日本を代表するプロサーファーでもある枡田琢治監督

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 ニューヨーク開催のドキュメンタリーの祭典「DOC NYC」の出品作『バンカー77(原題) / Bunker77』について、プロサーファーでもある枡田琢治監督が、11月16日(現地時間)にニューヨークのカフェでの単独インタビューで語った。

 本作は、ハワイのサーファーたちに多大な影響を与えたバンカー・スプレックルスさんの生涯を、彼の義理の父親である米俳優クラーク・ゲイブルさんとの関係、革新的なサーフボードのデザインと特徴ある波乗り、さらに当時彼と友人だったサーファー仲間のインタビューなどを織り交ぜて描いたドキュメンタリー。

 製作のきっかけについて「彼は、典型的なサーファーとかけ離れた写真を残していて、その中でも1968年に写真家アート・ブリューワーがパイプラインで彼を撮った赤いエッジボードの写真は有名です。さらにその数年後には彼がヒョウ革のジャケットを着て、ライディング用パンツをはき、サーフボードを並べた、今までに無いサーファーのポートレートがパンクの印象がありました。その後90年代にサーフィンのイベントで、伝説のサーファーたちと話す機会があって、その度にバンカーの名が出てきたんです」と答えた。その後、自身のジャーナル Super X Media で製作への情報を拡散して製作に入った。

 バンカーさんの祖父は砂糖のビジネスで大成功し、義理の父親はクラーク・ゲイブルさんであるが、バンカーさんは10代後半に森林(ジャングル)で暮らしていたそうだ。「実父アドルフは、病気のためほとんど子供たちとは関わらず、さらにクラークもアドルフもバンカーが11歳の時に亡くなりました。でも、米国の財産相続は21歳までできません。母親ケイはクラークとの間の新生児やバンカーの妹で手いっぱいになり、バンカーは一人で自由にサーファー仲間と過ごしていて、遺産相続するまであまり素性を明かしませんでした」と語った。

 バンカーさんがデザインするハードエッジボードは、のちに「フィッシュ」と呼ばれるサーフボードに影響を与えたのか、との質問に「僕のサーフィンの先生ナット・ヤングが、1966年に普通の人よりも短いサーフボードでカリフォルニアの世界選手権で優勝し、その時に『ショート・ボード・レボリューション』がテーマになりました。そんな彼が今年書いたエッセイによると、『ショート・ボード・レボリューション』は板の短さではなく、実はエッジをつけたことだそうで、そこにバンカーのことも記されていました」と答えた。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)