脚本家の橋田壽賀子さんが「ボケ始めたら安楽死したい」などと発信し、これが中高年に支持されているようです。今回は、誰にでもいつかは必ずやって来る“その時”の迎え方に思いを巡らせます。


橋田壽賀子さんの発言が支持されている背景とは…

 テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で知られる脚本家の橋田壽賀子さんが先日、「ベッドで寝ているだけで生きる希望を失った人は大勢いる」「もしも頭がボケ始めてきたら、その時はスイスで安楽死したい」といったメッセージを発信し、これが中高年を中心に支持されているようです。

 安楽死と聞くと、筆者の世代が思い出すのは「ドクター・キリコ」。漫画家の故・手塚治虫さんの名作「ブラック・ジャック」に登場する安楽死の専門医師で、痛みに苦しんでいる患者を“救う”ために安楽死の処置を行います。

 キリコは難病に苦しむ患者を安楽死させようとし、患者の家族はブラック・ジャックに助けを求める――。もし自分が患者だったら、苦しみのあまり死を望むかもしれませんし、自分が家族だったら、最愛の家族を助けたいと思うかもしれません。そのどちらも理解できるのです。

 今回は“光”のブラック・ジャックと“影”のドクター・キリコから、「命とは何か」「医療とは何か」を考えます。

背景に「死ねない医療」への不安?

 筆者は、橋田さんの発言趣旨には賛同できますが、それはあくまで「自分だったら」という目線であり、もし自分の母や妻、ましてや子どもが同じことを言ったら、「何をバカなことを」ととがめるでしょう。

 やはり家族からすれば、いくら自分の意思とはいえ、安楽死は自殺でしかないのです。橋田さんは「子どもも身内もいない」としているようですが、いざ安楽死を実行しようとすれば、さまざまな人が止めに入ってそう簡単な話ではないでしょう。

 今回の発言と、それが一定程度、支持されている根底には日本の「死ねない医療」への不安があるように感じます。

 長年、生命保険の仕事に携わっていると仕事柄、“人の死”や終末期医療に接する機会が多く、やはり「楽には死ねない」という印象があります。終末期の治療については当然ながら、医師が「これ以上やめましょう」と言うことはできません。治療の選択肢がある限り、それを提示するのが医師の責務だからです。

「終末期治療の代名詞」とも言える胃ろうや人工呼吸器なども、医師本人の思いとは別に、手段として存在する以上は提示せざるを得ません。胃ろうは胃に直接チューブをつないで栄養を供給する方法で、栄養管理が容易なため、寝たきりのまま“死ねない老人”を生み出す元凶ともされます。

 一方、欧米などでは、食べられなくなれば点滴などで無理に栄養を与えることはせず、自然な死を迎える傾向があります。当然、胃ろうなども行いません(胃ろうは、一時的な嚥下障害などの体力回復には有効であり、治療法そのものが悪いわけではない)。

 筆者の知人でも、認知症を患う80代の父親の治療に胃ろうを提示され、拒否したケースがあります。ほかの親族や兄弟からは「お父さんはまだ生きたいと思っているかもしれない」などの意見が出されましたが、知人は高齢の父親への負担なども考えて結局、提案を拒否しました。ただ「『やめよう』と強く言うことも、とどめを刺すようで…」と複雑な心境だったそうです。

 橋田さんの場合も本人の思いとは裏腹に、子どもや親族がいないためなおさら、誰もが責任を回避して治療が長引くことは容易に想像できます。そして、親族でもない人間が“最終決断”せざるをえないのも酷な話です。

延命中止が法的に整備されていない

 問題の本質は、日本では患者の延命措置の中止に関して、法的な整備がなされていないことでしょう。そのため、延命の中止が嘱託殺人や保護責任者遺棄罪などの刑法に触れる可能性もあり、医師も慎重にならざるをえない事情があります。

 一方、日本尊厳死協会などが推進する「リビング・ウィル」活動は草の根的に広がっています。リビング・ウィルは自分の意識がはっきりしているうちに、終末期にどのような治療方針を取ってほしいのかを記す文書で「尊厳死の宣言書」とも言えます。

 これを法制化しようと、超党派の「終末期における本人意思の尊重を考える議員連盟」という組織があり、衆参合わせて196人もの国会議員が所属しています。国会は与野党で“低次元な”議論をしているイメージもありますが、こと「終末期」がテーマになると、与野党のこれだけの議員が団結しているのです。

 そのため一気に話が進みそうな気もしますが、前身の結成から10年以上が経過しているにもかかわらず、法案はいまだに提出されていません。橋田さんが心配するような、認知症になってからの終末医療にはとりわけ、リビング・ウィルが有効だと思いますが、以上の事情から法的拘束力はなく、治療方針が医師や他人に委ねられてしまう可能性も排除しきれません。

「生きものは死ぬときは自然に死ぬもんだ…」

「生きものは死ぬときは自然に死ぬもんだ…それを人間だけが…無理に生きさせようとする」

 ドクター・キリコのセリフです。日本の医療が高いレベルにあることは異論がありません。しかし終末期医療に関しては、「生かす」ための治療にはさまざまな手法があるにもかかわらず、「終わらせる」治療はごく限られているのです。

 結果的に、本人ではない「誰か」が断ることでしか治療を終えることができません。そこには「生きてほしい」感情と、「とどめを刺した」罪悪感が伴うため、決断はどうしても先延ばしになりがちです。

 しかし、苦しむのは患者本人です。「無理に生きさせようとする」ことに誰もが違和感を抱きつつ、解決策のない状態が続いている――。そんなこの国で、ドクター・キリコの登場を待ち望んでいる人は少なくないのかもしれません。

(株式会社あおばコンサルティング代表取締役 加藤圭祐)