『おやすみ人面瘡』白井 智之 KADOKAWA

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 2014年、白井智之は食用のためにヒトのクローンが生産される世界を描いたデビュー作『人間の顔は食べづらい』を応募して横溝正史ミステリ大賞選考会場を騒然とさせた。

 2015年、今度は男女が一体となった結合人間の存在を前提とする謎解き小説『東京結合人間』で一部の日本推理作家協会賞選考委員の眉をひそめさせた。長編及び連作短編集部門の候補作になったのである(結果は落選)。

 そして2016年に世に問うたのは人面瘡小説である。じ・ん・め・ん・そ・う。人体に顔の形をした腫れ物が出来て勝手にしゃべりだすというあれだ。『おやすみ人面瘡』、怖いもの見たさでもいいから絶対に読んでみるべき一冊である。

 二筋の物語が並行して綴られていく。それを紹介する前に、まず基本設定を知っておいてもらったほうがいい。この世界には人瘤病というウィルス性の疾患が蔓延している。それに罹患すると、身体のどこかに脳瘤ができてしまうのだ。現代の医学ではまだ治癒の見込みのない奇病である。ウィルスにも良性と悪性がある。良性だった場合、脳瘤を抱えながら生きていくことは可能だ。悪性の場合はやがて増殖する脳瘤に身体を乗っ取られ、人間としての尊厳を失ってしまうことになる。良性と悪性の違いは脳瘤に顕著で、悪性のそれはまったく知能を持たないのに対し、良性の場合は高度な知性を備えて論理的な発言もする。もちろん宿り主の都合などまったく関係なしに喋るので、器具によって口を閉じさせておかなければならないのである。

 これらの脳瘤には共通点があり、人間が咳をする音に対して過敏に反応する。過剰な咳嗽反応によって人瘤病患者が暴れ出し、大惨事に発展した例もあるのである。したがってこの世界では、咳の音を消すマスクが広く普及している。

 二筋ある物語の一番目は、仙台市内にある風俗店の従業員視点で語られていく。「こぶとり姉さん」という名前のこの店では、脳瘤持ちの風俗嬢を雇って特殊な性癖の顧客にあてがっていた。だが、不幸な事故によって火事が起き、死者が出てしまう。それから一年後、再開した「こぶとり姉さん」に戻ってきたカブは、後輩のジンタから人瘤病患者の売り込みがあることを知らされた。ジンタの地元である海晴市は、かつて人瘤病の爆発的流行が起きた地だ。そこに一人の患者がいて、周囲の者が持て余しているのだという。嫌な予感がしたカブだったが、店のマネージャーであるポッポさんが乗り気になってしまったので仕方がない。ジンタと共に車で海晴市を目指すことになる。

 もう一つの物語は、その海晴市内で語られていく。きっかけは海晴市立第一中学校一年A組の担任が二学期から交替したことだった。最初の担任であるミカン先生は校内暴力がきっかけで精神の均衡を崩し、退職してしまった。代わりにやってきたハヤシ先生は快活な若者という感じだったが、サラは最初から彼に胡散臭いものを感じていた。案の定、ハヤシ先生の言動は次第に偏執的なものに変わっていく。

 お察しのとおり、二つの物語は小説の半ばで交差する。ミステリーらしい事件もそこで起きるのだが、ページ数にしてほぼ半ばのその地点までは、カブとサラの視点から語られる話にどんな意図があるのか皆目見当もつかないのである。そして話が交差してからも、やっぱり訳がわからない。舞台の上にはたしかに役者がいてなんらかの演技をしているのだが、その演技が示すところが理解できないのである。こういう暗中模索のような状態がずっと続いていく。探偵役が登場して謎解きが始まった瞬間、誰もが呟くはずだ。「え、あなたが探偵だったの」と。

 その驚きは最後のページまで持続する。新仮説がいくつも呈示され次々に否定されていくという多重解決、それまで読者が見過ごしていた事実に着目することで過去の叙述が違う意味合いを持って浮き上がってくるという伏線回収、登場人物の動きや現場の見取り図などが細かく検証されることになる地に足のついた推理など、終盤では謎解きミステリーに必要なものがすべて動員される。密度ある解決編を読みながら、納得させられるのである。なるほど、だからこんな小説なのか、と。

 2014年、2015年といろいろなところで詮議を巻き起こすことになった白井智之であるが、今度はどんな層から顰蹙を買うのだろうか。この文章を読んでいる方もいい加減厭な気持ちになりかけているかもしれないが、気力があればぜひ本書を手に取ってみてもらいたい。ほとんどすべての記述に謎解き上の意味があり、幾度も驚きを味わわされる。人面瘡という要素を取り払えば、これほど純粋な推理小説はないのだから。問題は、その人面瘡を取り払うことが構造絶対に不可能、という一点に尽きる。慣れてしまえば人面瘡もえくぼ、というわけにはいかないか。

(杉江松恋)