DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」3回目のボヤきは「残業するたびに罪悪感を抱いてしまう」です。

【今週のボヤき】

業務量が多く、毎日残業しています。残業する際は上司に残業申請を出すのですが、申請をするたびに「自分は仕事ができないのでは?」と自分を責めてしまいます。同僚も残っているので、私だけではないと思うのですが……。それでも「もっと効率よくやれば早く終わらせるのでは?」と思ってしまいます。ちなみに仕事が好きなので残業自体は苦ではありません。

安心して罪悪感を持てばいい

残業に罪悪感を覚えるのは悪いことではありませんよ。頑張ることだけが目的の計画性のない努力はしていない、効率を無視した努力をしていないっていう証ですからね。

計画性のある努力とは、「自分に何が足りないのかを教えてくれる努力」です。何をどうすればもっと効率的に仕事ができるのか。

定時をデッドラインにして計画的に時間割を作って行動するのが仕事です。あなたの考え方は間違っていません。罪があるとすればその計画を完遂する能力がまだないという罪。あとは能力をつけていくだけですね。

やるべきことをちゃんと自覚できるので成長も早いと思います。

罪悪感を覚えること自体は間違いではないので、安心して罪悪感を覚えてください。

「計画性のない仕事」は仕事ではない

計画性のない努力をしている人は、自分に足りないものがわからないんですよね。「何が足りないのか?」と問えば「努力が足りない」と言う始末。「遅くまで残業をしている人の方が偉い!」という太古の価値観を持っているわけですから、残業には罪悪感ではなく優越感を覚えることさえ。だから、定時に帰る人を見下したり精神論に則って残業を強要するパワハラ上司になったりするんですよ。

要するに、彼らは非生産的な努力で残業代を稼ぐだけの残業泥棒になりかねない人種ですね。仕事に限らず何かをやる時には、まず期限を定めるのは基礎中の基礎、終わりを定めなきゃ計画性がなくなってしまいます。「計画性のない仕事」なんて仕事ではありません、残業を恥ずかしいと思えなきゃ社会人として三流ですよ。

残業はイベント

残業は罪悪感があって然るべきものだと思いますが、管理する管理職のお偉いさんも罪悪感を持ってもらわなきゃ困ります。

「残業代払うからいいじゃないか!」ではないんです、中には「お金を払うから帰らせてくれ……」という人もいるのです。誰も会社のために働いているわけではないのですよ、生きるために働いているのですよ。生きているのがイヤになるほどの仕事量なんて本末転倒、残業はたまにあるイベントであって習慣ではないのです。高圧的に残業を強いるのはやめてください。