天皇陛下は去る8月8日、テレビを通じて、国民に「お言葉」を発せられた。筆者は、「象徴としてのお務め」を中心にお話になり、後継者も引き継ぐように盛り立ててほしいと国民に語りかけられたとみた。

 しかし、世間では高齢や病気を勘案して公務負担の軽減などをご要望されたかのように受け取っている。

 週刊誌などを通じての情報しか持ち合わせない門外漢であるが、その事が気にかかって仕方がない。そこで、筆をとり始めてから約2か月余が過ぎ、この間に何度も「お言葉」に目を通し、真意がどこにあるかを探り続けてきた。

 「お言葉」には天皇の高齢化対処策としての国事行為や象徴行為を縮小するには無理があるし、また未成年や重病などの対策として摂政に代行させる案では務めを果たせない天皇がいることに変わりがない。

 任務を果たせない天皇の存在はいかがなものかと指摘されており、相当のご決意が感じられてならない。

 天皇はお立場上から現行の皇室制度についてお触れになることはできないし、また現憲法の下では国政に関する権能もお持ちでない。皇室の長でありながら、自らの意見を開陳できないことに、切歯扼腕されているお姿も彷彿としてくる。

 戦前のような元老や内大臣がいない中で、「個人」として国民に向かって「お言葉」を述べられるよりほかに方法がないのかもしれない。法治国家として、まず受け止めるべきは国会であり、内閣であろうが、果たしてご真意をどこまで汲み取っているのであろうか。

秋篠宮や同窓生の声

 そのように考えていた矢先の11月30日、産経新聞は秋篠宮の誕生日記者会見での発言を報道した。最も重要なことは、「譲位」の意向を表明されたことに対し、宮が「大変良かった」と、肯定の明言をされていることである。

 また、「即位されてから、陛下は象徴というのはどのようにあるべきかということをずっと考えてこられてきたわけです。長い間考えてこられたことをきちんとした形で示すことができた、これは大変良かったことだと思いますし、様々な制約がある中で、最大限に御自身の考えを伝えられたのではないかと考えております」と発言されている。

 折々に陛下が秋篠宮などに話されてきたことを、今回は国民に向かって話されたということで、陛下の真意が滲み出ていたということであろう。その点、首相の私的諮問機関である「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」(今井敬会長)の方向はいささか違っているのではないだろうか。

 また、「象徴天皇」については、「いろいろな意見はありますけれども」と注釈をつけられたうえで、「今現在陛下が、象徴というのはどういうふうにあるべきかということをずっと模索し、考えてこられた結果だろうと考えています」と、陛下が長年思索され続け、行動されてきたことを認められたうえで、「私もそのお考えに非常に同じような気持ちを持っております」と、全幅の同感を示されている。

 秋篠宮邸で行われた記者会見には、紀子妃殿下も同席されており、「象徴天皇」の行動に同意ということは、天皇のお言葉にもあるように「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」などの肯定でもあろう。

 このことからは、「夫婦そろっての行幸啓」が「象徴」として大きな意味を持っていると仰せのようにも受け取れ、皇太子妃殿下には一刻も早く健康を取り戻してほしいというエールにも聞こえる。

 皇太子一家はご成婚以来、妃殿下のご病気や愛子内親王の学校に関わる問題などがあり、皇位継承に関してもいろいろな意見がマスコミなどで報じられてきた。「お言葉」から、皇位継承の第1位にある皇太子一家には一段の覚悟が求められているとも言えよう。

 12月2日には、陛下の同窓生である明石元紹氏による「陛下のご真意」証言の報道もあった。天皇のご真意は、摂政には否定的で、譲位に関し、次世代も含めて恒久的な制度を望んでおられるというものである。

 大きな問題であるにもかかわらず、天皇陛下の声が直接聞けない現実がある。仄聞や風の便り、側近や親友・学友の話しなどいろいろ聞こえてくるが、どこまでが信頼できるか、どうやって汲み取るかなど問題が多い。

