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■日本酒の80%は水です

酒は水につれ、水は土地につれ。日本酒の80%は水からなる。とはいえ、個性のはっきりした「米」や「麹」と比べると、水はその正体が見えそうで見えない。

むかしむかしの江戸の町、八つぁん熊さんたちのささやかな楽しみといえば旨い酒をキュッと呑(や)ることだった。しかしそのほとんどが西からやってくる日本酒だったそうな。その中でも特に銘酒として人気を誇っていたのが、ご存じ「灘酒」。江戸後期にもなるとそれまで幅をきかせていた池田や伊丹の酒を抑え、一躍トップブランドに。当時の文献でも「灘目の酒を最上とす」やら「風味宜しく」やら灘の酒に庶民たちは惜しみない賛美を贈っている。灘がその名声を手にした理由――それは、日本酒に適した“水”を発見したからだった。

ところ変わって、こちら上方。魚崎(現神戸市)と西宮(現西宮市)に酒蔵を持つ山邑太左衛門は悩んでいた。同じように造っているのに、なぜだか西宮の酒が旨く仕上がる。杜氏を代えてみたり、道具を替えてみたり、いろいろやっても差は歴然。そこである時思い立ち、西宮の水を魚崎に運んで仕込んだところあら不思議、酒質はグンと向上したではないか。ウォーター! と言ったか言わずか、とにかく水で日本酒の味が劇的に変化することが明らかとなった。

灘の酒を最上級品に仕立て上げたこの西宮の水、通称“宮水(みやみず)”はカルシウムやリン、カリウムなどを豊富に含む「硬水」だ。これらの成分は酵母にとってはオイシイ栄養。さらにこの宮水、日本酒造りの厄介者・鉄分が極めて少ないときた。当時の酒蔵にはこれ以上ない、奇跡の水だったのである。あまつさえ日本はほぼ軟水の国。灘酒が人気を独占したのも無理はない。

ただ、ここはものづくりの国、ニッポン。努力と根性であらゆる不可能を可能に変える地上の星がキラキラまたたく国である。

軟水でも旨い日本酒を造れないものか、闘志を燃やす男は広島にいた。その名は三浦仙三郎。軟水の弱点は、酵母に栄養が行き渡らず、発酵が遅々として進まないことだった。そこでチーム三浦は考える。酵母を予(あらかじ)め育ててみたら? カン頼みだった仕込みに温度計を使ってみたら? 努力が少しずつ実を結び、ここに安全かつ軟水の個性を生かした日本酒の製造方法、名付けて「軟水醸造法」を完成させたのである。

泣かせるのが、チーム三浦はこれを秘伝とせず、惜しみなく各地に伝播させたというところ。水で悩んでいた多くの蔵元たちが、軟水だからこそのたおやかで淡麗な日本酒を造り始めた。まさに日本(酒)の夜明けじゃけ〜の〜!

米や麹のポテンシャルを開花させ、素晴らしい日本酒に仕上げる水は、いわば名プロデューサーといえる。花売り娘のイライザを、驚くようなレディに変えたヒギンズ教授のように、米や麹も水の力に導かれながら、“マイフェア日本酒”へと姿を変えるのである。

▼灘の男酒、伏見の女酒って?
灘(兵庫)の酒が男酒、伏見(京都)の酒が女酒と呼ばれる所以も“水”である。灘の硬水で造られる酒はキリッとした味わいから「男酒」に、一方、伏見の中硬水はやわらかな口当たりで「女酒」に。こうした水の違いが、長らく日本酒ファンたちの「推し酒」を真っ二つに分けていたのだ!

▼日本酒の歴史を変えた「軟水醸造法」!
軟水でも日本酒は造れますっ! この軟水醸造法の完成こそ、日本酒の歴史をガラリと変えた大事件だった。これ以降、現代風のきめ細かでふくよか、あるいは淡麗風味な酒が次々と生まれたからである。

※出演・コップのフチ子、コップのフチ子のアイツ

(文・西澤千央 撮影・小寺浩之監修・松崎晴雄(日本酒ジャーナリスト) 取材協力・佐々木 健(水博士、広島国際学院大学教授))