桑田佳祐の新曲「君への手紙」。もう独創性なんていらない60歳の境地

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 リスナーは忘れがちですが、60歳を過ぎてもポップソングを書き続けるのはどれだけしんどいのでしょう?

 キャリアの初めと同じみずみずしさを保つのは土台無理な話ですし、だからといって新しい試みで目先を変えれば解決するものでもない。となると、飽きや馴れとの付き合い方がカギとなるのかもしれません。

◆過去の桑田の曲が浮かぶけど、トーンは徹底して控えめ

 その点で桑田佳祐の新曲「君への手紙」(11月23日リリース)は、示唆に富む“還暦のポップス”でした。

 聴いた瞬間から「真夏の果実」だとか「いつか何処かで」といったDメジャーの名曲が浮かぶ“古風な”桑田バラードなのですが、しかし明らかな変化も見られるのです。

 たとえば、サウンド。歌い出しはアコースティックギター1本で、あとから他の楽器が重ねられていく、その数の少ないこと。現在のヒットチャートからしたら、禁欲的とも言えるほどに抑えているのですね。

 そのおかげで歌と演奏の余韻が引き立ち、血圧が落ち着いていくような安心感が生まれる。

 かつてエルトン・ジョンの「Come Down In Time」をカバーしたスティングが「ストリングスだの何だのと必要な曲には中身がないんだ」と話していたのを思い出します。

 この控えめなトーンがサビにも共通しているのが面白いところ。たとえば「TSUNAMI」などでダイナミックに盛り上げていた長尺のメロディは省略され、音の上下動も少なく淡々とした語り口になっている。

 これが功を奏し、甘さに流されず楽曲を引き締めているのだと思います。トッド・ラングレンの「It Wouldn’t Have Made Any Difference」の歌い出しを思わせる涼やかさなのです。

◆新しさやオリジナリティを超えた、還暦のしぶとさ

 さて、以上を踏まえたうえで改めて指摘したいのは、「君への手紙」が新しさやオリジナリティとは無縁だという点でしょう。

 と言うと悪いように思うかもしれませんが、そうではありません。「ゴジラ」のテーマ曲で知られる作曲家の伊福部昭が著書『音楽入門』の中で、作曲よりも編曲を評価したフランダース楽派(※)の時代について、こう書いていたのです。
※フランドル楽派とも呼ばれる。15世紀中頃から16世紀にかけて活動し、バロック音楽の基礎を築いたとされる作曲家集団

<現代の私たちは、芸術の評価にあっては、多少品質を犠牲にしても、いわゆる独創的な作品の方を遥かに高く買いますが、今日にあっても、音楽技術および音楽的手法の考案の能力からいえば、独自な独創的な作品をまとめるよりも、他人によってつくられた主題をまとめていくのにより多くの音楽上の技巧的な能力の必要であることは、容易に理解できるのです。>
(伊福部昭『音楽入門』全音楽譜出版社 pp.91-92、太字は引用者による)

 これこそ「君への手紙」で桑田佳祐がしたことであり、「他人によってつくられた主題」にあたる部分が、“若かりしころの自分(桑田佳祐)による名曲”であるところが、実に興味深いのですね。

 そういえば還暦とは、干支が一巡し生まれた年のものに戻ることだといいます。そんな折に過去の自分を客観的に組み立て直すような楽曲を発表した桑田佳祐は、やはりしぶといソングライターなのだと感じた次第です。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>