 天皇は政治に関与せずではあろうが、お気持ちやお考えさえ表明できないシステムはそもそもおかしいのではないだろうか。

「象徴」天皇の時代

 『象徴天皇の発見』(今谷明著)という書がある。これには、邪馬台国の時代から現在に至るまで天皇が存在し続けたのは、時々の執政者の利害から天皇の地位が保全され、「執政者に擁立される象徴的王者」として続いたという見方をしている。

 しかし、天皇が名実共に「象徴」と規定されたのは現憲法が初めてであり、戦後の昭和天皇からである。しかも主権者は執政者ではなく、民主主義の政治体制下にある国民である。

 福沢諭吉の言葉を借りるならば、昭和天皇は「一身にして二生」を送られたことになる。戦前は「元首」としての身であり、戦後は「象徴」としての身である。

 言葉を変えて言うならば、明治憲法下では白馬にまたがられた軍服姿の昭和天皇であり、現憲法下では戦陣に散った人々の慰霊や鎮魂、そして復興に励む国民を激励して行幸される背広姿の昭和天皇である。

 また、この「象徴」は外部から突然与えられた、しかも主権者の選択によるものである。生まれながらの元首と、国民が付与する象徴との落差が大きい分、違いを明確にすることにご苦労されたに違いない。

 山高帽をもって出迎えの人々に手を振られる姿や、「生物学者」天皇は、こうした落差を埋める緩衝剤でもあったのではなかろうか。

 その点、今上天皇は即位の当初から「象徴」である。しかし、憲法には「日本国の象徴であり、国民統合の象徴である」と記されているだけで、先帝が確たる模範を示されたわけでもない。

 そこで、「象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」と、陛下が率直に明かされている通りであろう。

 今回のお言葉で、陛下は国事行為についてはほとんど語っておられない。「この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました」とおっしゃる「在り方や務め」は、皇位や象徴としての在り方であり、お務めであろう。

 しかし、それらについての具体的な発言は憲法や皇室典範に抵触する恐れがあるので、お言葉では「私が個人として・・・話したいと思います」と述べられたのである。

 学友の橋本明氏は『平成皇室論 次の御世へ向けて』(2009年刊)の「まえがき」で、「平成二(1990)年十一月、平成の即位の大礼が挙行された数日後、英字新聞に掲載された外国通信社配信記事が『憲法を守り・・・』という日本語の主要部分を〈I protect the Constitution〉と訳している事実を明仁天皇は目にした」と書き、上位に立つものが下位にある者を保護する意味の「プロテクト」は間違いであるという結論を得られたようで、「違和感を覚えたというよりは訂正を求めるお気持ちが強く働いた様子である」と述べる。

 「新天皇は美智子皇后と内容を詰め、象徴天皇の実態に沿わない訳語であると、立場を明らかにした」上で、「〈I abide by the Constitution〉(憲法に従って行動する)の表現が新憲法に沿うと掲載紙に回答された」という。

 また、橋本氏は「皇室の藩屛以外から正田美智子というすぐれた女性を妃に迎え」られた時から、「明仁親王にとって象徴というものを体現する本格的な手探りが緒についた」とも述べる。

 そして、「試行錯誤を繰り返しながら到達したところは、悲しみに沈む人、苦しみにあえぐ人、絶望に呻吟する人々、災害で家・財産を失った人々、身障者などに『心を寄せる』あり方だった」と思うという。

 こうしたことができたのも、「陛下がどのような時でも、美智子皇后から豊かで温かなまなざしを注がれて日々の公務を果たすという、支えに恵まれた」からであり、「お二人のうち一人が欠けても成り立たないほど二人が一人になったかと見まがう姿を国民の目に焼きつけてきた」というのである。

 「お言葉」で述べられた、「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅・・・」にほかならない。

皇后との二人三脚

 新しく憲法で打ち出された「象徴」の探求は、表舞台に立てたれた即位のときからではなく、ご成婚の頃から早くも始まっていたのである。妃殿下を思われる心を、国を思う心に拡大投影しておられたと言えよう。

