3つのポイントが示す非サッカー的な日本人気質
予想されたことではある。
先日のサウジアラビア戦で、本田圭佑と香川真司が先発を外れた一件は、まさに事件に値した。遅すぎる決断とは、こちらの見解だが、それはともかく、外れるか否かは戦前の一番の関心事だった。メディアの多くの予想は「2人ともに外れる」で、前日のスポーツニュースに出演していた元選手の評論家も例外ではなかった。
だが、彼らを含むその多くは、「外すべきだ」とは言わなかった。もちろんその逆も含めてだが、スタメンを予想することだけにほぼ終始した。
ハリルホジッチの去就にまつわる問題も、「解任すべきだ」とは言わない。「続投すべきだ」とも言わない。「ただ、協会内部には依然として解任論を唱える声は多く……」と、先行きが不透明であることを伝えるに止めている。
自らの意見を語ることはまずない。本田、香川は外すべき。あるいは、ハリルホジッチは解任すべきと述べる人は、必然的に辛口として扱われる。本田、香川は使うべき。ハリルホジッチは続投させるべきとの意見も出ないので、世の中には甘口も存在しない。意見を述べる人はすべて辛口。意見を述べようとしない、安全ゾーンに身を潜める人からそう言われると、無性に腹が立つ。人間不信に陥るとは大袈裟だが、ダメなモノを見てしまったような暗澹たる気持ちに、毎度のことながら襲われる。
外国にはあり得ない話。その2番目は応援だ。サウジ戦の応援風景を見た欧州在住者は、試合を観戦しながらこう漏らした。「同じ曲をずっと歌ってるんですね」。実際には応援歌は幾つか存在するが、同じ曲に聞こえてしまう理由は、その単調さにある。スタンドは常時、盛り上がっているかのように見える。だが、一定のリズム、テンポで刻まれるので、メリハリがなく、パンチ力に欠ける。それがのべつ幕なし続くので、開始して10分も経つと威圧感のないBGMに聞こえてくる。
見ている、ピッチ上の選手からは見られている緊張関係に乏しい応援風景なのだ。審判の判定に、なにより即座に反応できていない。これでは審判や、相手チームにプレッシャーは掛からない。応援の目的が何なのか、伝わってこないのだ。歌は抑揚なくずっと歌われ続ける。が、効果的ではない。日本代表戦に限った話ではない。Jリーグの応援にも通底する傾向だが、世界的には珍しい応援風景になる。日本の常識は世界の非常識と言われるものは数多いが、欧州在住者の感想に基づけば、これもそのひとつになる。
3番目は、判定に対する反応だ。サウジアラビアの監督、ファンマルヴァイクは前半終了間際、シンガポール人の主審が吹いたPKの笛について試合後の会見でこう述べた。「ハーフタイムにビデオで確認したが、ハンドには見えなかった」。比較的淡々と。激高するわけでもなく。
清武のシュートをブロックした場所は胸。その跳ね返りのボールが腕をかすめたかどうかは微妙だが、PKを取ってもらえなくても文句の言えない、日本贔屓の判定だった。笛が吹かれなければ、結果はどうなっていたか。この予選の行くえを左右する大きな大きな判定。ハリルホジッチのクビを繋ぎ止めた(?)判定。さらには、UAE戦の判定(ゴールを割っていたかに見えたがノーゴール)を相殺するPK判定とも言える。
UAE戦の判定には、「ゴールを奪われた」と、後々までしつこく不満を口にしたハリルホジッチだが、今回は、その件について一切触れなかった。UAE戦でのカタール人の主審の判定には、あれだけ騒いでおきながら、シンガポールの笛にはコメントなし。落ち着いた様子のファンマルヴァイクとの差、監督としての器の違いを見せられた瞬間だった。
先日のサウジアラビア戦で、本田圭佑と香川真司が先発を外れた一件は、まさに事件に値した。遅すぎる決断とは、こちらの見解だが、それはともかく、外れるか否かは戦前の一番の関心事だった。メディアの多くの予想は「2人ともに外れる」で、前日のスポーツニュースに出演していた元選手の評論家も例外ではなかった。
だが、彼らを含むその多くは、「外すべきだ」とは言わなかった。もちろんその逆も含めてだが、スタメンを予想することだけにほぼ終始した。
自らの意見を語ることはまずない。本田、香川は外すべき。あるいは、ハリルホジッチは解任すべきと述べる人は、必然的に辛口として扱われる。本田、香川は使うべき。ハリルホジッチは続投させるべきとの意見も出ないので、世の中には甘口も存在しない。意見を述べる人はすべて辛口。意見を述べようとしない、安全ゾーンに身を潜める人からそう言われると、無性に腹が立つ。人間不信に陥るとは大袈裟だが、ダメなモノを見てしまったような暗澹たる気持ちに、毎度のことながら襲われる。
外国にはあり得ない話。その2番目は応援だ。サウジ戦の応援風景を見た欧州在住者は、試合を観戦しながらこう漏らした。「同じ曲をずっと歌ってるんですね」。実際には応援歌は幾つか存在するが、同じ曲に聞こえてしまう理由は、その単調さにある。スタンドは常時、盛り上がっているかのように見える。だが、一定のリズム、テンポで刻まれるので、メリハリがなく、パンチ力に欠ける。それがのべつ幕なし続くので、開始して10分も経つと威圧感のないBGMに聞こえてくる。
見ている、ピッチ上の選手からは見られている緊張関係に乏しい応援風景なのだ。審判の判定に、なにより即座に反応できていない。これでは審判や、相手チームにプレッシャーは掛からない。応援の目的が何なのか、伝わってこないのだ。歌は抑揚なくずっと歌われ続ける。が、効果的ではない。日本代表戦に限った話ではない。Jリーグの応援にも通底する傾向だが、世界的には珍しい応援風景になる。日本の常識は世界の非常識と言われるものは数多いが、欧州在住者の感想に基づけば、これもそのひとつになる。
3番目は、判定に対する反応だ。サウジアラビアの監督、ファンマルヴァイクは前半終了間際、シンガポール人の主審が吹いたPKの笛について試合後の会見でこう述べた。「ハーフタイムにビデオで確認したが、ハンドには見えなかった」。比較的淡々と。激高するわけでもなく。
清武のシュートをブロックした場所は胸。その跳ね返りのボールが腕をかすめたかどうかは微妙だが、PKを取ってもらえなくても文句の言えない、日本贔屓の判定だった。笛が吹かれなければ、結果はどうなっていたか。この予選の行くえを左右する大きな大きな判定。ハリルホジッチのクビを繋ぎ止めた(?)判定。さらには、UAE戦の判定(ゴールを割っていたかに見えたがノーゴール)を相殺するPK判定とも言える。
UAE戦の判定には、「ゴールを奪われた」と、後々までしつこく不満を口にしたハリルホジッチだが、今回は、その件について一切触れなかった。UAE戦でのカタール人の主審の判定には、あれだけ騒いでおきながら、シンガポールの笛にはコメントなし。落ち着いた様子のファンマルヴァイクとの差、監督としての器の違いを見せられた瞬間だった。