金正恩氏

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北朝鮮で急速に発展する市場経済は、庶民がゼロからつくりはじめたことから「草の根資本主義」とも呼ばれる。市場では、日用品から建材、機械部品までありとあらゆるものが販売される。

国家が運営する市場や百貨店はディスプレイこそ立派だが、値段も高く品揃えもよくないため、庶民たちは見向きもしない。この市場化の波は医療分野にも及び、金正恩氏が意気込みを見せる医療政策さえ飲み込もうとしている。

麻酔なしで手術

北朝鮮の医療環境は劣悪だ。当局が運営する病院は一応は診療はするものの、薬品など具体的な治療に関しては自己負担になる。こうした環境に業を煮やした医師たちは、国営病院を見限って自分で診療所を開く。厳密にいえば「ヤミ医療」になるわけだが、一部の高級幹部を除いて多くの当局者もヤミ医者に頼らざるをえない。

おどろくべきことに「ヤミの中絶手術」まで存在する。

北朝鮮の「草の根資本主義」を支えるのは女性たちだ。彼女たちは生きるために働かなければならないので妊娠出産を避ける傾向にある。そこで、もし妊娠してしまったら、ヤミの産婦人科医を自宅に招いて堕胎手術を行うというのだ。医大生たちは夏休みに入ると、学費稼ぎのためバイト感覚で「ヤミの堕胎手術」に手を染めるという。

(参考記事:北朝鮮の医大生、学費と生活費を稼ぐため「中絶手術」のバイト

そして、北朝鮮の劣悪な医療環境を最も象徴するエピソードが「麻酔なしの手術」だ。病院には麻酔薬がない場合がしばしばあるため、致し方なく麻酔なしで切開手術を行うケースがあるという。聞くだけでも恐ろしい話だが、身をもってこの壮絶な体験をした脱北者によると「自分の血の匂いに吐き気がした」という。

こうした状況を知ってか知らずか、金正恩氏は眼科病院を新しく建設したり、注射器工場を現地指導するなど、彼なりに医療環境を改善させようとしているようだ。昨年10月に「チョンソン(まごころ)製薬総合工場」を現地指導した際は、「解熱鎮痛剤、消化剤をはじめとする常備薬品の品種を増やし、効能をいっそう高める」などと述べながら、医薬品を充実させることに意気込みを語っていた。

そして、平安南道(ピョンアンナムド)順川(スンチョン)市に、薬局3店舗がオープンしたという。しかし、経営するのは当局ではなく、トンジュ(金主)と呼ばれる新興富裕層、すなわち民間薬局というわけだ。

正恩氏に「薬物常用者」の噂

元々、北朝鮮で薬局は市の人民委員会(市役所)保険課の薬品管理所しか経営できなかった。2012年頃から個人の参入が認められるようになったが、薬剤師の免許が必要だった。薬剤師は、薬品の専門知識は持っているが、資金力や商売のノウハウを持ち合わせていなかった。結果、薬品を確保できず経営が行き詰まってしまった。

薬剤師たちの競争力の無さに気づいた当局は、トンジュにも薬局経営を認める。情報筋は「当局は市場の機能を抑制しながら、薬剤師に薬局を経営させて上納金を得ようとしたが、うまくいかず、限界を感じたようだ」と述べる。

民間薬局は、薬剤師の資格がなくても経営できるが、その代わりに薬品管理所の品質監督を受け、利益の3割を上納することが条件だ。また、外国製の医薬品の取り扱いも認めており、消費者からは「値段は少し高いが、品数が豊富で、市場と違ってニセモノを掴まされる心配がない」と好評だという。

当局が民間薬局を認めた背景には、市場の利権を国の手に取り戻そうとする意図があるようだ。市場の商人がいくら儲かっても、そこから得られる収入には限界がある。しかし、当局とトンジュが協業する形にすると、上納金という形の「税収」が得られるメリットがあるのだ。

ただし、こうした薬局は数少ない。ほとんどの庶民たちは従来通り、市場で医薬品を入手する。咸鏡北道(ハムギョンブクト)の内部情報筋によると、薬剤師が薬局を開業するケースがあるにはあるが、今も市場や個人宅で薬品を購入するのが一般的だという。そして、一応は存在する国営薬局は、非常に不人気だという。

いずれにせよ、北朝鮮が誇る無償医療制度は既に崩壊している。極端に薬品が不足していた時代の弊害なのか、いまだに風邪薬代わりに覚せい剤を使用する庶民もいる。そこそこの幹部の中にも覚せい剤の中毒者が存在することから、違法薬物を厳格に取り締まる方針を出している金正恩氏にまで、薬物中毒者という正体不明の噂まで出ている。

金正恩氏は「まごころ薬品」より民間薬局に象徴される、いわば「規制緩和」にもっと注力すべきだろう。