マツコも言うとおり…紅白歌合戦はもう限界だ

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 11月24日、年末の紅白出場歌手が発表されました。とても反応に困るラインナップなのですが、とりあえずSMAPの不在に加えて、EXILEと和田アキ子の落選はインパクト大だったようです。

 それ以外では、「なぜ?」と驚きだった大竹しのぶやPUFFYの初選出。オリエンタルラジオのリズム芸が目立つ程度。一番の目玉が、総合司会の“たけたん”こと武田真一アナになってしまう危惧すらあるのです。

 こうした“紅白の危機”を指摘していたのが、マツコ・デラックスでした。「若いバンドやアイドルとかミュージシャンの人だけで紅白のあの形が成立するのかと思う」と、暗にもう潮時なのではないかと語っていたのです(11月21日、TOKYO MX『5時に夢中!』)

◆いくら出し物でごまかしても…

 もっともこうした心配は昨日今日始まったわけではありません。結局は90年代後半以降から顕著な、音楽そのものの退屈さを色々な出し物でごまかすことに限界がきただけだと感じるのです。

 番組の構成をどれだけ工夫したところで、肝心の楽曲やミュージシャンがつまらなければ元も子もない。その事実に本気で向き合うべき時が来たのではないでしょうか?
 それを強く感じたのが、先日、CS放送「歌謡ポップスチャンネル」で観た30年以上前の三橋美智也の番組でした。

 ゲスト出演の立川談志がフランク・シナトラやメル・トーメの名前を出しつつ、歌い手・三橋のスゴさを語る。その後に「月の峠路」を歌う三橋の横で、嬉しそうに口ずさむ談志。音楽と人が偉大ならば、よけいな演出などいらないのだと痛感する瞬間でした。

 そういえば、イギリスの歌手アデルについての興味深いエピソードがあります。音楽学校出身の彼女は、決して一番歌が上手なわけでも、演奏のテクニックに秀でていたわけでもなかったのだそう。

 でも人間的な器は、他の学生とは比べ物にならないほど大きかったというのです。ある程度までいけば歌のウマいヘタなど誤差に過ぎず、最後にモノを言うのは全人格的な説得力なのでしょう。

◆めっちゃ楽しそうなBBCの年末音楽企画

 ともあれ、教育の問題はそれとして、当面は「歌をうたい、楽器を演奏することはこんなにも喜ばしい行為なのだ」という原点に立ち返るのが急務なのだと思います。

 そこで浮かぶのが、イギリスBBCで放送されている『Later… with Jools Holland』の、年末恒例のフーテナニーという企画。大物アーティストも新人ミュージシャンもいっしょになって過去の名曲や最新ヒットを演奏するだけなのですが、これがなんともめでたいのですね。

 それだけでなく、参加していないときでも他人の演奏をじーっと見つめて、何かひとつだけでも盗んで帰って行こうという意欲に溢れている。その様子を逃さないカメラワークも見事。みんな、三橋美智也をながめる談志のような顔で音楽と接しているのです。

 音楽番組に期待するのは、この当たり前の風景だけなのです。そして、歌手やミュージシャンには、このある意味では“退屈な”画面に耐え得るだけの迫力を備えていてほしい。それは、かつての日本には確実に存在していたものなのですから。
 
<TEXT/音楽批評・石黒隆之>