与えられたのではないでしょうか?
 
 そうですね、すごく応援してもらいましたし、「観てるから頑張ってね」と連絡をもらったりして。嬉しかったですね。ただ、「で、何の大会やったん?」って、よく分かっていなかった人も多かったです(笑)。
 
――U-19アジア選手権を戦ったバーレーンでの1か月は、岩崎選手にとってどのようなものでしたか?
 
 そうですね、本当に濃い時間でした。FWとしての点の取り方、動き方など、「こうすれば活躍していけるんじゃないかな」と気付いた1か月でした。ゴール前の反応だったり、ダイビングヘッドだったり、最後まで粘ってシュートを決める。2トップだったら、もうひとりのストライカーのために自分が走る。今までは自分のことしか考えずにやってきたのがよく分かりました。
 
――ただし、それはチーム事情などでそうせざるを得ない状況だったこともあると思います。
 
 そうですね。仲間のことは本当に信頼していますが、やっぱり「自分が決めないと」という想いが強かったです。
 
――U-19日本代表の活動を通じて、今までいろんな国でプレーをしてきたと思いますが、海外への想いは?
 
 より海外に行きたいという気持ちは強くなりましたね。もともと海外志向はあったのですが、実際に経験を積んでいくと、海外の生活や対戦する相手は日本とはまったく違うので、やってみたいという気持ちも強くなりました。同時に日本人の良さも実感することができて、フィジカルで負けていても、タイミングやアジリティで突破できることも分かりました。タイミングさえ外せば、十分戦える手応えを掴めましたね。
 
――この3年間で自身への注目度はどんどん上がっていると感じますか?
 
 めちゃくちゃ感じますよ。京都府の決勝も、昨年度の全国選手権で負けた時と同じくらいの報道陣の人が来て、すごく驚きましたもん。びっくりしました。
 
――ここまで自分が評価されるとは思わなかった?
 
 そうですね。でも、評価されることは素直に嬉しかったですけど、プロから声が掛かった時は、まだ「ホンマなんかな?」と思っていました。
 
――激しい争奪戦の末で京都への入団が内定。この決断に至るまでは相当悩んだと思います。
 
 試合に出たいという想いは強かったというのはあります。でも、やっぱり地元のチームというか、高校3年間でお世話になった「京都」という場所に恩返しというか、そこでやりたいと強く思ったんです。
 
――岩崎選手にとって京都は特別な場所ですか?
 
 そうですね。本当に京都に来て人生が変わった(岩崎選手は滋賀出身。高校から京都)。成長できる環境を与えてもらった人たちに、京都でプレーをしている姿を見せたいという思いもありました。もちろん決断が必要でしたが、オファーを頂いたチームには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。スカウトの人たちもすごく良い人たちばかりで、魅力的なチームばかりだったので……。