1500億円の特別損失を計上すると発表した三菱自動車・黒井義博常務。(写真=時事通信)

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燃費データの不正行為が発覚した三菱自動車。2000年代にも二度のリコール隠しが発覚しています。なぜ不正は繰り返されたのでしょうか。

私は、基本的に「組織コントロールの問題」だと捉えています。組織コントロールとは、会社と社員の方向性を一致させるということ。「社内のガバナンス」と言ってもいいでしょう。

ここでは、ウイリアム・G・オオウチの2つの古典的な論文をもとに、その原因を考えてみます。1つは1979年にManagement Scienceに掲載された「A Conceptual Frameworkfor the Design of Organizational Control Mechanisms」、もう1つは80年にAdministrative Science Quarterlyに掲載された「Markets, Bureaucracies, and Clans」です。

論文は組織をコントロールする仕組みとして「マーケット」(市場)、「ビューロクラシー」(官僚主義)、「クラン」(家族的集団)の3つを指摘します。ここではわかりやすく、それぞれ「お金」「ルール」「価値観」という言葉に置き換えて説明します。

「お金」とは、成果に見合った報酬を与えることによって会社と社員の利害の一致を図ることです。例えば、たくさん販売した人に高い報酬を支払うといった具合です。

業務の中には成果を数字で明確に表せないものもあります。その場合は、業務プロセスが正しく行われているかどうかをチェックするために、マニュアルや規則などの「ルール」でコントロールする必要があります。

「お金」でも「ルール」でもコントロールできないときはどうすればいいか。典型的なのは前例のない危機管理の判断です。何が会社にとってふさわしいかどうかの判断のベースになるのは、その会社の「価値観」になります。

通常は、これら3つの要素を組み合わせて組織をコントロールしますが、組織によってバランスは異なります。例えば、官公庁は「お金」も「価値観」もありますが、最も強いのは「ルール」でしょう。「あの会社はまるで宗教のようだ」といわれるような組織は、「価値観」が非常に強いということです。

■「性善説の経営」の落とし穴

日本企業の組織コントロールの傾向を見ると、かつては「価値観」が非常に強かったといえます。終身雇用や年功序列といった日本型経営が重視され、「会社は人生」「同僚は家族」という空気が社内にありました。そうした強い「価値観」の下では、社員の会社への忠誠心は高く、仲間を裏切るような不正行為は起きにくかったと思います。

こうした状況が変わり始めたのは、90年代にバブルが弾けた後、日本企業にも成果主義が導入されるようになった時期です。この頃は、経営者も社員も、従来の家族的な経営は古いのではないかと考え始め、多くの日本企業が成果主義という「お金」によるコントロールを強めようとしました。

しかし、成果主義はなかなか日本の風土に合わず、一度は導入したものの取りやめた企業が多くありました。このとき、「お金」によるコントロールは弱まったわけですが、その代わりに再び「価値観」を高めたかというと、それは古いといって何もしなかった企業が多かったのではないでしょうか。

今、企業の中堅を担っているのは、この頃に入社した社員たちです。そのため、この世代は、かつての強い「価値観」の下で育ってきた経営層と比べると、会社への忠誠心ははるかに低いはずです。しかも、待遇がそれほどいいわけでもない(「お金」によるコントロールも弱い)。そのような状況では、「コンプライアンス」を中途半端に叫んでも限界があります。このように、会社と社員がいかに方向性を共有して進んでいくか、ということに対して、三菱自動車も、また同様に燃費不正問題を起こしたスズキも、認識が甘かったのではないかと思います。

先述の通り、「お金」「ルール」「価値観」のうち、どの要素を強めるべきかは企業によって異なります。

外資系投資銀行は、好成績を上げるほど高報酬を得られるという「お金」でのコントロールが強い傾向にありますが、それだけでは、社員が成績ばかりを追求して不正が起こる可能性があります。そこで、ITによる監視を徹底し、「ルール」も強めて社員をコントロールしています。

一方、多くの日本企業は、伝統的に「お金」や「ルール」を強めるよりも、性善説に立って組織を運営してきたといえます。性善説は悪いことではありませんが、それを担保するには、「価値観」を共有して会社への一体感を高める努力が必要です。その努力が十分ではないため、苦しくなると「会社のため」が言い訳になり不正に走ってしまうのではないかと私は捉えています。

3つの要素のうち、応用範囲が広い分最も面倒で時間がかかるのが「価値観」の共有です。それだけに、最も手を抜きやすいし、油断しやすい。しかし、面倒くさがってはいけません。それは、親が手塩にかけて育てなければ、高いおもちゃを買い与えても親の愛は子どもに伝わらないのと同じことです。

ベンチャーなどを見ていると、創業当初は、少ない人数で苦労を共にして自然と「価値観」を共有できます。しかし、会社が成長して安定してくると、経営者の目が外に向き、いつの間にか社内の「価値観」の共有を当然とみなし、実際には組織がボロボロになってしまうというパターンが少なくない。この辺りは百も承知であったはずのスズキの鈴木修会長でも、同じ轍を踏んだことは記憶されていいでしょう。

会社は生き物であり、成長するほど新しい社員が入ってきます。経営者は常に社員と向き合い、会社の「価値観」について愚直に共有していかなければいけないのです。いくつかの企業では、「価値観」の共有を強める動きが起きています。運動会を復活させたり、社員寮や研修施設などを整備したりするのは、その表れといえます。

■三菱自動車の不正が起きた真因とは

自動車メーカーに限って言えば、「価値観」の共有は、さほど難しいことではないと思います。コンサルタント時代に一緒に仕事をしたことがありますが、そのときに感じたのは、皆、クルマが本当に好きだということでした。

ですから、三菱自動車の場合も00年代の二度にわたるリコール隠しで経営危機に陥ったとき、日産のゴーン改革のように、経営者と社員の思いをストレートに共有すればよかったのです。しかし、三菱自動車の場合は、「三菱グループの一員としてああしろ、こうしろ」など、共有しなければならない価値観が多すぎて、結果として混乱してしまったのではないかと見ています。

本当に共有すべき「価値観」は、それほど多くないはずです。親がいろいろ言いすぎて、子どもをダメにしてしまうのと同様に、本当に大切なことがきちんと根づかなければ、どこかのタイミングで綻びが出るのは当然です。

多くの日本企業にとって、この問題は他人事ではありません。自社にとって重要な「価値観」を見極め、社員と共有するための努力を惜しまないことが必要です。「面倒」を言い訳にしている(それが社内でまかり通る)限り、会社の持続的成長はありません。

(慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授 清水勝彦 構成=増田忠英 写真=時事通信)