<犯罪者=在日コリアンという思考はなぜ保守論壇に広がったのか>

 千葉大学医学部の学生3名が、集団で女性に暴行した容疑で千葉県警に逮捕された事件をめぐり、作家の百田尚樹氏の以下のツイッター発言が「ヘイトスピーチだ」などとして議論を呼んでいる。

 千葉大医学部の学生の『集団レイプ事件』の犯人たちの名前を、県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。

 上記をめぐり、ジャーナリストの津田大介氏が「ツイッター社は規約違反により(百田氏の)アカウントを停止するべき」などとして議論が沸騰中だ。私は、ここ数年間、嫌というほどリアル・ネットの空間の別を問わず、耳を疑うような、決して言葉にすることが憚られるような、「異形」ともいうべきヘイトスピーチを見聞してきた。よって、社会的影響力の大たるベストセラー作家の言だとしても、上記発言に特段の感慨はない。

「この程度ならまし」を憂慮する

 むしろ、悲しむべきなのは、そういった直接的な「異形」のヘイトスピーチと比較して、「この程度ならまだしも穏健な方だ」と少しばかり得心してしまう自分についてである。少し前なら社会的生命を失いかねない言葉が、平然と大手を振って歩いている。百田氏云々よりも、こちらを憂慮するべきである。

 百田氏曰く「特定の民族を指したものではない」云々。確かに、字だけを読むと「(犯人らは)在日外国人ではないか?」という推論に過ぎない。しかし、百田氏の日頃の発言、とくにツイッターでの文脈を読んで、その「在日外国人」を「在日コリアン」へと読み替えることはそう難しいことではない。字だけ読めば百田氏の言う通り、これは推測なのだからヘイトスピーチというよりも、むしろ単なる「思い付き」というべきであろう。

 繰り返すように私は、もう何年も、ここでは書けぬようなとんでもない、在日コリアンに向けられた直接的憎悪の言葉を、何ら憚りなく、そして満面の笑みで、酒と共に歓談する人々を沢山知っているから、「それに比べれば全然マシ」と思ってしまう。

古谷経衡(文筆家)