今なお愛される名作『時をかける少女』、そのシナリオが完成するまでの紆余曲折とは?/[C]「時をかける少女」製作委員会2006

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今年で公開から10周年を迎えた映画『時をかける少女』(06)。東名阪でのリバイバル上映やアニバーサリーBOX発売などで盛り上がる“時かけ”、その制作の裏側に迫るミニトークショーが7月23日に行われた。トークの内容をお届けする連載第2回では、“時かけ”が生まれる発端やシナリオ制作秘話、制作前の細田守監督の葛藤などについて触れていく。

【写真を見る】細田守監督は、電車の中で遭遇した女子高生にインスピレーションを得た!?/[C]「時をかける少女」製作委員会2006

スタジオ地図からは齋藤優一郎プロデューサー、KADOKAWAからは製作の井上伸一郎専務、渡邊隆史プロデューサーが登壇した。

――『時をかける少女』を作る発端となったのは、10年よりもっと前なんですよね?

井上「そうですね、大体12年くらい前。マッドハウスの丸山(正雄・元マッドハウス社長)さんから連絡があって、是非一回会ってほしいと。もうなくなってしまったんですが、新宿の(談話室)滝沢という喫茶店で待ち合わせました。そこは言わずと知れた、アニメ関係者の打ち合わせのメッカ。誰と誰が会ってるってすぐ分かっちゃうから、秘密を保てないんですけど(笑)、そこで会いましょうと。そして丸山さんから、『井上さん、細田守という人を知っているか』と聞かれました。僕は当時、『デジモンアドベンチャー』で彼をすごく注目していましたから、もちろん知っている、興味があると答えました」

井上「丸山さんから『細田さんと“時をかける少女”をやりたい』と言われ、“時かけ”といえば角川だろうと声をかけていただいて、二つ返事でお受けした記憶があります」

――渡邊さんもその時同席されたんですか?

渡邊「はい。僕は以前から丸山さんと面識があったので、このプロジェクトの話を事前に少し聞いていました。僕はアニメ雑誌の編集長をやっていましたので、編集長としての視点から見ても、細田守監督が“時かけ”を手がけるのは鉄板のように思えてわくわくしましたね」

井上「滝沢で別れた後、丸山さんとは何度か電話などでやりとりさせていただいたんですが。とても記憶に残っているのが交渉ですね。僕は制作を進めるにあたって、マッドハウスへ条件を2つ出しました。1つは、制作のラインを守ること。費用だとか締切だとか、そういったことですね。そしてそのために、2つ目の条件として、齋藤くんをプロデューサーにしてほしいとお願いしたんです。以前テレビシリーズの仕事を一緒にした時から『良いな』って思っていたので、彼なら任せられると」

齋藤「その話を井上さんに聞いたのが僕の結婚式だったんで、『本当かな?』と思っちゃいましたよ(笑)。僕も細田監督と一緒で、日常を豊かに描くような作品を作りたいと思っていたので、丸山さんから細田監督との仕事の話を聞いた時は『この話に乗るしかない!』と思っていました。これが、さっきの井上さんからの要望とほぼ同時期だったので、話がまとまるまでにそう時間がかかりませんでしたね。だからすぐ制作に移行できました」

井上「でもこの作品、シナリオにすごい時間がかかったんだよね。現代版にアップデートしますねっていうのは、原作の筒井康隆先生に許諾はいただいていたんですけど…。最初はもっと別の話だったんですよ。同じ一日を繰り返すような、洪水で街が水没してしまう、みたいな。でもそれだと、作品が大きくならないな…と思いまして。そんな時に細田さんが、『全部一回変えましょう!』と言ってくれたんです」

渡邊「あの当時は一週間に一回、長い会議をしたんですよ。6時間とか、下手すれば10時間くらいの会議です。細田さんと、齋藤さんと僕と、脚本の奥寺さんで。そうすると、2週間後くらいに奥寺さんから新しい展開の脚本が上がってくるんですが、その度に井上さんから感想が来るんですね。とある時にもらったその感想から、シナリオが大きく変わりました」

井上「(原作の主人公の)和子と、新ヒロインの真琴との間に、何か“絆”のようなものが欲しかったんですよ。それがあの“絵”のエピソードです。あれが入ったことによって、『ああこれは素晴らしいな』と。そういった研鑽の中で、(KADOKAWAの)角川歴彦会長にも見せると、『何かアイテムが欲しい』という意見をいただきまして。それがあのクルミだったり、と色んな意見を吸収してシナリオが出来ていったんです」

齋藤「細田監督は当時、『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』(05)を手がけながら、“時かけ”のシナリオを模索していました。現代で新しい『時をかける少女』をやるにはどうしたら…とずっと考えていたみたいです。そんな矢先に電車の中で、バイタリティのある、コミカルな女子高生に遭遇したんだそうです。その時、『若い女の子が社会を変えてくのかもしれない。いや女の子に限らず、若者が未来そのものなんじゃないか』と思いついたと。それで僕と、渡邊さんと、奥寺さんが急遽呼び出されて…2004年の年末くらいかな。旅館でシナリオを全体的に見直すという作業をすることになりました」

渡邊「齋藤さんがロケハンに行っていて、少し遅れてきたんですよね。それまでに3人である程度固まっちゃってて、後は齋藤さん待ちみたいな(笑)。年を越す前に、『これで行こう』と心が決まりました」

【当記事「“時かけ”10周年記念連載」は、11月24日(木)まで毎日更新予定】

シナリオができるまでの間に、多くの紆余曲折があった映画『時をかける少女』。シナリオの次はキャラクターデザインにもまたひと波乱あったようで…!?連載第3回をお楽しみに!【Movie Walker】