ナムジュン・パイクと多言語

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ナムジュン・パイクというアーティストがいました。韓国出身であり、ビデオをキャンバスに見立てて、さまざまメディアアート作品を作り上げました。ナムジュン・パイクは2006年に没し、2016年は没後10年にあたり、韓国と日本で、大規模な回顧展が行われました。

多言語の人

ナムジュン・パイクは世界をまたにかけて活躍したため、多言語に通じたことで知られています。それは彼の人生の来歴とも重なるものでした。ナムジュン・パイクは韓国に生まれ、幼少期に朝鮮戦争の動乱から逃れるため、一家で香港へ移り住みます。ここで中国語(広東語)に出会います。その後、大学は東京大学に進みます。そこで日本語を習得することになります。この時点で、韓国語、中国語、日本語の3言語をマスターしています。

欧米へ

さらに、東京大学を卒業後はドイツへ渡り、現代音楽家として活動をはじめます。その際、ドイツ語とともにフランス語もたしなんでいたといいます。さらに、アメリカへ渡り活動を続けますので、ナム・ジュン・パイクは、韓国語、中国語、日本語、ドイツ語、フランス語、英語と六カ国語をあやつっていました。彼の多才ぶりについては、夫人の久保田成子のインタビューをもとに執筆された評伝「私の愛、ナムジュン・パイク」(平凡社)に詳しく記されています。