巷間、米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利がロシアに有利に働くのではないかという観測が多い。ロシアにとって、米外交政策のうち経済に関してとりわけ重要なのは、経済制裁が今後どうなっていくかであろう。

 トランプ政権がロシアとの和解を経済制裁の分野でどのような形で進めていくか、ロシアにとっての一大関心事だ。低迷から抜け出せないロシア経済にとって、クリミア併合後の対ロシア経済制裁とこれに対抗した西側への逆制裁の解消はますます急務となっているからだ。

 トランプ氏の選挙期間中の過激な発言は多岐にわたり、それらがすべて実現された暁には米国のみならず世界中が大混乱に陥るのは必至と考えられるため、必ずしもすべての発言が実施に移されるとは考えにくい。

 しかし、これまでの政権の誤りを厳しく批判して当選を果たした以上、選挙民の期待に応えるべくできる限りの政策実現に動こうとするのは確かであろう。そんななか、当選後の金融市場は「トランプ相場」とも言える形で賑わっている。ここを手引きとしてロシアの今後を占ってみたい。

トランプ相場でドイツ銀株が上昇

 トランプ相場で上昇している株の1つに、ドイツ銀行がある。

 同行は、欧州最大の銀行の1つであるが、同時に欧州銀行危機の源泉と見なされてきた。例えば、IMF(国際通貨基金)が2016年6月にドイツ銀行は世界の主要行の中でシステミックリスクに影響する度合いが最も大きい可能性があるとの懸念を表明した。

 さらには欧州連合の銀行監督機関である欧州銀行監督機構も、2016年7月に公表した大手銀行51行のストレステストの中で、2018年までに欧州経済がマイナス成長に陥ったケースでは、同行の中核的自己資本が2015年末に比して5.4パーセンテージ・ポイント低下して健全性を示す目安の8%の水準を下回り7.8%に下落するとしている。

 このようにドイツ銀行は欧州の主要行の経営不振の代表格と見なされている。

 実のところドイツ銀行の経営状態は深刻で、2015年、米金融当局からリーマン危機時のサブプライムローンの不正売却問題で1.4兆円という巨額の課徴金が課された(現在、制裁の受入に関しては協議中)。

 本年に入っても排ガス検査の不正発覚で巨額の制裁金を課されることになった独フォルクスワーゲンに対しドイツ政府の意向に従い1兆円にのぼる融資を行うなど、問題が山積していた。

 2015年は不良債権の償却などが重なり67億9400万ユーロの赤字になったと発表し、株価は大幅に下げた。さらに資本増強のために発行した偶発転換社債(CoCo債)が2016年2月に利払いを停止し、金融市場の不安をも誘っている。

 このCoCo債は、発行体である金融機関の自己資本比率が予定の水準を下回った場合などに、元本の一部または全部が削減されるか強制的に株式に転換される仕組みを有しており、投資家のリスクが高いため、利回りが高めに設定されている。

 CoCo債の発行のみで経営状態の善し悪しを判定することはできないが、発行体に有利な条件の債券発行はドイツ銀行の資金繰りがかなり追い込まれているとの印象を抱かせるに十分だ。

 ところが、このドイツ銀行はトランプ氏に巨額の融資を行っている銀行の1つとも言われている。そのためトランプ氏の当選が同行の米金融当局との紛争解決に寄与するのではないかとの憶測が浮上したのだ。

 金融規制に対する規制緩和がトランプ公約の1つでもあるため、規制緩和が進めば収益を落としていたドイツ銀行の生き残りにとってプラスに働くという連想から株価が上昇しているようだ。

米英に比べ投資銀行業務で出遅れ

 世界第4位の資産規模を誇るドイツ銀行が万が一にも破綻するようなことがあれば、主要国の中央銀行が非伝統的な金融政策を取っている現在、これ以上の金融緩和策の余地が限られていることから、その衝撃はリーマン危機を上回るのではないかとの見方も根強く存在する。

 トランプ氏とドイツ銀行の間に利益相反の懸念はあるものの、ドイツ銀行の経営改善は全体として望ましいものであるのかもしれない。

 ドイツ銀行は欧州を代表する伝統行の1つだが、投資銀行業務への参入が本格化するのは1990年代であり、英米の主要銀行に比べ出遅れた。

 このため、リスクの高い業態への参加で利益を獲得しようとする姿勢が見られ、その一環か、不正に手を染める部分も大きかったようだ。

 事実、LIBORの金利不正操作に関わったとして、英国の金融当局から罰金が科されており、同行もこれを認めている。有名だからと言って、必ずしも優秀な銀行であったわけではないのである。

 そんなドイツ銀行はロシアとの間でも不正取引の実態が明らかになっている。欧米の金融当局が明らかにしたその手口を紹介しよう。

 「ミラー・トレード(鏡の取引)」と称されるドイツ銀行の取引は次のようなものであった(図参照)。

 ここではロシアの優良企業A社は、モスクワ市場でもロンドン市場でも株式を上場しているものとする。この取引がドイツ銀行モスクワ現法を舞台として行われたのは2011年秋から2015年初にかけてである。

 イーゴリ・ヴォルコフなる人物がモスクワでドイツ銀行モスクワ現法にA社の株を1000万ドル分買いつけるという注文を出す。これに対して、ヴォルコフ氏は別途ロンドンのドイツ銀行支店にA社の株式を1000万ドル分売り越す注文を出す。

 そうするとモスクワで購入された株式がロンドンで売却されるから、視点を大きく取ればモスクワからロンドンへの1000万ドル分の資金移転が完了したことになる。

証券取引監視当局の目をくらます

 ここでミラーと言うのは鏡の意味で、モスクワとロンドンで買いと売りという正反対の取引を同時同額分行われるからそう名づけられた。

 なぜ、このような取引を行うかと言えば、現在、ロシアは西側の経済制裁の一環で外国に資金を動かすことが銀行などを通じた正規のやり方では難しいからである。

 例えば、件の取引では、持ち出された資金の最終的な受取人が、プーチン大統領の甥のイーゴリ・プーチン氏や、ロシア最大の建設会社を営むローテンベルグ兄弟であったとの報道がある。

 ローテンベルグ兄弟は、米国を中心とする対ロシア制裁のリストに名前がのぼっている人物であり、この取引がいわゆる資金洗浄の疑いがあるというのである。言い方を変えると、このミラー・トレードは経済制裁の抜け道となっていたのだ。

 当然ながら、モスクワで売り、ロンドンで買いという取引を実施すれば、今度はロンドンからモスクワへの資金移転が合法的に行われることになる。

 株価は取引が同時同額で行われるなら動かないので、証券取引監視当局からは即座には問題とされない。この取引に加担したのが、ドイツ銀行のモスクワ現法であった。

 この取引の違法性については、ドイツ銀行内部でも疑いを持つ人が現れたようだが、モスクワ現法の証券ディスクのチーフで、米国出身のティム・ウィズウェル氏は懸念をもみ消したという。

 その後の捜査で、ヴォルコフ氏はウィズウェル氏にドイツ銀行の定める手数料とは別に報酬を支払っていたことも明らかになった。一種の共謀関係が成立していたのだ。

ドイツ銀行以外も関与か

 この不正は英米の金融当局にも知られることとなり、結局、ドイツ銀行はモスクワ現法の閉鎖に追い込まれた。また現在、モスクワ現法の主担当であったウィズウェル氏は職を追われ逃亡中だ。

 一方、ヴォルコフ氏はこうした取引を、ドイツ銀行以外の金融機関との間でも行っていた形跡があるという。

 また彼は、ある種の仲介人であり、必要に迫られたロシア企業から資金移転を請け負う役割を果たしていたようだ。従って、今回明らかになったドイツ銀行の事例以外にも、同種の取引が多数存在していたと見ていいだろう。

 以上の事例から、ロシアにとって西側の金融機関とのある種の共謀関係が存在していることが明らかになった。このしたたかさがこれまでのロシア経済の生き残りの源泉であり、ウラジーミル・プーチン体制の強気の背景にあるものではなかろうか。

 西側の政府もメディアもこぞってプーチン体制の腐敗を批判するが、このグローバル化の進展した現在において、ロシア側の腐敗の構造を手助けする外部(西側)の存在も実は不可欠であり、西側の腐敗の構造こそがある種の映し鏡(ミラー)になってロシアに現出している可能性も否定できないのかもしれない。

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筆者:杉浦 史和