インタビューに応じたラシド・カシム容疑者(出典:https://twitter.com/amaramarasingam)

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「イスラム国」の主要メンバーで、フランス人若手戦闘員の育成とテロ実行犯への指示にあたってきたラシド・カシム容疑者が、テロリズム研究家の第一人者とのインタビューに応じたもようだ。斬首、火あぶりほか残酷極まりない処刑を繰り返してきた無慈悲な男は一体何を語ったのであろうか。

イラクやシリアなどでは「弱体化」などと報じられるようになってきた過激派組織の「イスラム国(以下IS)」だが、一方でヨーロッパやアジアに暮らす未成年を含む血気盛んな若い男女をリクルートし、戦闘員として育成する動きはむしろ活発になっていることがわかっている。

130名もの尊い命が奪われたパリ同時多発テロ事件からすでに1年だが、フランスの非常事態宣言は来年春の大統領選まで延長されることが決まり、活動の形を変えつつあるISへの危機感が薄らぐことはないようだ。

中でも最重要人物とみなされているのが、欧州で起きた数々のテロ事件を指示したとされるISの指導者で、アルジェリア系フランス人のラシド・カシム容疑者(Rachid Kassim=29)である。彼はTwitterではなく、相手が読めばメッセージが消える仕組みのメッセージアプリ『テレグラム』を駆使し、実に多くの若手テロリストを育成してテロ実行犯に犯行指示を送り、残虐極まりない処刑の動画にも登場してきた。

そんなカシムとの接触に成功したのは、外国人戦闘員、テロリズム、ジハーディスト、宗教、社会学などを専門とするジョージ・ワシントン大学の博士研究員、アマルナス・アマラシンガム氏(Amarnath Amarasingam)であった。ジャーナリストとしてこれまでにもイスラム過激派組織のメンバーとのインタビューを行ったことがある。抜粋してお伝えしてみたい。

■実家の家族について

1987年フランスで生まれ、父はイエメン人、母はアルジェリア人だが5歳の時に離婚し、母とともにその後はアルジェリアの沿岸の町オランで暮らした。9歳でフランスに戻ると居心地の悪さに気づいた。校長が同性愛者などさすがはデカダンの国、フランスは退廃していると痛感した。豚肉を食べさせられそうになり私は怒ってテーブルをひっくり返し、父親が学校に呼び出されたこともある。

成長とともに私は攻撃的な発言で危険人物とみなされるようになり、常に警察の監視下にあった。ジョギングをするとバカバカしいことに後ろには警官2人がついてくる。家族は何が起きるのかといつも恐れていたように思う。

私はとても幼い頃からジハードに憧れを抱いていたが、親きょうだいはそれに強く反対していた。いとこのアブ・ムサンナ・アル・ジャザイリはISの重要メンバーで、チェチェンとアフガニスタンで戦ったが戦死している。私は国を離れてからも定期的に家族とは連絡を取り合っていたが、処刑などに関わる動画に出るようになると関係がぷっつりと途絶えてしまった。

■現在の家族について

2010年に結婚したが妻の名前や出身などは言いたくない。「妻と3人の子とともにエジプトに逃亡」という報道を目にしたことがあるが、エジプトを訪れたことなど一度もないし、子供は幼い娘ただ一人だ。ジャーナリストは完全にボケている。

■シリアへのヒジュラ(移住)

2015年になってすぐ、妻はある夢を見て夜中の3時に目を覚ました。私たちが逃げようとしたらそこにライオンが立ちはだかり、しかしイスラム教徒の女性が現れてライオンを投げ飛ばしてくれた。そのおかげで無事に通過することができたというもので、大事なお告げとして翌日の午前3時に私たちは出発した。妻と幼い娘を連れ手には1,500ユーロを握りしめていた。

手助けしてくれたのは友人で数学の教師をしているモハメド・ゲラブ。そしてアッラーによる奇跡。リヨンからシチリア島に入り、ボートでギリシャに渡ってトルコへ。体調を崩して祈りを捧げていたところ、ありがたいことに車に乗せてくれて金と食糧も恵んでくれる男性に出会えてやっとクルド地方に。アメリカ人が私たちの前に現れ、心臓の鼓動が激しくなったが私は観光客かのようにタバコを吸い、妻は口紅をつけるなどして懸命に余裕があるフリをした。