 天皇が国民を思われ、国民が天皇を慕う以心伝心というか、相思相愛の関係、すなわち君民一体は心の中で醸成され、形として体現されてきたように思われる。

 「お言葉」で「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」と噛み砕いてお述べになっていることと符合する。

 ここで大切なことは、ご結婚の当時は美智子妃殿下であるが、その皇太子時代も含めて「共に行ってきたほぼ全国に及ぶ旅」を「人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と仰っていることである。

 1人ではなくお2人で、皇太子の時代から国民との接触に努めてこられた姿であり、そこに「象徴」としてのスタートを見出されたのではないだろうか。

 現憲法で初めて位置づけられた「象徴」を、長年にわたって真剣に考えてこられた姿が浮かび上がってくる。その陰には昭和天皇が焼け野ヶ原を巡行される姿や、それを国民が親愛の情と歓呼の声で迎えた姿が色濃く投影されているに違いない。

 日本国の、そして国民統合の「象徴」は、天皇の地位に上ってからではなく、皇太子時代も含め妃殿下と共に二人三脚でやってこられた結果として得られたもので、それこそが「象徴」ではないかという強いお気持ちを、「お言葉」にも色んな表現で表しておられるように見受けられる。

 いま、武蔵陵墓地(東京都八王子市)では、今上陛下の御陵の準備が進んでいる。同地には、大正・昭和両天皇、両皇后の御陵もあるが、天皇と皇后の御陵はそれぞれに鳥居が備わる別個の御陵である。

 しかし、今上陛下は、1つの鳥居から入り、その先で少しだけ2人が離れる御陵を準備されている。明治憲法下の昭和天皇までは生まれながらにしての元首で、しかも皇室は憲法とは別個の皇室典範によって存在するものであった。

 ところが現憲法下の天皇は、元首ではなく「象徴」と位置づけられ、しかもその地位は「国民の総意」や「国会の議決」で決まることになっている。民主主義下の立憲君主は、皇后と一体でこそ「象徴」であるというお考えが、御陵からも伺えるようである。

 今上陛下が皇太子時代から、美智子妃と行動を共にされ、国民の理解を得るように努力されてきたのは、皇位や皇室の存続が投票や多数決などの近代民主主義の技術に左右されることへの危惧もあろう。

 しかし、それ以前に、日本国民に遺伝子的に伏流する君民一体こそが「象徴」の体現であるという強い思いからであるに違いない。

 すなわち、皇太子時代から妃を含めた天皇の在り方、そして務めが「象徴」には求められており、高齢や病気で「象徴」が果たせなくなった場合は「象徴」たり得ないというお考えも、こうしたところから自ずと出てくるお気持ちのように思えてならない。

伝統の継承と近代化

 宗教学者の山折哲雄氏は、「皇位継承のあるべき姿」(『新潮45』2013年5月号)で、皇位継承では「伝統と近代の二重構造」が断絶しないようにしなければならないと述べる。

 そのことについては天皇が「お言葉」の中で、「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」と述べておられる。

 伝統をただ守り続けるというだけでは、日進月歩の世界で後れを取ってしまう。そこで、守りつつ、かつ創造する、この両者の調和をとりながら、日本社会の活性化につなげることを考え続けておいでになったということであろう。

 昭和天皇までは皇位継承者には生まれながらに帝王学が施された。育児をはじめ勉学でも親元を離れた特別の方法が採られてきた。しかし、近代化と民主主義思想の普及とともに、今上天皇以後は子育て、教育、結婚を含む多くが変わってしまった。

 しかし、天皇をはじめとする皇室に、国を思い、民を思う心が欠かせない点は、過去も未来も何ら変わりはない。

 陛下が「お言葉」で述べられたように、「天皇の務めとして何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」が大切である。これは主として宮中祭祀として行われる。

 山折哲雄氏は「皇室の正統性は宮中祭祀を担うことで担保されてきた。その祭祀をどうしても担えないのであれば、やはり正統性を主張することは難しくなる」(『文藝春秋』2013年6月号所収論文)と述べている。今上天皇は皇后ともども、宮中祭祀に努めて来られたことが知られている。

