2016年11月15日、マクラーレンの総帥ロン・デニスが失脚した。名門チームの内部で何が起き、そしてこれからどこへ向かおうとしているのだろうか──。

 F1ブームの真っ只中を知る者にとって、ロン・デニスとはマクラーレンの顔であり、圧倒的な存在だった。アイルトン・セナの時代も、ミカ・ハッキネンの時代も、そしてマクラーレン・ホンダの時代も、マクラーレンと言えば総帥デニスがいた。

 しかし、もともとマクラーレンはデニスのものではなく、メカニックからチームを興し、F2やF3で成功を収めたデニスがマールボロと組み、ニュージーランド出身のブルース・マクラーレンが興したチームを1980年末に引き継いだものだ。そういえば聞こえはいいが、当時のチーム首脳陣にしてみれば"乗っ取り"とも言える事態だった。

「プロジェクト4(P4)」というデニスの組織名が今でもマクラーレンのマシン名「MP4-XX」に残されているが、大英帝国勲章を授与されてもなお、パドックには「彼は所詮メカニック上がりだ」とデニスを認めたがらない人が少なくないのは、こうした成り上がりの背景があるからなのかもしれない。

「F1界のドン」と言われるバーニー・エクレストンも、デニスを嫌い、認めようとしない人物のひとりだ。エクレストンがマネージャーを務めていたヨッヘン・リント(1970年、事故死の後にF1年間王座獲得)のメカニックがデニスだったということもあるだろうが、パドックではふたりの仲の悪さは有名な話だ。

 しかしその後の35年間で、デニスは帝国を築いていった。レース部門『マクラーレン・レーシング』がF1で成功を収めると同時に、市販車部門『マクラーレン・オートモーティブ』を設立し、F1で得たカーボンコンポジットや電子制御といった技術やノウハウを『マクラーレン・アプライド・テクノロジーズ』という企業としてビジネス展開していった。

 デニスはその3社の統括会社『マクラーレン・テクノロジー・グループ』の株式を25%保有し、会長兼CEOに就いた。

 2009年にはモータースポーツの一線を退いて市販車部門の経営に専念し、F1チームからも距離を置いた。ところが、2012年にF1チーム代表であったマーティン・ウィットマーシュにグループCEOの座も譲ったにもかかわらず、2014年1月に突如としてウィットマーシュを解任して総帥の座に返り咲き、F1チームの運営にもふたたび口を挟むようになった。

『マクラーレン・テクノロジー・グループ』において絶対的な存在であるデニスには誰も反論できず、F1チームと直接関わりのないはずの彼が現場に姿を見せると、あきらかにチームの雰囲気は変わった。よく言えば緊張感があるとも言えるが、悪く言えば権威と恐怖に怯(おび)えながら仕事をしているような雰囲気でもあった。

 マクラーレンのように1000人を超えるような巨大な組織を動かしていくためには、圧倒的な指導力も必要だ。しかしデニスの感性は、もはや現代のF1に合ってはいなかった。総帥がトラブルの起きた箇所をのぞき込んで、メカニックに指示を出すような時代ではない。フリー走行で目先の順位や走行プログラムの技術内容に、とやかく口を出すような時代でもない。

 しかし、デニスの言うことが見当違いだとわかっていても、スタッフが反論することを許されるようなチームではない。誰もが彼の顔色をうかがいながら作業を進めなければならなかった。

 そんなデニスを、ともにマクラーレンを育ててきた盟友であり、株式の25%を保有するTAGグループの総帥マンスール・オジェと、残る50%を保有するバーレーン政府投資ファンド『マムタラカト』は見限ったのだ。

『マクラーレン・テクノロジー・グループ』の会長兼CEOという役職は、同社の取締役会からデニスに与えられたものにすぎず、取締役会は2017年1月の契約終了をもって延長しないことを決めた。これに対してデニスは、中国系の投資ファンドを味方につけ、その資金で株式の持ち株比率を上げて『マクラーレン・テクノロジー・グループ』を手中に収めようとしたと噂されるが、この事態を重く見た取締役会が先手を打って11月15日に彼を解任したというわけだ。

 このお家騒動の真っ只中で行なわれたブラジルGPには、もちろんデニスの姿はなかった。デニスがフォルクスワーゲンのWRCプログラムから引き抜き、ようやく9月に『マクラーレン・レーシング』、つまりF1チームのCEOに就任したばかりのヨースト・カピートも姿を見せなかった。レーシングディレクターのエリック・ブリエが現場の指揮を執り、「我々はこの噂に対しては一切コメントしない」とノーコメントの立場を貫いた。

 デニスは25%の株主と、『マクラーレン・オートモーティブ』の11%の株主、そして会長としての立場は残る。しかし、外堀はオジェとマムタラカトによって埋められており、実質的な権限は何も残っていない。デニスが去った今、彼が連れてきたカピートやブリエの立場も微妙なものになってきている。

 9月にチームに合流したカピートは、ブリエのようにチームの前面に立つことも、メディアへ露出することもなく、チームに帯同して「チーム内のことを観察し、学んでいるところ」という姿勢を取ってきた。フォルクスワーゲンで彼が見せた手腕はまだ発揮されておらず、彼がどういった立場でチームをどう変えていこうとしているのかはまだ見えてこないと、チーム内で疑問視する声も出始めている。

 デニスが去ったことで、"老害"ともいうべき彼の悪影響はなくなる。しかし、統率力の欠けた組織を不安視する声もある。あるエンジニアは言う。

「技術屋が自由にやれる状況になったとしたら、それはそれで心配な面もある。たとえば、目指すゴールが決まっていたとしても、そこに辿り着くための方法論や道筋は、技術者によって異なる。ゴールに到達するまでの時間の速い遅いはあったとしても、ゴールに辿り着けるなら、そのどちらも正解だということになる。つまり、チームが進むべき方向性をハッキリと指し示し、技術者を統率する人間がいなくなれば、チームがバラバラになってしまう可能性もある」

 マクラーレンはこれまでに、フェラーリからアンドレア・ステラ(フェルナンド・アロンソ担当レースエンジニア)、ロータスからシャロン・ピルビーム(チーフエンジニア。レッドブル時代はマーク・ウェバー担当レースエンジニア)などの現場エンジニア、そして開発陣にはレッドブルからピーター・プロドロモウ(空力責任者)、ザウバーからマット・モリス(チーフデザイナー)などを次々と獲得してきた。ブリエもロータスからの引き抜きだ。だがしかし、その誰もが強い指導力を発揮しているとは言えず、顔の見えない組織になってしまっている。

 マクラーレンは11月21日、元レーシングドライバーであり、モータースポーツ・マーケティング界で名を馳せるザック・ブラウンをエグゼクティブ・ディレクターとして迎えることになったと発表した。これまでマクラーレンにジョニー・ウォーカーやヒルトン、シャンドンなどのスポンサーをもたらした人物だ。そのブラウンがグループ組織の再構築を担っていくというが、しかしCEOの座はまだ空席のままとなっている。

 脅威であり、老害でもあったデニスが去った今、チームのなかから頭角を現す者が出てくるのか――。

 いずれにしても、今のマクラーレン・ホンダがお家騒動などに執心していられるような場合でないことは明らかだろう。その元凶だった人物がチームを去ったことは、たしかな事実だ。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki