『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ (ハヤカワ文庫SF)』ルイス・パジェット,レイモンド・F・ジョーンズ,フレデリック・ポール,ヘンリー・カットナー,フリッツ・ライバー,デイヴィッド・I・マッスン,ジョン・ブラナー 早川書房

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「伊藤典夫翻訳SF傑作選」と謳われた一冊。SFのアンソロジーにはさまざまな趣向のものがあるけれど、訳者名をブランドとして押しだしているのは珍しい。もちろん、伊藤さん個人訳のアンソロジーには過去に『吸血鬼は夜恋をする』と『冷たい方程式』があるのだが、これらは訳者名を大きく出してはいなかった。本書は伊藤さんが初期の〈SFマガジン〉に訳出したなかから、時間・次元テーマを中心に精選している。編者は伊藤さんの仕事をよく知るSF研究家の高橋良平さんだ。

 本書の解説で高橋さんが述べているように、伊藤さんはいまやSF翻訳の長老格だが、日本SFの第一世代のなかでは最年少であり、その当時は「恐るべき子ども(アンファン・テリブル)」として一目を置かれていた。SF同人誌〈宇宙塵〉を主宰していた柴野拓美さんは、次のように証言している。

伊藤さんが高校を卒業した時に、「どうしても東京の大学に入りたい。東京に出てSFをやりたい」というんで、彼のお父さんが僕の家に一緒に来られまして、「息子がSFで食べて行きたいと言っているのだが、SFの翻訳で趣味と実益を兼ねることはできるのでしょうか?」と聞かれましてね。「趣味としてはともかく、実益はあまり考えない方がいいでしょう」みたいなことを答えた覚えがあります(笑い)。彼は大学在学中に『SFマガジン』にデビューしましたけど、最初から「うまいなあ」と思った。(塵も積もれば 宇宙塵40年史----改訂版----いつまでも前向きに』)

 これは1960年ごろのエピソードだ。伊藤さんは浜松に住む高校生だったが、すでに原書でSFを読み、英米のSF事情にも詳しかった。SFはつねに若いジャンルであり十代から活動をはじめる人間は珍しくないが、伊藤さんの早熟ぶりは異常だ。ほぼ最短ルートでプロになり、またたくうちに頭角をあらわしている。

 その伊藤さんのアンソロジーの劈頭を飾るのがルイス・パジェット「ボロゴーヴはミムジイ」だというのは、なんとも洒落ている。これはアンファン・テリブルの物語なのだ。遠未来でタイムマシンの実験がおこなわれ、その時代の教育玩具が十九世紀後半のイギリスと1942年のアメリカへ送られてしまう。物語はアメリカのほうを中心に進む。未来のオモチャは七歳のスコットとその妹で二歳のエマのものになり、彼らは夢中で遊んでいるうちに未来の教育をすんなりと身につけ、やがて両親の手に負えなくなってしまう。オモチャを取りあげようとするが、ときすでに遅し。もう子どもたちが何を語っているかすらわからない。さて、十九世紀後半へ送られたオモチャのほうはひとりの少女に拾われており、それが重要な伏線になるのだが、その回収がじつにスマートだ。ルイス・パジェットはごぞんじのとおりヘンリイ・カットナーとC・L・ムーアの合作ペンネームだが、この名義で書かれた作品は奇想、ユーモア、ストーリーテリングのバランスが絶妙なものが多い。

 レイモンド・F・ジョーンズ「子どもの部屋」も、親を凌駕する能力を備えた子どもの物語だ。「ボロゴーヴはミムジイ」と違うのは、前提として親子の情愛があり、それと拮抗するかたちで能力の格差が持ちだされる点だ。エレクトロニクス企業の主任技師スターブルックは、息子ウォルトの本をなにげなく開いて驚愕する。単語のほとんどが二重の意味を持ち、まるでふたつの物語を並行して読んでいるように思える。ウォルトはそれを大学図書館の〈子どもの部屋〉から借りてきたという。しかし、図書館へ行き、司書に尋ねてみたところ、ここには〈子どもの部屋〉などないと言われる。実は、ある条件を備えている者しか、〈子どもの部屋〉のありかはわからないのだ。また、そこにある本は、複写すると意味のない文字列に変わってしまう。自分の目で読まなければ内容が頭に入ってこない仕組みだ。こうしたディテールがよくできている。ウォルトは自分の能力が活かせる世界へ行ったほうが倖せなのか、それとも両親とともに平凡な世界で暮らすほうがよいのか。ミュータント・テーマの作品だが、最後にもうひとひねり加わって哀しい余韻が残る。

 フレデリック・ポール「虚影の街」も、一筋縄ではいかない作品だ。ガイ・バークハートは悲鳴をあげて目を覚ます。激しい爆発音と熱波。これほど現実感のある夢を見るのははじめてだった。町はいつもと変わりのない様子だが、スピーカーで突拍子もない宣伝が流れるのがどうも気にかかる。違和感をさぐっていくうちに、バークハートは町中の人間が同じ時刻にいやおうなく眠気に襲われ、目を覚ましたときにはなにも覚えていないことを突きとめる。何かの陰謀だろうか? フレデリック・ポールの出世作は未来の広告代理店を扱った『宇宙商人』(シリル・M・コーンブルースとの合作)で、この「虚影の街」も同じような文明批評的観点で書かれているのと思いきや、中盤でフィリップ・K・ディック的な方向へと転調する。インパクトのある作品だ。

 ヘンリー・カットナー「ハッピー・エンド」はタイムトラベル・テーマに、技巧的な語りを組み合わせたトリッキイな作品。SFミステリとして一級品。

 フリッツ・ライバー「若くならない男」は時間の流れが未来から過去へと逆行するなかで、ただひとり取り残された男の物語。淡々とした語り口が、乾いた寂寥感をもたらす。

 デイヴィッド・I・マッスン「旅人の憩い」も、きわめてユニークな時間SFだ。舞台となる世界はどうやら地球ではなく、北へ行けば行くほど時間の流れが緩やかになっており、その北の境界では得体のしれぬ敵との戦闘がつづいている。兵役から解任された主人公は南へ向かい、そこで平穏な日常を得るが......。南で長いときをすごしていても、北では数分しか経過していない。時間勾配というアイデアもさることながら、その勾配を横切って旅をすることでアイデンティティすら変貌していくのが面白い。

 最後の一篇は、ジョン・ブラナー「思考の谺」。これもなかなか凝っている。サリイという名の女が過去を失い、着の身着のままで町を彷徨っている。サリイに部屋を提供したロウエル夫妻には悪巧みがあるらしく、たまった部屋代をしばらく見逃してやることで最終的にサリイを追いこもうとしている。金銭的にも精神的にも窮地に立たされたサリイを救ったのは、たまたま通りかかった青年ジェンキンズだ。彼はサリイの身の上を心配して、記憶を取り戻す手伝いをしようとする。しかし、サリイの脳裏に浮かぶのは、とても地球上とは思えない異様な世界の光景ばかりだ。やがてロウエルがサリイを取り戻そうと、ジェンキンズに攻撃をしかけてくる。ロウエルがサリイに執着するのは、彼女に身売りをさせて稼ぐためなどではなく、途方もない理由があったのだ。記憶喪失というサスペンスからじわじわと語りはじめ,クライマックスではB級特撮映画ばりのスペクタクルへと一挙に加速する。しかも、その背後には宇宙文明論的な広がりがひかえている。荒削りだが、なんともパワフルな作品だ。

 以上七篇。それぞれに伊藤さんの紹介文(一部は高橋さんによるもの)が付されている。また、巻末には鏡明さんが聞き手を務めた「伊藤典夫インタビュー(青雲立志編)」を収録。行きとどいた一冊だ。

(牧眞司)