定年後に短気になる人、気長になる人

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年をとるにつれて温和になる人もいれば、若いころは温和だったのに、年を重ねるごとに怒りっぽくなる人もいる。どこが分かれ目なのか。精神科医で、聖路加国際病院リエゾンセンター長の保坂隆氏が分析する――。

■「肩書」に執着すると短気な人になる

年をとってよく怒るようになる人と、そうでない人の違いは何でしょうか。それは、「定年退職した後に現役時代の自分に執着しているか否か」だと私は思います。執着のある人は、役員や部長など「偉い人」であった自分を心の拠り所にし、自分と周囲の人の間に勝手に上下関係をつくります。誰に対しても上から目線で接し、自分を目上の人として扱わない人に対して、非常にイライラするのです。

こうした人は会社関係の人以外に繋がりがなく、たいてい暇で孤独。昔の仲間とたまにゴルフに行くぐらいで、普段は家にこもり、家でも威張るので、奥さんにも嫌われます。

一方で、過去の栄光など早々に忘れてしまい、趣味に没頭したり、新しく何かを始めている人は、さわやかで全然イライラしていません。共通の趣味や話題を持った、上下関係のない新しい友達をつくることができます。あまり家にいないので、夫婦も円満。平穏になれるのです。

ユニセフの親善大使として晩年を精力的に過ごしたオードリー・ヘプバーンや、商売を成功させたあとに50歳から天文学を学び、55歳で地図を作る旅に出た伊能忠敬のように、過去の栄光を手放して第2の人生を歩む人はとても魅力的です。

私も以前は大学の医学部の教授になり、7年間務めましたが、あまりに窮屈で辞めました。手放すことで私はとても自由になれました。

言うまでもなく、イライラは体に非常に悪い影響を及ぼします。人間の健康を維持する自律神経は、「交感神経」と「副交感神経」で成り立っています。緊張したりイライラすると交感神経のスイッチが入り、リラックスしたり眠ると副交感神経のスイッチが入るのです。

いつもイライラしている人というのは、交感神経がオンになっている時間が長くなります。すると血管が収縮し、血圧が高くなり、動脈硬化が進んで心筋梗塞やくも膜下出血などのリスクが高まります。

一方で平穏な人というのは、自律神経のバランスがいい。日中は交感神経が働いて活動的になりますが、夕方には副交感神経のスイッチが入って、食事、入浴を経てとてもリラックスし、いい眠りにつきます。当然、病気に罹りにくくなります。

自分は前者だと思う人は、楽しく長生きするために、どうぞ第2の人生を楽しむ努力をしてみませんか。カメラでも、電車の旅でも、音楽でも、スポーツでも、野菜の栽培でも、なんでもいい。これまでの人生で、やりたくても断念したことが何かしらありませんか。仕事が忙しくてできなくなったこと、お金がなくてできなかったこと、家族に気兼ねしてできなかったことなどを、これを機に始める。定年退職をマイナスに考えるのではなく、「やっと自由な時間を持てた」とプラスに考えてみるのです。

■「同窓会」に出ると脳が活性化される

イライラすることは、現役で働いている人にとってももちろんリスクがあります。アドレナリンが分泌し、血管が収縮し、若くても生活習慣病などに繋がります。30代でくも膜下出血になる人も少なくありません。大切なのはやはり自律神経を整えること。仕事中はみな交感神経のスイッチが入っていますので、仕事が終わった後にいかに副交感神経にスイッチを切り替えるかが重要になります。

そのために20代から40代の人におすすめしたいのは、運動習慣を身につけることです。長生きしたければこれはマストです。運動は副交感神経を鍛える数少ない方法です。最も効果的なのはランニングや水泳などの有酸素運動ですが、筋力トレーニングも効果的ということがわかっています。私の個人的なおすすめはヨガです。ストレッチと有酸素運動を同時に行い、腹式呼吸が副交感神経を優位にしますから、自律神経を整えるのには非常に効果的です。若いころに運動習慣が身についていれば、50代、60代でも続けることができるでしょう。

50代の人におすすめなのは、若いころの自分に遡ってみることです。50代になると、なぜか急に同窓会が増えます。田舎の小学校の同窓会で昔の思い出話をしたりすると、「違うよ保坂、あのときおまえは補欠だっただろ」などと思い違いを指摘されたりします。思い出というのはたいてい勝手に美化して記憶しているものですから、それを微調整してくれるのです。そうして脳の記憶の点と点を繋いで、頭のなかで自分史をつくる。私は50代になって、昔の友達に会ったり、思い出の地を巡り、今はもうない小学校跡地を訪ねてみたりしました。すべての点と点が繋がったとき、ちょうど還暦になっていました。

このようにして昔の記憶を蘇らせることは「ライフレビュー」といい、認知症の治療にも使われる方法です。なぜ脳にいいのかといえば、昔好きだった曲を聴くと、急にそのころのドキドキワクワクした感情が戻ったり、ある匂いを嗅いだらある瞬間を思い出すといったことがあるように、当時の感情や記憶を思い出すことで、脳がそのときの状態に戻るからです。若いときの感動を思い出せば楽しい気持ちになり、さらにリラックスし、副交感神経が優位になります。

■突然のイライラを瞑想で解消する

仕事中などにイライラしてしまった場合、短時間でできるリラックス法に、「マインドフルネス瞑想」があります。グーグルやアップルやインテルも導入している瞑想法です。ストレスが減り、人間関係が円滑になります。

この瞑想は呼吸法をベースにしています。大切なのは吸う息よりも、吐く息です。目を閉じて、今肺のなかにある空気を長く吐き出します。吐き切ったらゆっくり大きく息を吸います。次に、吸った時間の2倍の時間をかけて息を吐き出します。3秒で吸ったら6秒で吐く。4秒で吸ったら8秒で吐く。これを繰り返すと、副交感神経が優位になり、脈拍数が落ちつき、冷静になってイライラが遠のいていきます。

そこで意識的に自分の感情から離れ、第三者の立場で、怒っていた自分を眺めてみます。「きっかけは何だったかな」「執着心があったから怒ったのかな」と自分を客観的に分析するのです。これができるようになると、怒りの感情を遠ざけることができるようになります。

いかがでしょうか。楽しく、穏やかに、健康に生きるために重要なことは、イライラしないことなのです。

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聖路加国際病院リエゾンセンター長・精神腫瘍科部長 保坂 隆
1952年、山梨県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学精神・神経科学教室入局。聖路加国際大学臨床教授。著書に『自分らしく生きる「老後の終活術」』(PHP文庫)、『感情を整える技術』(ベスト新書)など。
 

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(聖路加国際病院リエゾンセンター長・精神腫瘍科部長 保坂 隆 構成=嶺 竜一 撮影=早坂卓也)