 祭祀は主として天皇が行われるが、慰霊や激励などの行幸では「見える化」が象徴の在り方という見本を確立してこられた今上陛下である。これができない、あるいは極端に少ない場合、国民が象徴として尊敬するであろうか。

 西尾幹二氏が『皇太子さまへのご忠言』を出版したのは8年前であった。その後、問題は解決されたのか、あるいは解決に向かって改善されたのか、知りたいのは筆者1人ではあるまい。

 西尾教授は加地伸行教授と『WiLL』2016年6月号で対談を行っている。見出しは「いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」であるが、サブタイトルは「皇室に対する国民感情はもはや無関心から軽蔑に変わっているのでは?」となっている。

 その中で、妃殿下が左翼の巣窟とみられ、従軍慰安婦問題で昭和天皇を戦犯とする判決を出した国際会議を開催した「国連大学に特別の興味をお持ちということ」は非常に問題だという。また、「皇室に欠かせない歌を日々作ろうとなさっているのだろうか」と疑問を提する。

歌の詠み比べ

 平成25年の歌会始のお題は「立」であった。天皇・皇后の御製・御歌と皇太子夫妻の歌を詠んでみよう。

御製と御歌

 万座毛に昔をしのび巡り行けば 彼方恩納岳(あがたおんなだけ)さやに立ちたり(御製)

 天地にきざし来たれるものありて 君が春野に立たす日近し(御歌)

 陛下は平成24年11月、沖縄を訪問された時に18世紀の琉球王朝時代に思いを馳せられ、景勝地の万座毛で、沖縄伝統の琉歌に詠まれた恩納岳が清らかに感じられた印象を読まれた。

 戦災で多大の被害を蒙った沖縄への慰霊の旅であり、かつては琉球王朝でもあった沖縄である。そこで謳われた琉歌の中にも出てくる景勝の万座毛で、慰霊を受け入れてくれるかのように恩納岳が清らかに佇んでいるという、歴史と景勝を愛でながら慰霊を謳いこまれた御製と言えよう。

 皇后陛下は平成24年2月に心臓手術された陛下のご回復を祈られ、「春になるとよくなられる」という医師の言葉を頼りにされていたある日、かすかな春の気配を感じ、心を弾ませられた思いを歌にされた。

 日本国の象徴であり、国民統合の象徴である陛下の御身のご回復を、君の妻たる皇后としては何としても願わないではおれない、これまた国の在り様に関わる御歌と言えよう。

皇太子夫妻の歌

 幾人の巣立てる子らを見守りし 大公孫樹の木は学び舎に立つ(皇太子)
 十一年前吾子の生れたる師走の夜 立待ち月はあかく照りたり(皇太子妃)

 皇太子は愛娘の愛子内親王も含めた子供たちの成長を見守ってきた大いちょうの姿を、そして雅子妃殿下は娘を出産された師走の夜の浩々と照る月明かりのさまを謳われた。

 御製・御歌と比較して、詠んでいかがであろうか。

終りに

 第1次世界大戦後そして第2次世界大戦後、多くの帝国や王制国家が崩壊した。今日でも民主制を敷くために王政を廃止すべきだという意見が聞かれる。

 そうしたことから、日本に対する関心も高まり、諸外国の日本研究者からは、日本では民主主義が非常にうまく機能しているので皇室はいらないのではないかという声もしばしば聞こえて来るという人もいる。

 しかし、日本では伝統を継承する皇室という権威と、ドロドロして生臭い現実に対応する政治の権力が分離して存在したことが、平安時代の350年や江戸時代の250年という長い平和をもたらした。

 この経験から、日本人は民主主義という制度が日本を上手に機能させているというよりも、日本のアイデンティティとしての伝統を継承する天皇と皇室の存在が、日本の安定的存続に欠かせないとみている。

 「お言葉」でも、「皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と、国民に話しかけられたことからも、そのことが分かる。

 言葉を変えていえば、譲位のお気持ちの表明と共に、新しく皇位につかれる皇太子への、「象徴」の具現化の厳しいご注文のようにも聞こえるがいかがであろうか。

筆者:森 清勇